推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 23

「ごちそうさまでした。梓ちゃんありがと、おいしかった!」
 今回は長居する余裕もないので食事だけはしっかり味わい、すぐにカウンター席から立ち上がった。アドレスゲットしたし、お腹いっぱいだし。頭が痛い手続きの嵐をこれで乗り切れるわ。可愛いは正義。つまり梓ちゃんは大正義。
「ふふ、悠宇さんはいつも美味しそうに食べてくださるので作り甲斐があります」
 んんっ、それは美味しさ半分、目の前の美女半分のにやけです不純でごめんなさい。
「そうかな」
「そうですよ」
「まあ梓ちゃんが笑ってくれるからええわ」
 ドヤ顔で言うと梓ちゃんがもうっ、と頬を膨らませて、それから笑った。
「お会計ですか? 今日は早いんですね」
 遠いんですからもっとゆっくりしてくれていいのに、と唇を尖らせながらレジに向かう。
「実は今回はちょっとバタバタしてて」
「あら、お仕事の合間だったんですか?」
「まあちょっと色々」
「なんだか大変ですねえ」
 ミスなく入力されたのを確認してお金を支払う。お釣りは要らねえぜ、って気分やけどご迷惑になるので割愛。もっとポアロに貢献したい人生だった。
「ま、今回に限っては好きで忙しいだけやし。しばらくポアロに来れなさそうなのが淋しくって、今日は来ちゃったけど」
 しばらくどころか、一生という可能性だってある。あむあず時空になったとして、ポアロに通えるほど図太くはない。確実に気まずいやん。私は幸せカップル見れるからええけど、絶対二人気にするもんなあ。
 降谷零さんの本当の幸せって、なんなんやろ。主観的なものを客観的に見出して導くって難易度鬼やん。
「ばいばい、あず──、」
 別れの言葉をかけようとしたところで、カランとドアが開いた。入ってきたのは、オールバックとちょび髭がトレードマークで、今は草臥れたスーツと無精髭の男。毛利小五郎だった。
「あ、え、」
 ここは毛利探偵事務所の真下で、いつ会ってもおかしくない。そんなことは分かっていたはずやったのに、動揺した。
「いらっしゃいませ」
「おー、梓ちゃん」
 ……いや、よそう。私がどうこうする領域じゃない。お調子者で迷探偵と揶揄されていた彼だが、決してそれだけではないのだ。家族が大切で、子供は子供で守るべき対象としてみていて、謎だってピースがあればそれを繋げられる論理性もあるし、刑事時代に培った観察眼なども侮れない。つまり、下手に動いて警戒される方がよっぽど不味い。そしてどうしてもとなれば、依頼だと言って殴り込むことのできる相手でもある。
「じゃあね、梓ちゃん」
 次なる客に気を取られた看板娘に軽く声をかけてするりと退店した。もとい、逃げ出した。



「はい、確かに承りました」
「よろしくお願いします」
 走り回ってなんとか無事に、手続きを終えたのは火曜の夕方だった。財布に入った降谷悠宇と書かれた免許証やキャッシュカードがなんとも畏れ多い。ネタ的存在と思っていた降谷判子も、正真正銘、実用的な物として入手している。
 現状をどう説明したものかと考えていれば月日は流れ、結局職場では事務手続きの関係者、それと一人の上司を除いて結婚の事実を報告しないまま当日が過ぎた。さすがに所属部署のトップには年度末に伝えたが、そうですかの一言だった。クールだった。ドラマなんかでいるような特別フランクな人でもないし、忙しい人なんやから気にしてらんないよね、というのが感想だ。兎にも角にも他人にあれこれ聞かれるのはとても面倒だ。答えられないのだから。人の口に戸口は立てられないというくらいだ、そのうち事務の方からかどっからか漏れるんやし、率先して言う必要はない。そこからただならぬ空気を察してくれて職務中に気軽に聞かれることも、飲み会不参加の私が問い質されることもしばらくないというのは些か楽観的すぎるか。希望はさておき、大切なのは時間稼ぎである。振り返れば一年せいぜいと言われる期間の我慢なんだろうから。
 それでも、明日の出勤は憂鬱でしかない。

 まだ慣れない広い部屋に帰って二人がけの新しいソファに転がる。手続き無事完了、と一言だけの事務的なメールを零さんに送信した。それから帰り道に買ってきたバーボンウイスキーをグラスに注いでストレートで煽った。降谷悠宇になって最初のお酒は、やっぱりバーボンとしたものだろう。しかし分かっていたことではあるが私には濃くて、顔を顰める。それから、そのバーボンを使ってハイボールを作った。
「ん、うまっ」
 飲み会を控えるようになって一気に飲酒の機会が減り、こうして時々一人で晩酌をするようになった。軽く飲みながら料理をしたり、映画をみたりと久々の一人のゆったりとした時間を満喫してしまっている。情報収集というのはこんなにもエネルギーを使ってたんか、と自分に生まれたゆとりから気付いた。思いの外、追い詰められていたらしい。しかし辞めたのはあくまで飲み会参加であり、その他の素面で居られるものには相変わらず積極的に参加している。それでも、探偵安室透と探り屋バーボンを思って胃が死んだ。
 ハイボール片手に簡単なツマミを作り、日記帳を捲りながら食べて飲んだ。空腹時から摂取したアルコールがもう回っていて、ふわふわして気分がいい。セキュリティと防音のしっかりした部屋で、鼻歌を歌う。もちろんとも言うべきか、今日は彼の名前がタイトルの曲だ。ペンギンちゃんが発信機だと分かって、見られて聞かれているという心配がなくなったのは大きい。今までのようにペンギンちゃんを棚の奥にしまうことなく、心置き無く計画をたてられるし、この世界にはない歌を歌える。
 ああそうや、ペンギンちゃんと言えばそろそろ充電しないと。身を守るためにと言われてペンギンちゃんは未だにスマホにくっついていて、時々自分で充電している。傍からは奇異に映ることは間違いないが、私はそれで零さんの負担が減るなら安心が買えるならと納得したし、満足している。
 次なる私の目標として浮かんだのは、宮野明美の生存ルートを作ることだ。記憶にあるのはジンに銃殺されること、十億円強盗事件の犯人であること、宮野志保の姉であること、諸星大を名乗った恋人たる赤井秀一のこと、それから降谷零と面識があること。ここには大きな問題がある。宮野明美の死があったからこそ、灰原哀は江戸川コナンに近づき、結果として良き相棒となったと記憶している。灰原哀がいなければストーリーは大きく原作から外れ、黒ずくめの組織の壊滅を著しく遅らせることになる。それはつまり、潜入捜査が長引くということだ。
 とすれば、私の取るべき行動の選択肢は二つだ。ひとつめ、ジンと江戸川コナンの目を欺いて絶命したかに見せて極秘裏に宮野明美を救済し、降谷零経由で保護して以降の原作軸において登場させない。それからふたつめ、なにもしない。
「あー」
 また、難易度の高い話だ。呆けた声を出して半分ほど残ったハイボールを一気に飲み干した。すぐに重い腰をあげてもう一杯ハイボールを作り、再びソファに沈んでゲンドウポーズ。
「一ヶ月半でなんも進んでへん」
 三月からは手続きと並列してこの難問に取り組んでいたのだが、さっぱり解が見つからない。解き方も浮かばない。なんの掛け値なしに凡人たる私には、せめて時間が必要なのだ。伊達さんと同時進行で計画を立てていなかった自分を恨んだ。時間があったところで名案が浮かぶとも思えないがないよりずっといい。原作はいつ始まってもおかしくないし、この事件は相当序盤のはず。
 本を読んで知識を求めた。人の集まる所に顔を出して情報を求めた。見えないゴールに向けて進むことに限界を感じた。知識も、情報も、繋がりも、このままでは取捨選択ができない。全てを取り入れるだけのキャパシティなどない。
「阿笠博士が知り合いやったらええのに」
 何度も考えた。私がどこぞの令嬢なら金にものを言わせて血が吹き出す防弾チョッキを作っておいて、十億円強盗事件直後から毛利探偵事務所の前に人を張り付かせる。そこからは宮野明美に如何に敵ではないと信じて貰えるかだ。そんな金はない。言葉で説得できる相手もいない。泣き落としなんて言わずもがなだ。そんな夢物語は、散々考えた。あかん、酔いが変な方にいってる。前向きにならなければ。
 日記帳のそのページを睨んでも、なにが変わるでもない。震えたスマホが梓ちゃんからのメッセージを知らせた。今なんでもない会話を続ける気にはなれず、あとで返事をしようと画面を落とす。しかし手が離れるより前にまた明かりがついた。ああもう、今度は誰や。
「う、わっ」
 驚いて手が滑り、スマホが落ちそうになった。見慣れた文字列が並ぶ。
「もしもし? 零さん?」
「──ああ。悠宇、手続き終わったんだな」
「はい。あ、いや、えーと、うん。うん!」
 敬語を無理矢理修正したのがあからさまになり、笑われてしまった。
「笑わなくてもいいじゃない」
 語尾のですか、はなんとか飲み込む。え、まだバレとる?
「くく、こっちも全部終わったよ」
 全部、というのは公安の方への報告もということだろう。かざみんありがとう、と心の中で労っておいた。できることなら美味しいチョコレートを送りたい。住所教えてください。推しの支えを支えたい。こんなタイトルありそうやな、じゃなくて。
「ここ数日、大変だったろう」
 それは風見さんに言ってあげてください。いや、それはそれで風見さんがキョドりそうやな。降谷さん、今何徹目ですかってなっちゃう。偏見に基づくただのイメージやけど。
「そーでもない、よ」
 ふ、とまた笑う。神と崇める推しへの敬語を崩すとかモブオタクには畏れ多すぎてハードル高すぎんだよ分かれ察しろその素敵な頭脳で。かっこオタク特有の早口言葉、かっことじ、なんて。
 この人は、本当によく笑うなあ。よく笑う人で、多分きっとよく怒る人。感情豊かな人。大人になって公安になって自分を封じて目標のために生きてるけど、この世界にとって取るに足りない私にくらい、もっと自分勝手でいてくれたらええのに、といつも思う。
 アルコールのせいかいつものことか、思考が散らばる。
「そうか?」
「ほんまやって。お気に入りの店の可愛い看板娘と友達になれたし最っ高」
 一応ちょっとした伏線くらい張っておくもんやろ。
「なんだそれは」
「いいでしょー、めっちゃ可愛いんですよー、マジ天使。貢ぎたい」
「敬語。怪しい店じゃないだろうな」
「ん、ただの喫茶店やでー」
「ホォー、喫茶店か」
 ここにきてホォーいただきました。油断してた録音してない。ふふ、と笑い声がつい漏れた。
「のんでるのか?」
「あれ、バレました?」
「テンションが高いし素面の時より饒舌だからな」
「そんな分かりやすいんかなー」
「ああ」
「お見通しだぜ、みたいな感じですね。洞察力すごい。零さん扮する私立探偵、めっちゃ事件解決してそう……」
「はは、そうでもないさ」
 いやいやそんなことありそうな口調やなあ。
「それはそうと、どんな部屋になったんだ? ダブルベッドにしたんだったな。悠宇のことだからリビングの炬燵はそのままでソファを買ったかな。キッチンはガスからIHに変わったから、調理器具は一新しただろう。色は君の好きな淡いブルーか白だな。あとは本が溢れていたから本棚を追加したってところか」
「……監視カメラついてましたっけこの部屋」
「ちょっとした推理さ」
 推理とは。合いすぎて怖い。

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