推しに尽くしたい話 | ナノ


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 初めて会ったのは、部下の不注意の時だ。他国のテロリストと繋がっている爆弾予告犯を捉えたが、逃走した。そして、偶然居合わせた僕が再度確保する現場を目撃された。そもそもこんな裏路地を通る必要性がなく、そもそもそういった場所を選んで爆弾予告犯を捉えていたのだから、何も見てないとあからさまな嘘をつく様を警戒した。尋問するにも誰かに聞かれては面倒だし、万が一逃げられる訳にもいかない。話せる所に移動する道すがら、沈黙に耐えかねたらしく、呆れたことに警察という言葉を鵜呑みにして身分証で潔白を示そうとした。──最も、潜入捜査官のため警察手帳を持ち合わせていない僕に掲示を求められると不都合なのだが。
 住所と職場を記憶して返却する。どうにも後暗いことなどない一般人のようで、口止め程度ならと手近な僕の車に誘導する。助手席のドアを開ければ躊躇ったものの一瞬で、丁寧にも一声掛けて乗車したのには流石に危機管理能力のなさにいっそ心配になった。ただでさえ予想外の行動に、そこからはさらに斜め上の発言をするのだ。まるで、こちらの都合が分かったかのような、それでいて厄介事に関わりたくない一般人ですと言い張るような。結局幾つか質問したがどちらともとれず処遇を決めかね、本拠地を大阪とするらしいので引き伸ばすためにも質問と移動に紛れて携帯電話を抜き取っておく。
 赤信号での停車中とはいえ突然飛び出した時は完全にやられたと思ったが、すぐに勘違いだと分かった。その正義感から人命救助に駆け出したのと判明して安堵した。例え医者でも、休日にこういった事態に居合わせた時には名乗り出ない人も決して少なくない。条件が悪く成功する確率は必ずしも高くないというのに、不成功の際に、その善意を非難や時に訴訟で返す者もいるからだ。そして群衆もまた非常事態に動揺し、率先して助ける者はいない。降谷零として目立つことは好ましくないが、時期に疲労が伺え放ってはおけなかった。

 騒ぎを抜け出した僕の手元には携帯電話が残った。旅先にも関わらずしばらく使おうとされなかった電話が鳴ったのは、数時間後のことだ。待ち合わせは僕が指定したにも関わらず、芋づる式に出てきた案件で予想外に時間を取られてしまい、事後処理を部下に押し付けたものの一時間もの遅刻をした。既にお人好しと判断しているので遅刻に他意はなかったのだが、再会を望まない口ぶりについ軽口を叩いてしまった。それから、妙に理解が早く善人であるのだから何となく惜しくなった。あとから考えれば四徹を経て判断能力が鈍っていたのだろうが、この時ばかりは想定外の仕事を増やした部下に感謝した。そういった経緯の軽はずみな思考で試しに連絡先を教えたが覚えて廃棄しろ、という通常では考えられない指示をすると、さも当然かのごとく従い、受け容れる。一体何がそうさせるのか、微かに興味が沸いた。監視の目を付ける算段を付けながら、何でもいいから連絡しろと伝えれば、何故かそのタイミングで猜疑心を出した。やっと働いたセンサーに溜息が出そうになりながら名前を教えてやる。そのままもう少し為人を把握したかったのだが、事後処理中のトラブルで部下に呼ばれてしまった。



 偶然メールが届いた瞬間に自室にいたので、ふと思い立って電話をして、メールでは分からないニュアンスを知るため近況を問い、安室透を意識した優しい口調で話を聞き出す。平和だと笑い、何故か感謝された。他愛もない話に妙に心が安らぐ。こういう人の日常を守るために命をかけているんだと強く感じた。
 部下からの報告と併せても機密を漏らした気配は一切なく、むしろ努力家でお人好しで、責任感が強く、そして嘘が苦手だという好意的なプロファイルが積み重なっていった。基本情報としては、独身の一人暮らしで職場関係は良好。監視中の最も近しい人物は大学時代からの友人で、現在恋人はいない。実家との関係も良い模様。不穏な何かの気配は微塵もなく、どんどん好ましい人物と分かって、間もなく監視の目を外した。

 面識率の関係で、とある集会が行われる関西に出向くことになった。潜入捜査官の身であるから、安室透への依頼の関係でその場にいるという体裁になっている。奇しくもそれはクリスマスで、向こうに宿泊する手筈になっていた。何かついではなかったかと思案したところでふと思い出して、久々に電話をかけてみた。出なければそれまで程度で期待はしていなかったのだが、すぐに通話は繋がった。

 そこからの数日は東都を離れるために慌ただしく連絡どころではなかったし、逆にメールも来なかった。当日の夜に差し掛かってやっと目処がついて検討をつけていた店に呼び出す。今度はゆとりがあると思ってもう一つ要件を済ませてしまおうとしたのが良くなかったのか、当てが外れて結局またもや遅刻をすることになってしまった。慌てて店に入った頃にはグラスの半分以上があいていた。コードネームであるバーボンベースのカクテルという偶然に少しどきりとしたが、悪い気はしなかった。
 弱いと言いながら僕がすすめるままに酒をのみ、あっという間に顔を赤く染め、何がおかしいのかこちらを見つめてはずっとゆるく締まりのない笑みを浮かべるようになった。それが新鮮で、しかし飲み方の分からない学生でもあるまいしと好きにさせていると、次第に舌っ足らずに話すようになった。そしてひたすら僕を褒めるものだからそれはもう、たまったものじゃない。すごい人という雑な褒め言葉には欠片も嘘はなく、どうも単に集約した結果だったらしい。
 多方面に手を伸ばして高みを目指す姿は報告にあったが、それはこの所際立っているという事実関係の少し曖昧な情報も耳にしていた。どんどん移り変わる話題から引き出したことから察するに、それは真実らしいと確信に変わる。けれど何が目標でそんなにも自己研鑽と奉仕の日々を送るのかが分からなかった。結果はあるのに、それらしい原因が見当たらない。随分と饒舌で酔いが回っており、その「すごい人」の質問には何でも答えそうな雰囲気を醸していた。僕は愛するこの国のためにある。だったら、と質問をぶつけた。
「君が頑張る理由はなんだ?」
「推しに尽くしたい」
 唐突に笑みが消え去り、まっすぐ強い瞳で僕を見据え、はっきりと言った。
 端的に言ってしまえば、惹き込まれた。上気した頬と真剣な眼差しに告白を受けたかのような錯覚を起こし、酔っ払い相手にも関わらず必死に誤魔化しつつ水を頼んで飲ませた。動揺は去ったはずが、気付けばその後の会話の流れで名前で呼んでいいかなどと尋ねて距離を詰めようとしていた。まっすぐ見据える視線の先にいて、あの熱の篭った瞳を向けられたいと思ってしまっている自分がいた。

 あまり聞き慣れない推しという言葉を後で確認すれば、推しメンの略で、主にアイドルなどに使う一番応援している人のことらしい。しかしその口からそれらしい対象を聞いたこともなければ、親しくなっても一行に見つかる気配がない。そもそもCDを買うでもグッズを買うでもなく、何故それが尽くすことになるのかさっぱり理解が及ばない。敵が分からない以上、その推しとやらをどうやって超えればいいのか分からず途方に暮れた。
 人生観の根底にあるらしい何かは、恐ろしいまでにその片鱗すら姿を現さなかった。距離が縮まるごとに思い出すことが減ったものの、「推し」なる存在の謎は心の端に引っかかり続けた。



 僕がその推しだと知ったのは初めて会ってから実に五年も経ってからだった。それも絶対に口を割らないのに痺れを切らした僕が、名実共に妻となったのをいいことに、あの時のように甘い酒で酔わせて、である。
「だってー、零さんの目線に、少しでも近付きたかったんやもん。そやないと、かみさまみたいな人のお手伝いなんか、できへんやんか」

 ──推しに尽くしたい彼女の話。

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