推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 26

 トレンドの派手な事件、眠りの小五郎、沖野ヨーコの新曲、ビッグ大阪、朝倉が見かけたリスを連れた男(恐らく綾小路警部だろう、それ以外で居てたまるか)とコナン案件ばかりが次々話題に上り、そして怪盗キッドへと移り変わる。センセーショナルなんは分かるけど普通の話題が恋しい。たっけて。追い討ちをかけるように新たな事実が発覚する。
「まじか三井くん怪盗キッド担当なん。てことは知能犯捜査係?」
 即ち中森警部の部下。嘘やんまじかそんなことある? 三井くんはこっち側の人間やんな、え?
「進藤さん詳しいな。あー、今年の異動でな? 守秘義務あるから言えることなんもないんやけどね」
「えー、知りたあい」
「朝倉気持ち悪い」
 ぶりっ子ポーズで猫撫で声を出す朝倉を三井くんが冷たくばっさり切り捨てる。
「ひっどおい」
「はいはい」
 泣き真似をする朝倉は相当酔ってるらしく、何が楽しいのかすぐにへらへらと笑い始める。そういえば飲み始めて三時間は経つし、ビールから日本酒に変わって何合あけただろうか。お猪口こそ三つあるものの、味見程度でほとんど二人にのませていた。なんだかんだ、朝倉が三井くんの倍はのんでいる。朝倉潰しの会が発足していた。
「三井のケチー。怪盗キッドとか気にならん方が珍しいやろ」
「ケチで結構」
 ぶーぶー言う朝倉の腕が当たって箸が落ちた。私が拾って空になったグラスと共に近くの店員に渡すと、朝倉はお酒を追加注文してそのまま席を立ち、トイレに向かった。落とすしふらついてるけど大丈夫かなあ。ハイボールなんか頼んでるけど、一旦水のますか。ともあれ三井くんと二人きりになったので優先順位が変わる。今しかない、と思ったものの先に三井くんが口を開き、しかし割り込んできた声によって肝心の内容まで辿り着かない。
「進藤さん、手紙の──」
「おう三井、久しぶりだな。うまくやってるのか?」
 ふらりと通路を過ぎたスーツの男がすぐに踵を返して戻ってきて、三井くんに声をかけた。
「なんや斎藤か」
「冷たいな。一応同期だろ」
 露骨に嫌そうな表情の三井くんに口角を上げて絡むのは公安部の斎藤春樹さんだ。まじか知り合いやったとは。しかも同い年らしい。オンオフではこうも印象が変わるものかと感心する。あの鋭さは何処へいったのやら、顔が紅潮しており少し酔っていることが窺えた。
「俺はお前のこと覚えてないからな」
「ほんとひどいよなお前。確かに警察学校時代に話したことはないけ、ど、」
 話しながらちらりとこちらを見た斎藤さんがぎょっとする。
「あ」
 おい待てそれはどっちのリアクションや。あの失態の目撃者と認識したのか、それとも零さんの伴侶として写真を記憶されていたのか。どっちしろ記憶力が恐ろしくいいのは流石の公安クオリティといったところか。私は二回目があるけどあなた一年以上前の一瞬だけですよね?
「こ、今晩は……?」
 引き攣った笑顔でぎこちない挨拶をなんとかする。お願い朝倉早く帰ってきて! Harry up!
「知り合い?」
 ちょっとな、と斎藤さんが軽く答えて先程まで朝倉がいた席に自然に座る。おいこらやめろください。ボロが出る前にどうぞ巣(庁舎)へお帰り。今晩の私はもうキャパオーバーです。
「あなたとは一度話をしてみたかったんです」
「へえ、見知らぬ方に言われるなんてそれは光栄ですね」
「いえいえ、まさかあの時の方とこんな所で再会できるとは夢にも思いませんでしたよ」
「再会という程言葉を交わした記憶はないんですけれどね」
「はは、やっぱり私を覚えてくださっているようですね」
「そりゃあもう、私の人生で一二を争うインパクトがありましたから──いえ、そんな事実はなかったんでしたね」
 嘘じゃない。零さんとの出会いを忘れるはずがない。でもあれはなかったことになっている。くそ、なんなん目が笑ってない。なんで私がこんな目に。意味が分からない。
「ははは、そうで、っぐ」
 薄ら寒い笑みを浮かべる斎藤さんの脇腹に三井くんの肘がどすりとクリティカルヒットして呻き声をあげる。
「何があったか知らんけど、一般人威嚇すんな」
「嘘やん三井くんが普通にかっこいい」
「それ地味に貶してるよね」
「褒めてるのに」
 ごほん、と回復した斎藤さんがわざとらしい咳払いをするので視線を移す。
「大変失礼しました。私は斎藤春樹と言います」
「……進藤、悠宇です」
 冷たい声と眼差しは変わらず、本当に私が何をしたのだと聞きたい。嘘無理怖い。私からのまともな返事を諦めたのかそもそも回答すら信じる気がないのか、視線が三井くんに移動してジロリと睨めつける。
「三井、この女性とはどういう関係だ」
「……高校の同級生だよ」
 対抗する三井くんの目も冷えていく。
「それだけか? 随分仲が良いようだが?」
「別に普通だろ。しょーもないこと考えんな」
「浮いた話を一切聞かなかった三井が、女性と二人でのんでいるのに?」
「いや三人やけど」
「え」
「私と三井くんともう一人、高校の同期三人ですよ」
 私が補足すると、ぽかんとしたのも束の間、勘違いを自覚して耳が赤く染まり、さらに顔を赤くする。おい大丈夫か、ポーカーフェイスも何もないで。これ公で零さんに捻りあげられない? 察するに、私が降谷悠宇になったことを知っているらしい。公安部のエースに突然発生した妻が、旦那が身を粉にして働いているにも関わらず自分は楽しく男とのんでいる。確かに怒りたくもなるわな、と勝手に自己完結した。
「大変申し訳ございませんでした!」
 ガタガタと騒がしく立ち、体を直角に折り曲げて斎藤さんが謝罪の言葉を口にする。これ私じゃなくて零さんに謝ってるやつやんな。溜息が出そうなのを堪え、頭をあげて座るよう促して声をかける。
「……お気になさらず」
 ゆっくりと斎藤さんが座るが、気まずい沈黙が流れる。
「進藤さんってさ、何者なん?」
「何者でもないよ」
「そんな人は存在しない」
「んー、強いて言うならモブ未満ってとこかな」
 キャラクターどころじゃないという自虐を込めた軽口に苛立ったのは、意外にも斎藤さんだった。
「あなたは、自分を、そのように、評価するのですか」
 怒りが篭った声で、ああこの人は熱い人なんやなと気付いた。零さんの近くにこういう人間らしい人がいることで妙に安堵して、酔いも相まってつい笑みが零れる。確かに今の発言は零さんの隣に立つ者としてあまりに相応しくなかった。
「なぜ笑うんです」
「いえ、ふふ、他人の為に怒れる人がいて、いいなあと」
 けれど、零さんのために怒る人がいるという事実を目の当たりにして、その対象が自分であるにも関わらず心が暖かくなる。あの人は愛されている。
「俺の席がない!!」
「よっ、朝倉おかえりー!」
「お前の席ねえからー!」
「ひどい!! 泣くぞ!!」
「どうぞどうぞ」
 突然飛び込んだ悲痛な叫びに、二人で明るく返したことで空気がガラリと変わる。
 バツが悪そうに斎藤さんが立ち上がり、邪魔して悪かった、と会釈して去った。
「なんかテロみたいな人やったな」
 いや、テロから国民を守る人に今の比喩は失礼だったか。反省。
「今の誰?」
「俺の職場の知り合い」
「ふーん。明日には忘れてるな」
「一時間後にも忘れとるやろ」
 その後もあちこちに飛び回る話題の中で、近くに斎藤さんがいるのだと思うと全く酔えなくなった。警戒心が漏れたのか、その後再び朝倉が席を外した時にも、あれはシュレッダーかけたから、と一言告げられただけで手紙に関する会話は何も広がらなかった。どちらにしろもう済んだことだ。
 微妙な知り合いが店の中にいるとなんとなく会話しづらいというのは私も三井くんも同じようで、頼んだ分を食べ切ると店を出た。
「どうする? 二軒目いくか?」
「三井のおすすめのバーとかないん? 俺はこの辺わからん」
「私はパスで。二人で楽しんできて。元々その予定やったんやろ?」
「こいつと二人とかはしょっちゅうあるから気にすんな。暇なんやろ」
 肩を組まれて連行されそうになり、朝倉の腕を強めに叩いて回避する。まだ時間はあるが、これ以上アルコールを摂取したくはない。
「セクハラはんたーい」
「いってえ!」
 三井くんがいい笑顔で朝倉にヘッドロックをかけた。グッジョブ。
「カフェで酔い醒ましながら待つから、ほんまに大丈夫。ありがと」
「よっしゃ俺も行く」
「え」
「コーヒーの気分になった」
 嬉しいけど嬉しくない。朝倉、悪いけどそういう空気の読み方要らない。
「アリやな」
「三井くんまで」
 酔ったという朝倉が自販機で水を買い、さらに行く行かないの問答をすること十分、負けそうになったところで私のスマホがなった。ごめん出るわ、と一声かけて二人から離れる。耐えた。三人して指定のカフェで待つのも、他の店で時間潰して呼ばれた時に待ち合わせ場所にいないのもどちらも良くない。
「もしもし!?」
「僕だ。早く終わったんだが、のんでるんだよな。まだ店か?」
 まじか早い、どうしたん。腕時計を確認するとまだ二十二時だ。
「すみません。今一旦出たとこです」
「敬語。すぐ着くからその辺で待ってろ」
「ごめん。分かった、ありがとう」
 ございます、と心の中で付け加える。未だに時々敬語が出てしまうのは、刻み込まれたオタク魂がタメ口に反発しているんやから仕方ない。
 あとで、と通話を切って二人の所にかけ戻る。東京駅から新幹線に乗ることを考慮してその近辺でのんでいたので、考えれば警察庁は目の鼻の先だ。確かにすぐ、である。
「家主と連絡ついたわ。そやから二人で行ってきて」
「よかったやん。おっけー」
「今から電車やんな。駅の方行くからついでに送るで」
「いや、迎えに来てくれるから大丈夫」
「ここまで?」
「うん、多分車やし」
 首を傾げられ、何気なく返事をしてから東京で車を持つ同年代が少ないことに思い至った。要らんこと言ってしまったかも。これ以上何も言わずに済むよう「そんじゃまたね」と軽く手を振って会話を強制終了させ、零さんに会いやすいよう数メートル先の大通り沿いまで小走りで行く。
「おい、待てって」
 三井くんが私を追ってきて肩を掴んだ。
「女一人じゃ危ないだろ」
「ひゅー三井くんいっけめーん」
 ゆったり歩きながら茶化す朝倉を一瞬睨めつけ、私に向き直る。
「まだ十時やん。大丈夫やって」
「この辺りじゃなかったらな」
「もうすぐらしいから、ほんま大丈夫やって。構わず行ってくれたらええよ。朝倉せっかくこっち来とるんやし」
「少しくらい待ったところで変わらん」
「進藤、折れとけー」
 心配してくれている三井くんを無下にも出来ず、体の力を抜くと肩から手が離れた。
「……そんな治安悪いん?」
 ここは米花町でも杯戸町でもないのに。
「この所東都の犯罪率は高い。自衛するに越したことはないやろ」
 せやな、と心の中で盛大に同意してしまった。しかし零さんの姿は他人に極力見られたくないことに変わりはない。
「あ、だったらそこのコンビニで待ってることにする。どうせこのままじゃ泊まれへんし」
 視線を彷徨わせて見つけた通りの反対側のコンビニを示し、今度こそ撤退を決意する。一歩踏み出したが二人は着いてくるので一旦足を止める。
「女のコのお泊まりグッズ買うの、着いてくるつもりなん?」
「……すまん」
「よろしい」
 にぱっと笑って緩く敬礼し、ありがと、と伝えて青信号に変わった横断歩道を渡る。よし、撒いた。善意を無下にしちゃったし、あとでちゃんと謝っとかなあかんな。コンビニの前まできて漸く振り返って二人の姿を探す前に、随分見慣れてきた白い車が目の前にぴたりと止まった。あーあ、コンビニ寄り損ねたちゃったわ。
 通行の妨げにならないようすぐに助手席に乗り込む。スーツ姿の零さんから、やはり先程まで警察庁勤務だったのだろうと検討をつける。久々の零さんは相変わらず美しくて、一瞬言葉が詰まった。
「っ、ありがとう」
「大したことじゃない」
 シートベルトを締めると、すぐに車が動き始める。ついに零さんのお宅訪問でめちゃめちゃ緊張する。
 私のような裏切り者が、いいんかな。いつかこの人が後悔するんじゃないかと思うとここまで来たのに胃が痛くなる。私はあなたの昔馴染みで初恋の人の娘を見殺しにした女ですよ、などとは言えない。もちろん、この人の精神が誰かを憎み責めることで持ち直すのなら喜んでその役をかってでるが、そういう悲劇のヒロインぶった自虐は求められていない。ただ自分で自分の心に刃を何度も突き立てるだけ。──今日は、その夢をみないと良いんやけど。ニュースになったがために写真が出回り、宮野明美の顔を記憶してしまったその日から、時折悪夢に襲われるようになった。宮野明美が、伊達航が、そして降谷零の命が失われる夢。体に穴を開けて夥しい量の血を流し、彼女達が倒れている夢だ。どこへ行っても死体、死体、死体。私はこの罪を贖う機会などなく、その代わりの断罪のような。
「今から向かうのは正真正銘、僕の家だ。セーフハウスでも仮の姿の家でもない」
「はい」
「僕自身は安室透の家に帰ることが多いから、あまり住んでいるとは言えないんだがな。もしまたこっちに来る機会があるならホテル代わりにするといい。あまり放置しすぎるのも良くないからな、換気ということで気兼ねせず好きにしてくれ。鍵はあとで渡す」
「了解です」
 つまり家政婦さんやればいいんだな把握した。
「普通のホテルよりセキュリティが万全だしな」
 妻が適当なホテルに泊まるくらいなら目の届くところにいた方が安心ということか。うっかり事件に遭遇したら本名を晒すことになるし、誘拐でもされようものなら大惨事だ。東都で被害者にならないとどうして言えようか。
「今日はそのために、と?」
「確かに場所を教えて鍵を渡しておきたかったというものあるが、悠宇の顔を見たかったからな」
「……私も、ですよ」
 気障ったらしい零さんへの精一杯の返事だ。推しが生きてるとことを確認できるのは至上の喜びだが、この顔がいい神様にはいつまでたっても慣れない。
「半年ぶりだからな」
「はんとし」
 そっか、この人の中では半年なんか。十一月七日が過ぎたこの八月は一年が経ったような気もするし、ほんの数ヶ月の気もする。頭がおかしくなりそうで、日付を数えることをやめてしまって久しい。
「悠宇?」
「ん、なんでもない。ほんまに久しぶりやなって思っただけ。時間作ってくれてありがと」
 空白を埋めるように零さんはよく喋った。ベランダの家庭菜園や夏の風物詩の起源、甲子園の話、最近の犯罪の手口に至るまで。

「ここだ」
 都内某所聳え立つマンションの高層階が零さんの家だった。鍵を渡されて示されたドアの鍵穴に差し込み、捻る。
「お、お邪魔します」
「はは、君の家でもあるんだからそう緊張するな」
「いや無理です」
「無理じゃない。ほら、入れ」
「うぐ、ただいま、です」
「うん。おかえり」
 くすくす笑われながらそうっと足を踏み入れた室内は都心の一人暮らしとは思えない広い2LDKで、モノトーンを基調としたあまり生活感のない部屋だった。少しホコリ被っていて、ここが本当の意味で自宅だというのに、時々寝に帰るだけでほとんど帰れていないというのは事実らしい。
 複雑な思いでリビングに立って部屋を見ていると、背後からすっぽりと包まれた。さっきまではあれだけ饒舌だった人が随分静かになり、私は零さんが満足するまで数分間ぬいぐるみのようにじっとしていた。握りしめた鍵は冷たさを失い、夏の暑さと二人分の熱でじわじわと汗が滲む。
「……会いたかった」
 口元を私の耳に寄せてぽつりと零さんが呟いた。その吐息混じりの微かな声に体がビクリと反応して強ばる。これでは拒否しているみたいや、と努めて体の力を抜き、零さんに全てを預ける。ぐっと腕の力が強くなり、少しして体が離れた。
「シャワー浴びようか。こっちだ」
 するりと手が絡めとられ、浴室へと押し込まれた。

prev / next

[ back to top ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -