推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 70

 零さんからの着信履歴が一件あった。特に用はないが、と気遣いを付け加えられている。実際深夜なので、元々反応できない時間帯だ。ごめん寝てたわ、と返事してスマホの電源を落とした。切る直前に、沖矢さんからメッセージを受信したが無視した。
『次は逃げるなよ』
 めっちゃ怖いんですけど。コイビトさんだけ追っかけといていただいてよろしいでしょうか。この世界一のスナイパーに標的にされるとかひどいオーバーキル。頭を振って、思考を切り替える。
 さあ移動しないと。ミルクティーを飲み干して容器をゴミ箱に捨てる。まずは今日のうちに静岡あたりまで離れようか。静岡……はなんもない、よな。
 このところ在来線移動ばかりやったやけど、今日はこの後乗り継いで新幹線や。相当消耗した。怒涛のキャラ遭遇は本当に心身に悪い。正直頭はまだぐちゃぐちゃだ。今日は随分と勢いで行動したな……やっぱり、疲れてるんやな。疲れは思考力を奪う。迂闊だったと反省はしているが、今までの積み重ねのおかげか、致命的な事態は避けられたのは僥倖といったところか。
 明日三井くんに連絡しよう。確認しよう。そしたら多分終われる。
 あかん、眠い。乗り換えないとあかんのに……カフェインが欲しい。カフェイン何がいいかな、と考える。好きな銘柄の紅茶ももう長らく飲んでいないから、ひどく恋しい。でもそれ以上に、零さんが入れてくれたホットコーヒーが無性に飲みたくてたまらない。
「ないものねだり、か」
 重たくなった瞼を擦り、席を立つ。



 宿を確保し、安息地帯たる部屋に入るなり荷物を放り出してベッドに倒れ込んだ。シャワーを浴びるのも面倒だ。トレーニングも、今日はなし。体が重いし、何より、もう意味はない。視界を黒に染める。少しの間──もしかしたら、しばらくかもしれない──そうやって倒れていて、ポケットからの振動で瞼を持ち上げる。
「……三井くん、かあ」
 彼しかいない。会う日を決めたんかな。
 応答を少し躊躇う。景光さんのことは伝わっていないはずなのに、こっちが勝手に穿って緊張してしまう。頭は回らない。億劫だったが、この機を逃すわけにもいかない。
「……はい」
「もしもし?」
 いつものトーンに、気取られない程度にゆっくり息を吐き出す。
「今、どこ?」
 普段と何ら変わらぬ声にも関わらず、びくりと身構えてしまった。
「し、静岡やけど」
「……そうか」
 何を思案しているのか、私にとっては少しの沈黙も痛くて、こちらから口火を切った。
「んんと? 場所の候補決まったってこと? あ、どこでもええんやで、別にここからのとか考えなくても」
「あー、うん……」
 かけてきたのは三井くんなのに、どうにも歯切れが悪い。
「どうしたん?」
「約束破ってへんか?」
「な、んのことかなー」
「ヘタクソ」
 誤魔化しは即座に切り捨てられる。
「率直に言うけど。今日こっち来てたやろ」
 なんで、知ってんの。ルートは一つしか考えられない。
「……あの人、生きてたんやね」
「うん」
 あっさりとした肯定から、マンションまで行ったことが知られていると考えた方が良さそうだ。想定以上に知られている。
「言わなかったのってこのことやんね。三井くんが助けたの?」
「ああ、まあ、そうやな」
「一ヶ月じゃなかったん? 時期、合わんよな」
「世間にとっては一ヶ月かもしれないけど……俺にとっては、終わらない一年やったよ」
 低くなった声に、嫌なことを思い出させたてしまったな、と申し訳なくなった。一年だと前も言ってたやん。阿呆、と内心で自分を罵る。
「ヤケになって、世界の流れを変えようと思った。非常事態の人間を探して、入れ替わってやり過ごす。誰かを助けて流れを変えるなら、 って言い訳してな。紅子監修の下での実験てとこだな。紗知に小言もらいつつスリーマンセルで何度かやって、でもまあ、大体は大した内容じゃない。せいぜい借金取りからの逃亡とか。何も変わらなかった。そんな時に見つけたのが景光だ」
「……うん」
 三井くんがゆっくり話す内容は、もう稼動限界だと思ったはずの頭を動かすに充分な内容だ。
「入れ替わって引けなくなってから、紗知がスコッチだと気付いて、景光の運命を聞いた。拳銃自殺ってわけにはいかないが、ストーリーを変えるにはリスキーすぎた。ポケットのスマホを腹ごと撃ち抜いて、あとは確認されないように屋上ダイブやな。いくら紅子の全力バックアップがあっても絶対に二度とやらん」
「……よく生きてたな」
 心から思う。
「医者によると奇跡的らしいが、『核』のおかげってことやろうな。んで、景光は俺と服装ごとチェンジしてたから、一緒に俺のスマホも紅子とあいつに預けてた。目が覚めたら電話して、俺の家に閉じこもらせた」
「受け入れてくれたんや」
 片眉を吊り上げる。怪しさ満点の人のリアリティのない説明を、よくもまあ飲みんだなあ。
「その頃には紅子は消えとったけど、紅子の手助けがなかったら成立しない救出や……その違和感からあいつは自分で事実に辿り着いた。発狂しかけたが何とか踏み留まって、普通では考えてられない現実を受け入れ、まずは従ってくれたな」
「全部説明したん?」
 驚いて問いかける。
「紅子には全部話してたけど……景光には青山さんのことを除いて、かな」
「じゃあ今それを知ってるんは私と三井くんだけ?」
「そうやな」
 また肯定。漫画の世界と知ってるのは、私と三井くんだけか。お膳立てするかのように、どんどん都合のいい情報が増える。
「やから、あいつにはバレない名前でを示させた」
「ああ、盗聴を気にしてたんかと思ってたけど、同居人か」
 奥野さんも、南ちゃんも、池田さんも。全部、景光さん対策。
「そういうこと。なまじ頭が切れるからな、その気になれば俺なんてすぐに出し抜かれる。過分な情報を渡せなかった」
 どいつもこいつも、本当に隠し事が多い。盛大なるブーメランやけど。
「……話の腰折ってごめん、その後は?」
「野郎との同居生活スタートやな。最初は完全に閉じこもらせたけど、阿笠博士の発明品、ボイスレコチェンジャー……要はコナンの変声機やな、これをいくつか入手してからは、それをマスクに組み込む改造をさせた。時間はあったしな。完成後はそれを付けての条件で近場の外出をするようになった、ってとこかな。ほら、声が特徴的やから、それだけで結構印象変わるやろ」
「そう、やけど。意外やな。もっと徹底してるかと思った」
 ああ、と特段気にした様子もなく三井くんが説明する。
「ずっと閉じこもってると腐ってまうからな。ガス抜きは必要やろ。元々は組織の壊滅まではって最初に約束してたんだが、あまりに長くてさすがに焦れてきてたし」
「……なるほど。それで、私がそっち行った時焦ったんや」
「うん。進藤さんが一方的に気付くのだけは避けたかった」
 それは、どういう意味やろう。零さんに報告するとでも? いつか伝わるのに、そんなリスク取らへんのに。未来が変わるリスクがあるから、私にも、ひいては零さんにも伝わらないようにしたかった、と。思慮を巡らせていると、三井くんが話を続ける。
「……まあ、今日で二回目やったみたいやけど。外見変えすぎや、景光気付いてへんかったわ」
「意外なところで効果発揮してたなあ……ってことは、私の写真見せてたんか」
 ははあ、と溜息をつく。想像以上に、三井くんが動いていた。仕事プラスでこれなんやから、忙しいわけや。警察官、景光さんとの同居生活、怪盗キッドとの連携。こんな所にもトリプルフェイスがいた。あれれトリプルフェイスって一般的やったっけ?
「前のやけどな。今の写真はなかったから。この前の、夏祭りの写真以外」
「それで私が認識されたわけか。……化かし合いしてたんやな、私ら」
 全く、運命共同体とはなんだったのか。お互いのためを思ってなんは、分かるけど。
「らしいな。で、今日や。景光をつけたら、俺の家に着いたと」
「え、いや、三井くんの家に向かってたらたまたま遭遇したんやけど」
 ストーカー疑惑を慌てて否定する。
「……ん? 繋がりを確認して、撒いて逃げたんじゃないのか」
「うん? 撒いた?」
「え、電車で。突然降りたから、景光は見失ったって聞いたけど、気付いてたんじゃなかったのか。なんや進藤さん……もしかしてほんまに静岡おるんか」
「まじかそこ疑われてたん!?」
 胡乱気な声に、驚嘆する。確かに、突然降りた。降りたけども。
「ごめん今から逆探知しようとしてた」
「敵は身内にあり」
 告白に呻いた。確かに、私の行動は不審だった。だがしかし、や。
「まさかつけられてたとは」
「部屋に入る時に視線に気付いたらしいな。少し考えて進藤さんだと分かって慌てて追いつつ、指示を仰ぐために俺に連絡してくれてたんだが……悪かった」
「あー……その、焦りすぎて、荷物コインロッカーに忘れたから、取りに戻ったんや……」
 自分の失態を説明する羽目になったことに絶望し、尻すぼみに話す。
「……え? ガチ?」
「笑うなら笑えよお……」
 潰れた声を出すと、三井くんが本当に吹き出した。くすくすと笑い、挙句には声を出して笑う。失礼極まりない男や、と私が言い出したことなのに思った。
「ごめんごめん、なんかもう、お互いの勘違いがおかしくって」
 うぐ、と唸って返事をする。電話越しに三井くんが移動する音がした。ドアの音と共に、景光ごめんやっぱなしで、とくぐもった声がする。
「──信頼されなくなったんじゃないかって、気が気じゃなかったんや」
 そういう安堵の笑いだと説明されたが、残念だったな私の心はもう決まってるよ。
「でもだからって逆探知は強行手段すぎるわ」
「だって進藤さん時々突っ走るやん」
「飼い主か何かですか?」
 私は犬か。猪か。
「なんや自覚あるんか」
「……まあ、うん」
 目を細める。私がいなくなった時、三井くんは覚えているんだろうか。その場合、適切なタイミングで景光さんを表舞台に戻すことは、きっと難しい。
 リスクが大きい。
「今度は何する気や? もう終わるんや、今更やけど、お互い隠し事無くそう……というか、景光のことが伝わった以上もう隠すこともないんやけど」
 小さく息を吐き出して、迷いながら口を開く。
「終わったからって私が『核』じゃなくなるわけちゃうし、身の振り方は悩み中。零さんが一番ってのは不都合だと思うんやけど……無理なもんは無理よねえ」
「突然の惚気!」
 三井くんの叫びに、ぶは、と電話の向こうで誰かが吹き出す気配。景光さんは近くにいるらしい。
「ねえ、終わったら、教えてくれへん?」
「もちろんやけど……向こうからの連絡あるやろ」
「いや、うちの人は後処理の目処が立ってからになると思う。国内の案件やから、他の人より多分慌ただしいんちゃうかなあ」
 FBIとバッチバチ火花散らしながら後始末に奔走する徹夜続きの零さんが目に浮かんで、しっかり否定する。電話の一本くらい来るかもしれないけど、すぐ会おうってことには絶対にならないと断言できる。
「ああ……なるほど?」
「できたら後処理は景光さんにもお手伝いしてもらいたいなー、なんて」
 歯切れが悪いのは、零さんの負担を減らすための我儘だからではない。一刻も早く零さんに景光さんをぶつけて、繋がりを確保して、どさくさに紛れてこの世界を固定したいからだ。
「……一応、既にそういう約束になってるよ」
 少し不服そうな声に何か悟られたかと身構える。
「一応って?」
「進藤さんが完全解決までって拒否したら、考え直させるつもりやった」
「ふうん?」
 三井くんは完全解決後派で、景光さんがボス関係解決後派で説き伏せられた、ということなんやろう。
「ボスが捕まったらすぐ、約束やで?」
「りょーかい」
 ゆるい返事に、念を押す。
「細々したことが解決してなくても、教えてほしい。零さんの先をいかなきゃいけないの、プレッシャーなんやから」
「……おう」
 懐柔成功。残るミッションは終活である。

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