推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 8

 悠宇さんは僕の送った発信機付きのストラップを素直にずっとつけてくれているらしい。勤務先であったり、自宅であったり、スーパーであったりと日々移動している。あの場では喜びつつもすぐに外されてしまったらどうしようかと思っていたが、杞憂だったようだ。僕に似ている、と笑ったそれをずっと付けていてくれるのは、確認する度に正直ぐっとくるものがある。
 最初の一週間は身につけていることを確認するため毎日チェックしていたが、それからは一気に頻度を落とし、素知らぬ顔でメールでのやり取りを続けた。



 三連休の中日ともなれば、紅葉の時期を迎えた観光地は人で溢れ返っていた。老若男女の浮かれた雰囲気を感じ取りつつ、雑踏に紛れて標的同士の接触を確認する。やり取りを記録し、その後も標的の片方を尾行し、視界の端に映る程度の遠距離からの監視を継続する。組織関係の為、自分で直接監視しなければならない。このところバーボンの活動が面白くないのだろう、一部のネームドの目が厳しいのが実状だ。
 公園から百貨店、レストランと移動する標的尾行を終えた頃にはとっぷりと日が暮れていた。一息ついて、車内でケータイをチェックする。数日ぶりに悠宇さんからメールが届いていた。美味しそうなラーメンの写真にくぅと腹が鳴り、時間を考えてハンドルに突っ伏した。どこの店だろう。彼女がわざわざ送ってくるということは、旅先かもしれないな。



 翌朝に届いていた返事を見たのは夕方、本庁での仕事に区切りをつけた時だ。
「……杯戸町?」
 悠宇さん、こっちに来ていたのか。確認のメールを送信して、パソコンを操作して発信機を確認すると、東都にあるショッピングモールを示していた。
 パソコンを閉じて、迅速な退勤を決意する。このところ働き通しだったし、本来今日は出勤日ではない。バーボンとしての活動のために滞っていた業務を片付けに来ただけだ。所謂休日出勤である。足早に廊下を歩きながら、わざわざこっちに来ているのであれば一人とというより誰かと一緒だろうし、一人旅だとしても彼女の交友関係を思えば単独行動とは考えにくい。それでも、遠くからでも彼女の笑顔を見ればまた頑張れる気がして、足は止まらない。
 案の定、友達に会いに来たという彼女の返信があったが、車に辿り着くと一縷の望みにかけて電話をした。
 たったの二コール。それが声を聞くのにかかった時間だ。
「もしもし?」
「僕だ」
「はい」
 出るとは思わなかった、と率直な感想を述べると彼女は少し呆れたように笑う。
「なんでかけたんですか」
「ダメ元で、だな。友人といるかと思ったからな。この後の予定は?」
 偶然にも一人になっているという彼女にいっそ運命的な力を感じつつ、会う約束を取り付けた。顔色が悪ければ帰らせようとする彼女に、昨晩仮眠を取っておいてよかったと自らの行動を賞賛した。その直後に、夕飯時だというのに昼食を食べたのが三時頃で、大して空腹でもないことを思い出して間が悪いなと思ったが、致し方ない。食べれないというほどでは無いのだ。
「すぐそっちに行く」
 通話を切ってエンジンをかけ、彼女の元へ向かいつつ、今晩呼び出されうる仕事がないことを再確認した。電話を入れたことで、よくできた部下である風見は余程のことがない限りと言い出してくれたのだが、私的な理由であるとも返せずありがとうと頷いておいた。今度労うとしよう。
 駐車場を出てから、行くと言ったものの彼女の口から現在地を聞き出していないことを思い出して確認の電話をかけると、苦笑いでショッピングモールの名前を挙げた。車で行く旨と凡その所要時間を伝えて、通話を切った。
 今日で悠宇さんに会ってちょうど一年だ。浮かれている自覚はある。



 休日のショッピングモールは混雑している。ロータリーにゆっくりと入って少ししたところで、黒のハイネックニットにグレンチェックのスラックス、トレンチコートというスタイルの目当ての人物を見つけた。ミニショルダーに加えてボストンバッグを持っているので、昨晩のホテルはチェックアウトしたのだろう。こちらには気付いていないようなので、一時停車して車を降りた。
 近付く途中でこちらに気付いたようで、その途端に顔を綻ばせた。
「今晩は、降谷さん」
 嬉しそうに僕に駆け寄ってくる。
「悠宇さん、今晩は」
 彼女の手から旅行用のボストンバッグを預かり、一声かけてトランクに入れて助手席に促した。
「お願いします」
「うん」
 運転席に乗り込み、あてはないが邪魔になるので取り敢えず発車する。
「どこに行く予定だったんだ? 何が食べたい?」
 彼女も空腹度合いは僕と似たり寄ったりだったので、ならばと慣れ親しんだ和食居酒屋に連れていくことにした。店に駐車場はないので、いつも通り近くのコインパーキングに車を停める。
「こっちだ」
「は、はい」
 少し緊張した面持ちできょろきょろと当たりを見回す彼女を道案内する。今までと雰囲気を変えて、大衆居酒屋に類する店だ。
「ここですか?」
「ああ、そうだ」
 少し意外そうだが、落胆ではなく、脱力が近い。女性はああいう店が好みだと思っていたが、存外こういう方が気楽でいいということだろう。雰囲気外面ばかりを気にする人間ではないことは知っているつもりだが、いざ反応を見るとほっとする。
 からりと引戸を開けて店を覗き込むと、馴染みの女将が僕に気付いて、いつものカウンターを勧めた。
 女将に僕のジャケットとトレンチコートを預け、並んで席に着いた。背後は飲み会席でこの店にしては騒々しいが、内輪でやっているだけなのでこっちに飛び火することがないのならいい。
「何飲む? 日本酒?」
「えっ、いや、でも車……」
「僕のことは気にするな。日本酒? それとも果実酒?」
 ラミネート加工されただけの少し年季の入ったドリンクメニューを彼女に見せる。
「ええと、じゃあ梅酒にしようかなあ……うん。梅酒のソーダ割りにします」
「分かった」
 顔を上げるとちょうど女将がおしぼりと取り皿を持ってくるところで、梅酒とウーロン茶を注文した。
「あとだし巻き玉子と……悠宇さん何かあるか?」
「茄子の煮浸しが食べたいです」
「いいな。今日のおすすめは?」
「そうだねえ、今日ならアジの梅味噌叩きかねえ」
 女将が限定メニューの黒板を指して言う。
「ならそれも一つ。取り敢えず以上で」
「かしこまりました。飲み物すぐ用意するね」
「ありがとう」
 適当に頼んだあとで、メニューを熟読して、額を付き合わせてこのあとどれを頼むか相談した。お通しのひじきの煮物ドリンクと交換で、蛸の唐揚げなどを追加注文をする。
「それじゃ、乾杯」
「ウーロン茶ですけどね。今日も一日お疲れ様でした」
 くすと笑い、グラスを持ち上げた。箸を手にいただきますと悠宇さんが行儀よく言って小鉢に手をつけたので、僕も倣って手を合わせた。女将がこちらを見てちょっと可笑しそうにしている気配を察知したが、見なかったことにする。
「今日は顔色良さそうで、安心しました」
「問題ないと言っただろう」
「そうですけど。あの、本当にお時間もらってよかったんですか?」
「誘ったのは僕だぞ」
 むしろ東京観光の時間をもらっているのは僕なのだが、そこは気にならないようだ。相変わらず他人のことばかりだ。
「そうですけど……ありがとうございます。ぼっち飯回避できました。正直どうしようかと思ってたので」
 そう言ってちょっと居た堪れなさそうに梅酒のグラスを傾けた。
「はは、素直でよろしい」
 安堵の笑みを零すと、視線だけこちらに向けていた彼女の顔が一瞬固まり、ごくりとアルコールを飲み込んだ。
「また子供扱いですか。育てられた覚えはありませんよ!」
「ああ、育てた覚えはないからな」
 ちょっとだけ、小さな悠宇さんを育てることを想像をしてしまった。危なっかしくてハラハラしそうだなという感想を抱いた。
 悠宇さんが僕の顔色を伺っている。このパターンでは、彼女本人に踏み入るとちょっと戸惑って、他人の話をすると途端に饒舌になるのだと学習済みだ。
 じいと彼女を見詰めると、怪訝そうに首を傾げた。
「……なんでしょうか」
「どんな子供だったんだろうなと思っただけだ。誘拐されてないか?」
「飴ちゃん一つでほいほいついて行く子供だったとか考えてませんか?」
「うん」
「心外です」
 自分が如何に真っ当な幼少期を送ったかを力説する。ちゃんと集団登下校の列に入っていただとか、遊びに行く時の報連相はきちんとしていただとか、そういう話をした。暖かい家庭で愛されて育ってきたんだな、と思った。

 だし巻き玉子とアジの梅味噌叩きを自分の取り皿に移した。直箸でいいか尋ねられ、ならばセルフで、と最初に言っているので三分の一程度だ。余った三分の一は彼女のリアクション次第だ。
 お箸で一口大に切っただし巻き玉子をぱくりと口に入れた悠宇さんは、途端に頬を緩めてゆっくり咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。美味しい、と呟きが漏れた。
 反応は上々。ここに連れてきて良かった、と内心ガッツポーズした。ソースと出汁にうるさいという関西人のお眼鏡に適ったようだ。
「悠宇さん、今回の旅行の目はなんなんだ?」
「日曜に来たとこで、友達に会ったり、ですかね。まあメインの予定は仕事に奪われちゃったんですがね」
「メイン?」
「今日その子と遊んでそのまま泊まる予定だったんですよねえ」
「ほー……このあと合流か」
 ボストンバッグの理由に合点がいった。
「いえ、仕事がどう転ぶか分からないそうなので、遠慮しましたよ」
 そう苦笑して、まただし巻き卵を口に放り込む。今夜の宿も決めずに平然とだし巻き玉子を食べる姿には唖然とした。危機管理能力はどうなっているんだ、といつかのように咎めてもなんとかなると言い切るものだから、実力行使と悠宇さんがお手洗いに席を外した時にホテルを確保した。連休にも関わらず、二つ目のホテルでダブルルームの空き部屋を確保できたのは幸いと言えるだろう。
 支払いの際に彼女が財布を出そうとしたが退け、店を出る。彼女が申し訳なさそうにこちらをこちらを見上げた。さっきまではカウンターに並んでいたが、こうして隣を歩くと身長差からどうしても上目遣いになる。
「ご馳走様です。私だけのんでてすみません。居酒屋メニューだったし、のみたかったですよね」
「なら、この後も付き合ってくれるか」
「はい。どこへでも」
 安堵したように、ふんわりと悠宇さんが笑った。油断した頃に、彼女にとって僕が絶対であるかのような口ぶりになる。一年を経て、彼女がイエスマンでないことは分かってきた。できないことは言わない。私的なことであれば、嫌なことは嫌だと言う。そういう人だ。単に、僕に拒否を発揮する機会がないだけだ。そもそも是非を問う機会が少ないから偶然、などでは済まされない範疇に到達しつつある。せいぜいが体調を慮った発言で、そこに彼女自身の都合は一切含まれない。他人の、僕のことばかりを考えて──とにかく、だ。目を閉じて暴走しかけた思考にストップをかける。職業柄、感情を殺すことも切り替えることも得意だ。
 このままだと本当にネカフェに泊まりかねないので、押さえたホテルのラウンジにあるバーに連れていくことにしよう。そうして、仕事の電話を装ってチェックインしておいた。

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