推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 71

 復職は難しそうだと上司にメールで一報を入れた。ビジネスホテルのデスクに顎をつけ、備え付けのメモでコツコツと、ボールペンで無意味な点を刻む。手首に巻き付く腕時計を睨めつけた。
 後始末で、どうしても零さんに迷惑をかけてしまう。かと言って離婚届を書いてなんかくれないし、説得できるとも考えられない。となれば男やもめに、誰もが気を使うだろう。妻の逝去はあの人に更なる傷を刻むが……景光さんがいる。国という恋人がある。すぐにでも前に歩いていけるし、多少かかっても立ち直ってくれる。
 運命共同体と言ってくれた三井くんは、どうだろう。紅子ちゃんの次は私。辛い記憶がリセットされれば彼にとって一番かもしれへんけど……『変遷』に伴うものとして、その順序や作用機序は不明だ。リセットの可能性は低いとは言え、無視もできない。景光さんの前例のように、SAN値ピンチ案件になろうものなら全くもって笑えない。助けられなかった人達と言い、零さんと言い、一体どれだけ罪を重ねるつもりや。テロリストか。お巡りさん私です。
 どういう終わりにするかも散々悩んだ。迷惑をかけず、かつ確実に命を絶つ方法。仕事を辞めた今、劇薬の入手も難しい。加えて『核』による治癒能力の高さまで視野に入れるならば、致命傷を負い続け、しばらく発見されないこと。だからといって行方不明も捜索という負担を増やしてしまう。できることなら、事故死に見せかけた自死がベストだ。公安警察の妻が自死というのは流石に体裁が悪すぎるとと思うの。うじうじと頭を悩ませ、重い息を吐き出す。
「んー……未必の故意、みたいな?」
 危険な場所で、無知なリスクの高い格好で、かつ明日の計画と目撃談によるミスリード。となると、これからやるべきは場所探しか。
「だいじょぶ、私は元々おらん人間なんやから」
 嘘、全然大丈夫じゃない。自分で言って泣きそうになったけど、負けた気がするから絶対に泣きたくない。体を起こして天を仰いだ。



 終着点を求めて福井、高知と足を運んだがピンとこなかった。心配してくれる三井くんには行動を報告するよう約束させられてしまったので、高知発、と連絡を入れる。次は和歌山だ。温泉地の近くにある海辺の崖が、今日の目的地だ。電車の時間調整と情報収集がてら本屋に足を運び、旅行雑誌に手を伸ばす。
 デジャヴを感じた。なんやっけと少し考えて、平次くんに会った時の雑誌なのだと思い出した。まあ、うん、流石に探偵だからって、繋がったりせんやろ。コナンくんなら足踏みしていたかもしれないけど、如何せん彼らは激闘真っ只中の人間なので。

 本日の宿を決めて、福山光という偽名と不動産サイトから適当に拾い上げた住人のいない住所で部屋を確保する。キャリーから出したヒールに履き替えて、散策に繰り出した。
「──ん、いいかも?」
 海に臨んだ断崖絶壁。柵はあるが容易に乗り越えられる。一説よると、返しがついていて自殺成功率が高いスポットらしい。あとは救出が遅れればそれだけ長く死に続けることができる。監視カメラはあるが、死角もある。マップをチェックする素振りをしながら観光客らしくそこかしこを撮影し、時に監視カメラの場所と方向を記録する。デートスポットやプロポーズにも使われるので、如何にもといった様相を呈していないので及第点と言える。
 翌日はホテルを移り、同じ名前、三井くんの住所を記入してしばらくそこに滞在することにした。
 来るべき日が訪れれば、地元の方に無遠慮な質問をする。髪色、顔、それから崖を目指すには不釣り合いなハイヒール。顔を顰めてくれれば印象に残ったということだろう、任務達成である。ホテルには翌日以降の観光用のチケットを部屋の置き去り。星を、夜空を見上げて最後の夜を過ごして。──そのあとは数日後にホテルの人が訝しんでくれれば大成功か。
 自分の行く末を決めているというのに、未だに実感が沸かない。



 朝には三井くんに、関西なう、と大雑把な現在地を伝達して二つのスマホを鞄に入れ、今日もお散歩に繰り出した。いつでも動けるようにと慣れないピンヒールを履くから、ゆっくり歩いているのに靴擦れが少し痛い。
「──あれ?」
 三井くんから昼休みらしき時間に着信があったが、気づかなかったらしい。少し悩んだが、今は仕事中のはずだから、また夜にこちらからかけることにしよう。
 夕暮れ時になると、雨が降ってきた。ヒールと濡れた地面ではうまく走れず、極力軒下を選んで歩きながら避難場所を探す。ざあざあと降る雨は、天気予報によると、明日未明まで続く見込みらしい。零さんの瞳のような青空を見ながら死ぬのだと決めていたから、ギリギリセーフといったところか。それくらいの我儘は、いいやろ? 宛先不明の言葉を生み出した。約束破ってごめん。
 目に付いた喫茶店に入ると、コーヒーの匂いがした。隅の二人がけの席に案内され、奥のソファ席について濡れた髪をタオルで拭く。一気に冷えてしまった。暖かいものを体が欲している。
「ご注文は何になさいますか?」
「あ、ホットコーヒーお願いします」
 そんなことを考えていたから、つい頼んでしまった。邦楽の流れる店内を見回すと、席は半分ほど埋まっており、主婦らしき一団が少し騒々しい。
 ホットコーヒーを一口飲んで、失敗したなと思ってしまった。不味いわけでないけれど、あの大好きな味ではないのがどうしようもなく嫌だった。選んで頼んだ手前残すのも気が引けて、一気にコーヒーを飲み干す。じくじくと心が痛み出した。苦い。
 アイドルの曲が終わり、変わって耳に入ったのは、ここの世界にはない、あの人の歌を歌っていた声だった。こんなタイミングで、なんて卑怯な。あれか、私が苗字をお借りしたのがフラグやったんか? 思考を散らせようとしたけれど、つい聴いてしまって功を奏しない。
 ──夢のような人だから、夢のように消
えるのです
 ──あなたが、まだ好きだから
 じわり、滲む熱が視界をぼやけさせる。間違いなく、私の、最愛の人だった。
「さいごに、もう一回逢いたかったなあ……」
 湿っぽい小さな声が零れる。でも、会ったら欲望に負けてしまうと分かっていたから、その選択肢を選ぶことはできなかった。そうでなくとも、心が折れそうなのに。
 スマホの振動で現実に引き戻さられた。当然三井くんだ。深呼吸して、スマホに手を伸ばした。
「もしもし? 今大丈夫か?」
 三井くんの声が耳に届く。
「──う、ん。どうしたの?」
 微かに声が震えた気もするが、誤魔化せる範囲だろう。目元を拭う。
「どうしてるかなと思って」
「……終わったのかと思った」
「ん?」
「なんでもない。ちょっと待って──あー、やっぱ大丈夫」
 覇気なく呟いた音は届かなかったらしい。一日に二度ってことは、終わったと思ったんやけど。溜息を堪えつつ席を離れようと思ったが、外は土砂降りだ。マナーがいいとは言い難いが、このまま話すことにした。大声を出さなければ、おば様方よりは静かなはずだ。
「えーと、なんだっけ」
「今関西に戻ってるんやんな」
「うん。あ、大阪ではないよ」
「はは、やろうな」
「そうや、泊まるのに住所借りてる」
「住所だけ?」
「Yes. My name is Fukuyama Hikari」
「はーいはい」
 中学生レベルの英語にそう雑な相槌を打ったかと思えば、意味深に重い息を吐き出すものだから、身構えてしまう。
「……いい話と悪い話、どっちから聞きたい?」
「ええ、めっちゃ怖いんやけど」
「どっちがいい?」
 軽い口調は真剣な声に負け、気持ち反省しつつ首をかいた。空を見上げたが、雨は止む気配がない。
「……いい方、から?」
「旦那様が大阪向かうらしいで」
「まじか全然良くなかった!」
 思わず声が大きくなる。店内の注目を集めてしまい、ばつが悪くなって首だけで謝罪の礼をして、声を落とした。
「良くないやん」
「……終わったんだよ」
 優しい声は早く帰れと言っているのだろうが、気付かなかったことにする。
「そうでもないのに来たりしたら申し訳なさで吐くわ」
 呆気ない幕引きに、蚊帳の外とはこんなものかと脱力し、項垂れる。
「ちなみに悪い方は?」
「景光会わせ損ねた」
「まじか、君ってやつは……!」
 契約不履行や、と駄々を捏ねたいが、まあ、そううまくもいかないのも理解はできる。
「公安様に簡単に接触できないから。で、どうする?」
「どうするって……後処理あるやろ、そっちに戻ってもらわないと。それで再会していただきたい。間に合わないし、私」
「関西ならまだ大丈夫やろ」
「帰らないよ。今すぐ私そっち行ってるのとかって連絡入れればそのまま親友クリティカルヒットのお仕事コースはい完璧」
 そう言いながら、実行するべくもう一つのスマホを取り出して数日ぶりに起動する。
「嘘つき」
「例えばの話だってば」
「なんで。過労死させたいわけ?」
「そんなわけないじゃん。まだ心の準備ができてないんだから、さ」
 今会えば間違いなく決心が揺らぐ。
「進藤さん、今どこ?」
「喫茶店」
「……まあ、ええけど」
 深く追及はせず、あっさりと折れてくれる。
「──げ」
 零さんからの着信が五件。会えるか、今家だよな、とメッセージが合間に挟まっている。ボールペン効果は健在らしいギリギリ耐えた。
「どうした?」
「いや、本当に向かってきてる気がするけど……家に居るって信じてくれてるっぽい、みたいな?」
「信頼に応える気は?」
「ない」
「意固地」
 軽く言って私の手は零さんとのトーク画面を開いたものの、一文字も入力することができない。
「違うから。私のせいで予定外の半端なんか、絶対に絶対にさせられないの。単に優先順位がぶれないだけ。ね、再会場所……どこがいいか聞いてくれない? なんとかして向かわせるから。ほら、だってまだデリケートな時期なんだから。本来タスクまみれで奥野さんも、部下達も大わらわでしょ。ならこっちで可能な限り対策して、場所はしっかり選んだ方が無難だし。でも私はそっちの地理に疎いから、なら内部で決めてもらいたいんだよね。その間にこっちも終わらせるから」
 言い訳はいくらでも沸いてくる。こんなことを考える時間は腐るほどあったから。しばらくの沈黙の後、三井くんが重々しく溜息をつく。
「──決まり次第掛け直すから、ちょっと待ってろ」
「ありがと」
「決めたら折れへんやろ、だって」
 はは、と乾いた笑いを返す。
「あ、この後コナンから連絡あるはずだから今つけたスマホ切るなよ」
「いやいやそれはちょっと!」
 予想外の内容と共に切られかけたところを、慌てて静止をかけた。途端に猫撫で声が返ってくる。
「ボク、悠宇さんにお別れ言いたいんだけど……らしい」
 うぐ、と唸る。声真似なんだろうが恐ろしく似てない。
「……っく!」
 しかし無下にはできない。なんたってこの世界の道標である主人公様だ。今後零さんの隣を走って欲しい工藤新一くんに戻るのだ。まあ、それでも一回り歳下なんやけどな。
 彼に甘い自覚はあるが、咄嗟に反論などできなかった。
「おーけい?」
「……おーけい」
 低い声を絞り出す。景光さんからの連絡待ちの間だけなら、と言えば三井くんからの連絡は先延ばしになりかねないので、言わずにおいた。

prev / next

[ back to top ]



×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -