推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ #2

「彩、ちょっといいか?」
 勤務明けの寝食を経て回復した彩に声をかけたのは、あれから一ヶ月ほど経った頃だ。
「なんだ?」
 家主の目の前に正座すると、彩は飲みかけたコーヒーと開いていた本をテーブルに置き、姿勢こそ胡座のままだが真面目な顔つきになる。
「……そろそろ、同僚に接触したい」
 申告は即座に却下されることを覚悟したが、具体的に話せ、と険しい顔で続きを促された。
「一ヶ月もあれば組織の方もオレの処理は完了しただろう。オレの生存と得た情報を共有したい」
 彩は冷えた視線で小さく息を吸った。
「誰に、どういうルートで、どういう内容を伝えるんだ? それに伴うリスクは? お前の情報をリークしたやつじゃないって確証はどう得る? その算段はついたのか? そもそもお前が公安に与えられる情報ってどの程度有益なんだ? 同じ組織に潜入している人間は知らない情報なのか? だとしたら何故情報共有してこなかった? 知っている情報なら必要はないんじゃないのか?」
「そ、それは……」
「今からアクションを起こすとして、わざわざ生きてるという一番のカードを切る段階か? 今その必要があるのか? 得意分野で能力を発揮する環境が欲しい、可能性がなんて不確かなことは言うなよ。
 それは今、本当に最優先すべき事項か?」
 矢継ぎ早の問いに返す言葉もなかった。
「焦る気持ちは分かる。正直、俺も結構焦ってる。『核』も見つからないし、いつどう転ぶか分からない現状は怖い。しかも、それがおそらく俺の親しい人間や」
 意外な言葉に目を瞬かせた。全然そうは見えなかった。
「だからこそ不容易なことはできない。もちろん足は止められない。ゆっくり急げ、だ」
 口角を釣り上げる男に、友人の姿が重なった。焦りは最大のトラップ、とアイツは言っていたな。
「……ごめん、彩。視野が狭まってた」
「いや、俺もちょっと言葉キツかった。ただ、ぶつけてくれたことは助かったよ。溜められて突然行動されるより百倍いい」
 そう笑って、今度こそコーヒーを飲んだ。
「『核』探し、難航してるんだな」
「ああ。俺なら事前情報なく世界が変わってたら、すぐ仲間探しするところなんやけどな」
「ネットにそれらしき書き込みなし。慎重なのか、気付いてないのか」
「気付くやろな。人が消えたり、建物の名前が変わったり」と即答する。
「けど紅子ちゃんは魔女だったから、特殊だろ? 東京タワーと東都タワーとか……こっちに居ない人間なら有り得ない話じゃない」
「いや、気付く」
 眉間に皺を寄せてきっぱりと断言した。
「警視庁公安部の斎藤って分かるか? 翼の一つ下」
「ってことは彩の同期か。斎藤……斎藤春樹か? 一緒に作戦に出たことがある」
 確か随分とゼロを慕っていたから、その点でもよく覚えている。
「あんなやつ、警察学校の同期にはいなかった。増えたんだよ」
「へ?」
 理解が遅れてぽかんと彩を見つめる。
「……お前、まさか千人近い同期を全員覚えているのか?」
「まさか。ただ、同じ教場やったらしく随分気安く声をかけてきた。公安部だぞ? 同じ教場の成績優秀者なら、顔なり名前なりに多少の覚えがあるやろ。それがない。そういうことだ」
 静かに告げる彩の瞳は冷めきっていた。
「知らないやつに、知り合いみたいに声をかけられる……か」
「まさかそれが一人で済むとも考え難いしな」
 間違っているのはオレか、世界か。彩がいかに特異な存在かを知らしめられ、膝に置いた手に力が入って爪が掌に食い込む。
 同居人の機微に、全然、気付かなかった。
「あと今日はハンバーグ食べたい」
「そんな他にもいましたくらいの深刻な文脈で言うなよ。それと今ひき肉ねえから」
 脱力し、話題の幕引きに同意する。
「しゃーないな、買ってくるか……」
「脂身の少なめの合い挽き肉だぞ」
「了解。他に注意事項は?」
 自炊の習慣のなかった男に、切り替えてあれこれと注文をつける。流石に塩と砂糖、キャベツとレタスを間違えるようなテンプレ料理下手は発揮しないものの、食材を選ぶ目利きはまったくない。傷みかけの玉ねぎやまだ青さの残るトマトなんかを平然と、気付かず買ってくる。それを軽く指摘すると、面倒くさがるかと思いきや、どうせ食べるならうまいものが食いたい、という主義のもとむしろ積極性を示した。自炊をしてこなかったのも、買う方がうまい、一人暮らしで味とバランスを考慮すればコスパはむしろ悪い、時間もかかる、という理由だった。納得した。
 つまるところ、突然始まったにも関わらず、関係性は拍子抜けするほど良好だった。議論はあっても口論一つなかった。

 スーパーに出かけた彩をにこりと見送り、肩を落として一人反省会を開催する。
 発言の一つ一つが迂闊だったと思う。
「背中を預けあえるようになるにはまだかかりそうだな……」
 彩は私生活に大雑把な点はあれど、目的が定まれば丹念で綿密な計画を練る。その多角的な視点と情報収集能力には目を見張るものがある。そして今のように心情を隠すことにも長けている。身体能力に関しては未だ詳らかにされてはいない所も多いが、雑談の中で大学時代からパルクールを会得していることが明らかとなったので、優れているのだろう。そんなつまらない嘘をつく人間じゃなさそうだしな。ここまで来れば、斎藤が優秀な彼を記憶していたことも納得がいく。公安に引き抜かれなかった理由はやはり精神面だろうか。警察という職業に誇りはないらしい。
 妹至上主義の為、オレの同居に関しては、彼女にいかに違和感なく認知されるかという戦いらしい。まだしばらくは根回し段階だ。俺が誰かと同居するタイプに見えるか、と聞かれた時には即座に否定した。突然そんなことになれば怪しまれるのは必至、なのでじわじわと情報を流していくのだと聞いている。最近「うっかり」翼という名前をこぼしたところだという。早くても四月らしい。妹への対応が入念過ぎてちょっと引いた。その間に突発東京訪問がないことだけを切に祈っている。冗談じゃなく消されそう。

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