推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 24

 そして、原作が始まった。例のジェットコースター殺人事件がニュースになっていたのだ。それに気づいたのは昼休みのことで、予期していたはずだったのに血の気が引き、自分の精神の弱さを再確認することになった。
「どうしたん?」
「んぐ、なんでもない」
 咀嚼を止めてスマホをガン見していたことを不思議に思った隣に座る同僚が尋ねてきて、下手くそな誤魔化しをする。
「ふうん?」
 同僚は小首を傾げて流し、最後のひと口を食べて空になったカップ焼きそばをゴミ箱に捨てた。昼休みにも予約を入れている彼女が慌ただしく控え室を出ていき、取り残された私はというと、まだ半分しか食べていないお弁当の続きがどうも食べられる気がしなくて、そのまま静かに蓋を閉じた。夜にでも食べよう。
「はあ」
 溜息が出る。病院という職場の特性上、人の死に触れる機会は人より少し多い。けれど、病死と殺人は全く別物だ。怖い、と生存本能がシグナルを発する。
 診療室に戻る前、人がいないのを確認して腕時計を両手で優しく包み、額にそっと当てて心の中で唱える。大丈夫、大丈夫。絶対大丈夫。言葉には力が宿ると言うから、人生ブレイカーよろしくこのところの口癖は絶対大丈夫、だ。おいフラグとか言うな。私はこの一年を何がなんでも生きなくちゃいけない。



 防弾チョッキはスーツの中に着れるタイプのものを十五万程で入手することができている。監視カメラと盗聴器がないとの言質を信じて、今ではやりたい放題だ。それで何も聞かれていないのだから多分事実なんやろう。海外旅行者向けなどで思いの外スムーズに入手はできたのだが、これでは気づいたジンが頭を撃ち抜きかねない。そうなると手の施しようがないどころかコナンくんへの遺言がなくなる。コスプレ用の血糊などを買って腹部を撃たれた際に血が出るよう試行錯誤してみたが、こんなちゃちなものではバレてしまうのが自分でも分かった。読み漁った本は結果として何の役にも立っていない。一世一代の犯罪、と病院から輸血パックを盗むことも考えたが他部署、しかもブラック代表たる外科に忍び込むなどほぼ不可能。自分の血液を抜いてとまで考えたが、そのままだと固まってしまうし、自分一人では設備が足りない。血もない、それらしく吹き出させるのも難しく、着衣してもらえるだけの信用を得るのも困難。あれもだめ、これもだめ、と手詰まりなまま、十億円強盗事件が発生した。あかん。

 私は、罪を重ねることを決断した。



 カラン、と静まった部屋で氷とロックグラスが音を立てる。あとは寝るだけとなった金曜の夜、バーボンをちびりちびりと飲んでいた。私はリスクを負うことが出来なかった。二次創作の主人公達のような行動力はなく、先程黒い袋に入れてゴミ箱に突っ込んだ血液の模造品を思うと吐き気を催す。彼女の命より物語を阻害しないことを選んだ。幇助として立証は不可能であり起訴はされるはずもないが、暗い澱だけは着実に腹の底に溜まっていく。
「ごめんなさい」
 私にはできない。やろうともしない。
「ごめんなさい」
 どんどんあの人の隣に立てない人間になっていく。
「ごめんなさい」
 今だけは感傷的になることをどうか赦して。



「あれ、進藤なんでおるん?」
「まじか」
 この世界は戸惑う私を嘲笑う。
「あほやなー、今日土曜やで。ボケすぎちゃう? どっかで気付くやろ」
「……あ、はい。ですよね」
「混み具合とかなんか、普通あるやろ」
「あー、返す言葉もないです」
 どうしても歯切れの悪い返ししかできない。
「なあ最近、ほんまどうしたん? 元気ないこと多いやん。悩み事あるんなら聞くで?」
 絶望した。こういうパターンか。こちらを気遣う上司が異様に遠く感じた。
 寝坊した、と慌てて家を飛び出して何とか時間ギリギリに職場に滑り込んだ。そのはずだった。音を立てて勢いよくドアを開けると、職場に休日外来の当番らしい上司が一人いただけで、ぽかんとすると、同じくぽかんとした上司に声をかけられたのだ。
「すみません、大丈夫です」
「ほんまに?」
 はい、と項垂れて返事をする。
「そんな落ち込まんでも。恥ずかしいんは分かったから、誰にも言わんとくって」
「ありがとうございます……帰ります……」
 水曜の次が土曜ってどういうことや。

 そこからどう帰ったかはよく覚えていない。それほど虚ろなまま帰宅し、ソファに荷物を放ってお気に入りのアッサムを淹れていた。リモコンでテレビをつければ土日にやるニュース番組で、それでも報道するニュースの内容は昨日の続き。メッセージアプリの会話も昨日のこと。ごくりと唾を飲んで、鞄からスケジュール帳を引っ張り出して紅茶と並べて机の上に置いた。深呼吸してそれを開くと、見慣れた自分の字で書いた予定は、記憶と違う日に移り変わっていた。それを一つ一つスマホの示す今日から辿って確認していく。その今日の予定は出勤ではなく、ジム行けるか? と書かれていた。
「なに、これ」
 頭をぶん殴られた気分だ。心臓はドクドクとうるさく、口の中はカラカラになって眩暈がする。世界が揺らいで、自分がどこにいるのか分からなくなる。何がどうなってんの。
 あの人はどうなってるんやろ。
 混乱したままスマホを手にして零さんの電話番号を打ち込み、ワンコールしたところで我に返って切った。仕事の邪魔して、どうする。パシリと自分の頬をひっぱたいた。阿呆、しゃんとしろ。
 落ち着かないままジムの予定をなくして、他に気づいている人はいないかとSNSのチェックをしながらニュースを流し続けて、何も得られないままソファに体育座りして頭を抱えた。

 何もやれずに蹲ったまま一時間以上が過ぎたあと、零さんから電話がかかってきた。早いな、と眉を顰めて深呼吸し、三コール目でとる。
「悠宇? どうした?」
 少し焦った声に、失敗したなと思った。
「すみません」
「君からの電話は初めてだ。何かあったんだろ」
「その、間違え、ちゃって」
 いくらなんでも苦しい言い訳になった。
「入力しなきゃいけないのにどうやって間違えるんだ」
「ごめんなさい」
「本当にどうしたんだ。何があった?」
 即座に謝るが、気遣う声に胸が苦しくなる。
 変なこと聞くけど、と前置きをして落ち着いた声を繕って問いかける。
「……零さんは、変わったこと、ない?」
「どういうことだ?」
 声が僅かに鋭さを帯びる。休みなんて零さんにないんやから、これだと仕事を探っているとも取られてもおかしくないかも。あかん、抽象的すぎる。
「ごめんなさい。なんか、不安になっちゃって。その、元気かなって」
「元気だ。特段変わったこともない」
 途切れ途切れの言葉を無理矢理吐き出すと、凪いだ声が返ってきた。どうしよう、不要な心配させちゃってるやんな。
「そか、良かった」
 気づいていないことは零さんの悩み事が増えていないことを意味するようで嬉しくて、でも孤独だ。
「ごめん、うたた寝してたら悪い夢みちゃってつい」
「それで電話をかけてくる君じゃないだろう」
 洞察力に長けているこの人は、私の事なんかお見通しだ。
「めっちゃ悪い夢だったから」
「どんな?」
「えーっと、なんか、うん」
 言葉に詰まる。その場凌ぎの嘘で、まだぐちゃぐちゃの頭では夢の詳細は出てこなくて、愛想笑いになる。
「嘘だな?」
「ごめんなさい……」
「認めたな。それで?」
「ごめんなさい、なんでもない。もう仕事の邪魔しないから」
「そういう話じゃないだろ。出れるか分からないが、何かあれば連絡ぐらいしろ。そこを躊躇うな」
「ごめんなさい、ほんまになんでもないんよ」
「頑なだな」
 零さんが小さく溜息をつく。何か言わないと、仕事で呼ばれない限り零さんは引き下がってくれないなと今までのパターンから分かる。この状態から電話をかけられるということは、きっとある程度のまとまった時間を生み出したんやろうし。
「お願いがあるんですけど。その、大丈夫って言ってくれませんか」
 意図を探る十秒が過ぎて、大丈夫だ、と零さんの強い声が届いた。
「ありがとうございます」
「無理をするなよ」
「零さんこそ」
 大丈夫、大丈夫。零さんも、私も、絶対大丈夫。

 その日を皮切りに、曜日も日付も、季節すらよく飛んだ。進むこともあれば戻ることもある。しかしそれを疑問に思ってる人は誰もいないようだ。同僚も、上司も、友達も、家族も。それから零さんも。何も思っていない。何も気付いていない。日が飛んでもそれは昨日の続きに他ならず、昨日言ったやん、などと知らぬ業務を指摘されるようなこともなかった。
 まずはスケジュール帳をウィークリーからデイリーに変えた。細かく書くことにして、予定と、日記のような記録を認める。それから、起床時間を一時間早くして、土日平日関係なく同じ時間に起きるようにした。日が飛んだ時にはニュースをしっかり見てからいつもより早く出勤して、業務を確認する。季節が飛ぶと服装も考えないとならないので、断捨離を敢行してクローゼットをすっきりさせ、衣替えを不要にした。
 麻生成実は自殺し、みんなのトラウマ図書館殺人事件が過ぎ、主人公は怪盗キッドと対峙し、浪速の連続殺人事件に怯えた。
 一体何日が過ぎたかも分からないこの一年で黒ずくめの組織の動きは活発らしく、電話はするものの一度も零さんの顔を見れずに何もできないまま時が流れ、ついに十一月七日の事件が解決した。直後の電話では零さんがいつもより饒舌な気がした。

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