推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 9

 ちゃんと暖まるんやで、と再三念押しして研介を浴室に足止めしている間に、日記帳意外の危険物品を手早く黒いビニール袋に入れて処分した。幸いにして明日は燃えるゴミの日だ。私が何か隠すことを勘づいているかもしれないが、誰だって突然同居が始まれば隠したいものの一つや二つはあるだろう。まして私はこれでもレディや。何かあってもそれで押し通せる。むしろ空気を読んでのぼせない程度にゆっくりしてくれれば万々歳。記憶補正効果に期待している。
「多分、実際そういうキャラの筈やしな」
 これがコナンくんならそううまくいかないけど。空気読まないわけで読めないわけでもないんやし。一仕事終えて首をこきりと鳴らす。
 料理の時間や。明日の仕事を急に休めはしないし、有給休暇もカツカツだ。朝ごはんと、昼ごはんと、今後を思えば作り置きは必須である。玉ねぎの皮を向いていると、机に置いていたスマホが鳴った。
「わ、誰やろ」
 背後からの音にびくりとして振り向いて画面を見ると、れい、の二文字だ。登録を許されたことに慣れるにはもう少しかかりそうやな、と思いながら慌てて手を洗い、応答する。
「悠宇?」
「はい。どうしたんですか?」
「こら、敬語」
「うぐっ、ごめん」
 優しい指摘に即座に謝る。
「メール、今見た。あれ送ったの萩だろ?」
「分かる?」
「当然だ。君がハートの絵文字を乱用しているのを見たことがない」
「なるほど」
 そりゃあ推しにそんなアピールできるはずもない。そんなガッツ私にはない。シンクに凭れ、自分の色恋とはかけ離れたメッセージの数々が蘇ってつい苦笑が漏れた。
「萩は?」
「今お風呂」
 ああ、と曖昧に零さんが頷く。
「順調か?」
「うん。まあ、まだ最初やし。明後日からが本番かなあ。仕事始まるから」
 いくら定時退勤トライをするつもりではあっても、フルタイムの勤務時間を一人で過ごさせるのだ。宅急便で諸々を買ってその対応をお願いしているとはいえ、間違いなく退屈だろう。
「ド平日の真昼間に子供が外おるんもなあ」
「来週には編入が可能だから、一週間だな」
「威勢よく宣言して引き取ったのに、最初っから淋しい思いさせちゃうなあ」
 研介の方向に視線を送り、情けない申告をする。
「心配しなくても、あいつなら問題ない」
「うん……」
 零さんがきっぱりと断言するなら、多分そうなんやろうけど。降谷教の信者なのに、推しの言葉を疑うとはなんぞや。目を閉じて頭を切り替える。
「たこ焼きは萩のリクエスト?」
「うん」
 なんでもお見通しの零さんに頷く。
「……楽しそうだな」
「いつか、みんなでやれたらいいなあ」
 零さんと、研介と、もしかしたら彼等の先も。
「そうだな」
「そうやで」
 瞼の裏に浮かぶのは、零さんの家でぎゃいぎゃいと騒ぐ五人の情景だ。伊達さんの子供の姿はうまく想像できなくて、ちびっ子三人と大人が二人だ。松田さんが零さんに突っかかって、研介が悪ノリして、伊達さんと景光さんは笑ってそれを見ている。研介から景光さんに飛び火して、伊達さんがおおらかに笑って乱入して、零さんが不機嫌そうに口をへの字に曲げるけどそれはポーズだけなのだ。
「悠宇?」
「あ、えと、何?」
 妄想に耽っていたので、呼ばれてぱちくりと瞬きをすると、ビジョンは消えてしまったのが少しもったいない。
「……君は、自分の心配もしろ」
「うん?」
「他人の心配ばかりじゃないか」
「いやだって零さんと研介やもん」
 零さんだから私は全身全霊で尽くせるのであって、博愛主義ではない。そこまで手広くカバーなどできないんやけど、零さんにはあまり伝わってないのだろうか。この人の洞察力なら自分が特別であることなんととうの昔に見透かされていると思ってたんやけどなあ。もっとアピールした方がいいのか、態とらしいので控えるべきか。
「真っ直ぐなのは美点だが、頑張り過ぎるなよ」
 軽い溜息と共に発された言葉に曖昧に笑いつつ、目を細めた。
「そんなつもりはないんやけど……でも、ありがと。本当に大丈夫やから」
 大丈夫だから、どうか私の使命を奪わないで。
「あと、萩に心を許しすぎるな」
「えぇ?」
 突然声のトーンが落ちて、驚嘆の声が出た。萩萩言いつつ、まだ生まれ変わりを信じてへんのかなあ。零さんらしいといえばらしいのだが、やはり長期戦らしい。研介が浴室から出た気配を感じつつ、へらりと愛想笑いをする。
「いいな?」
「はい」
 鋭い声についぴしりと即答したけれど、悩ましいところだ。不審さの残る子供に心を許す妻は懸念事項になってしまう。推しの心労増やす、ダメ絶対。
「分かってるのか?」
「うん」
「ならいいが……」
 あれこれ言うと墓穴を掘りかねないので、沈黙を選んだ。実のところ現状研介への警戒心など皆無である。天使に警戒する必要性を感じない……のだが、これでも情報や立場で越えられない領域は弁えているつもりだ。だから研介が研介である限りにおいて私は彼に全力で愛をぶつけるつもりしかない。しかしトリガーは間違いなく零さんでしかないのだが、それが零さんにとって等しい隣人愛に感じられるのであれば否定しておきたいが、うっかり当の子供に聞かれる訳にもいかず開きかけた口をまた閉じた。
「家事の役割分担は決めること」
「へ?」
 話題の転換に首を傾げる。
「仕事があるんだから、家事の全てを一人で熟す必要はない」
 そこで仕事を辞めろと言わない零さんは優しい。あくまで私の生活を尊重してくれる。……まあ、うちの病院に欲する情報や要注意人物の出入りがある可能性も否定できへんけど。
「それから、返事がなくとも僕に定期連絡をすること」
「はい」
「この様子だと萩は間違いなく毎日のようにメールを送ってくるが、それにかまけず君からもメールをしてくれ」
「……この様子だと?」
「萩のメール通知がうるさい」
「まじかいつの間に」
 確かにケータイはしょっちゅう触ってたけども、零さんに実況していたとは。ケータイが嬉しいからだと思ってた。違った。なるほどこれが旧友の距離感なのか。あれは返信がなくても嬉々としてメールを送り続けている姿だ、と言われば確かにそうかもと即座に頷いてしまう。
「必ず毎日とまでは言わないが、少なくとも数日に一度は連絡してくれ」
「了解」
 研介監視依頼を承ってみたが、どう考えてもほのぼの案件である。成長記録を共有すればいいんでしょうか。はじめてのたこ焼き、などと書き込んだ写真がアルバムに収まっているのを想像して微笑ましい気持ちになった。
「明日も出かけるんだろう? 梅田だったか」
「うん。今日はバタバタしてて行けへんかったけど、調べたら戸籍謄本って祝日でも取れるところあるんやな。梅田行ってとってくるから、その足で婚姻届と一緒に郵送するわ。どこに送るのが都合いい?」
 一瞬の後、零さんがはあ、と小さく呆れの溜息をついた。
「こういう時は行動力の塊だな……僕の家に送ってくれ。証人欄は空白で頼む」
「了解。明後日くらいに届くかな?」
「そうだな……入籍日はその数日後になるか」
「バレンタイン?」
「そうなるのか。いや、しばらく帰れないかもしれないから、また日が分かれば連絡するが今週か来週か……そうだな、どうせなら一粒万倍日と言っておこうか」
「何それ?」
 聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「一粒の籾が万倍にも実る稲穂になるという意味で、転じて何事を始めるにも良い日のことだ。仕事始めなどに使われる時が多いな。年月日にはそれぞれ干支があって、その月の十二支の日が相当する。結婚にはうってつけだろう?」
「うん。もしそういう縁があったらそれがいいなあ」
 研介から始まる幸せ物語に光明が見えた気がした。
「もちろん」
「ありがとう。あくまでスケジュール優先な」
「ああ……話が少し逸れたな。いいか悠宇、きちんと自分の時間は確保すること」
「はい」
 うっかり緩みかけた頬を引き締めて返事をした。電話報告時間の製作、了解。研介に聞かれても問題のない言い回しを必死に脳内変換する。
「今は難しいかもしれないが、引越し先は個人の部屋は鍵付き別室だ」
「めっちゃプライバシー守るやん」
 盗撮盗聴常習犯の発言とは思えない。いや、だからこそ先制しているのか。これが慧眼というやつなのか。
「当然だろう」
 報告の仕方は慎重にならなければならないらしいが、生憎と不穏な未来はまったくもって想像できない。
「──萩の動向には気をつけろ」
「うん、分かった」
 安心させようと生真面目な声で返事した。
「研介もう上がってきそうやけど、代わろか?」
「いや、いい。あいつはメールでもう沢山だ」
「そんなに送ってんの?」
 零さんも研介も、旧友に会えたことはやはり相当嬉しいらしい。仲良しか。仲良しだ。
「ああ……一週間後には静かになるさ」
「学校やもんなあ」
 嬉しいやら淋しいやら。どっちつかずの感情を抱えていると、ふと沈黙が降りた。
「悠宇、好きだよ」
「は」
 唐突な愛の告白に呼吸が止まった。
「おやすみ」
「お、おやすみなさい」
 呆然と立ち尽くしていると、髪の濡れた研介がひょこりと顔を出した。
「悠宇ちゃ──どうしたの、顔あっか!」
「気の所為! 頭濡れてる! ドライヤー!」
 単語で洗面所に追い返し、手で顔をパタパタと扇いだ。
 推しの思考回路がさっぱり分からん。

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