推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 69

 東都環状線に飛び乗って、乗り換えて、東都を脱出する。横浜まで来たところで、キャリーを置いてきた事を思い出して呻き声をあげた。私史上最大の忘れ物である。慌てて締まりかけたドアを掻い潜って脱出に成功する。
「こんなリアルな夢があるかよ……」
 いい加減、現実だと判断した方が良さそうだ。先程の景光さんを思い出すだけで心がざわつく。結局声は確認できていないが、これで別人だったらどうしよう。──まあ、そんな偶然ないとは思うけど。聞いたところで、判別できるかと言われれば自信はあまりない。
 そもそも、私は恥ずかしながら、裏切りのステージのアニメを見ていない。中の人を知っていても、その演じ方は知らない。哀ちゃん推しだったし、基本的に漫画を読んで映画をみるだけだった。だから当時赤安推しの友人が彼の事を事細かく語っていなければ、声という判断基準は生まれなかった。他人の推し語りにこれほど感謝したことはない。
 いや、と考えなおす。そもそも、キャラクターの声は知ってるものと同じ様で、少しだけ違う。例えば、零さんの声より、古谷さんの声の方が僅かに深みがあると記憶している。
 その条件でも、やっぱり、あれが幻だとは思えなくなっていた。零さんの何より大切な人が生きていると思うと、もう私は役目を果たしたから、もう頑張らなくていいんや、と少し力が抜けた。
 反対に向かう電車に乗り、揺られながら夕暮れを眺めた。この世界の中心に戻る。気を引き締めないと。二度あることは三度あるっていうやん。これ以上誰かに会ったら。
 最期に零さんに会いたいけど、生きてる姿を確認したいけど、一目見たら決意が揺らぎそうだから、米花町には絶対に近寄らない。



 なんとか荷物を回収し、深々とため息をつく。この人混みに紛れる駅で、スマホをチェックしておくか。カフェスタンドでミルクティーを買い、背の高い椅子に腰を落ち着けた。ざわざわとした喧騒の中起動すると、二日分のメッセージ。こちら側の人に一通り返事をしてから、一息ついて取り掛かる。
『まだお忙しいですか? 無理してません? まあ安室さんが最近おやすみなんで、埋め合わせしてもらう時に会いに大阪行きたいな、なんて思ってるんですけど』
 梓ちゃんは相変わらずの大天使だ。
『ごめん、まだ落ち着かなくて』
 直ぐに既読がついた。タイミングがあまり良くなかったか。最後だからと自分に言い訳して、返事を入力する。
『いえいえ、言ってみたんですけど、安室さんの復活の目処もたってませんし』
『たってないんかい』
『随分忙しいみたいです。本業の方でやっていくの大変ですねえ』
 探偵という言葉を使わなかったのは偶然か、それともなんとなく常ならぬ空気を感じ取っているのか。
『そうやなあ。シフト代わった分、今度なんか奢ってもらおう』
『ダメです炎上します。あむぴ熱は健在ですよ!』
『ビュッフェでも何でも奢って貰えばいいのに』
 間違いなく金はあるぞ。妻が言うんだから確実やぞ。梓ちゃんとお出かけしてちゃんとしっかり飯を食え。いくら見えなくても三十路手前が無茶をしすぎや。
『私は悠宇さんとビュッフェ行きたいです。安室さんのお金で』
『ひどい』
『他人のお金で食べるスイーツは格別ですよね』
『ポアロのイケメン店員にそんなこと言えるの梓ちゃんだけやで』
『じゃあ安室さんお手製スイーツで、スイーツ会なんてどうです? 閉店後の店あけてもらって、試食会ってことで』
 楽しそうだけど、別に、私は必要ないイベントだ。
『悪いこと考えるなあ』
『それくらいじゃないと、埋め合わせになりません』
『落ち着いたら、考えるよ』
『本当ですか?』
『うん』
 大丈夫、落ち着くことはないから。騙してるみたいで罪悪感が募る。……みたいじゃなくて、騙してるのか。
 一方でコナンくんからのメッセージはなし。そりゃそうだ、ついに組織の壊滅が目前なんやから。次は、難関沖矢さんだ。こっちも愛しい愛しい宿敵さんが倒せるはずなのに、なんやこの違いは。頭痛が痛い。時々着信が混ざってるのが益々気分を落ち込ませる。あ、また鳴った。出ないと、延々かけてきそうやなあ。今日だけや、もうここまできたら一緒や。赤井さんならなんか大丈夫そうなので、もうええわままよと半ばヤケになって応答することにした。
「……Hello?」
「Hi, long time」
 なんで池田さんボイスなの? 久しぶりどころか実質はじめましてですよね? あれか、零さんと結託したんやな? そういうことやな?
「遂に頭がおかしくなりましたか」
 それでも、本当に、どうしたお前。
「本当に呼吸するように毒を吐くな」
「相手選んでるんでご安心ください」
 言葉だけ見れば文句なのに、くつくつと喉を鳴らして愉快そうに笑う。だから赤井さん口調どうしたってばよ。これイケボじゃなかったらガチャ切り案件やからな。自分の声──いや、中の人に感謝しような?
「それで? ご要件は?」
「理由がないといけないのか?」
「Holy shit!」
「Watch your language」
 思わず悪態をつくと、直ぐに英語が返ってくる。さっすがネイティブ、発音がいい。腹立つ。これで中国語とかもペラペラだったら初期性能の違いにブチ切れる。逆ギレもいいところやけどとりあえずキレる。まあ零さんはオールラウンダーハイスペックだけどこの人は突出型やから、ないと思いたいけどFBIの時点で色々ぶっ飛んでるから無理。考えるのをやめた。
「はあい」
 むくれた声を出し、溜息をつく。
「で……え、本当に意味なく電話したとか言いませんよね」
「どうかな」
「うぜえ」
「ついでだ、前から気になってたんだが」
「まじか本題はどこいった」
 相変わらずの気遣いのなさに反射で返事をする。まあ気遣いがないのはお互い様なんやけども。
「何をそんなに焦っている?」
 意味が分からず、小さく首を傾げた。
「ちょっと、言いたいことがよく……」
「──か」
 赤井さんがぼそりと呟いたが、よく聞き取れなかった。聞かせる気もあまりなかったんやろう。
「いや、いい。忘れてくれ」
「ええー、気になるんですけど。言わないなら全部言わない、半端に言うってなんですか。察してちゃんですか、かまってちゃんですか」
 ずけずけと言うと、ふう、と溜息をつかれた。
「──お前は、よく分からない」
「あなたには言われたくないんだけどさ、それ。本当に何なんですか」
「……行動原理が見えない」
 躊躇いの末の意外な言葉に虚をつかれた。私の想いなんて粗方漏れてると思ってたんやけどなあ。
「分かりやすいと思うんですけどねえ」
「彼のためだろう? だがそれにしては、随分とちぐはぐだ」
「そう見えますか」
「お前は何になりたいんだ?」
 推しに尽くしたい一心なので、何に、と問われると少し逡巡する。零さんを少しでも救いたくて……
「──私、は。ヒーローになりたかったのかもしれへんなあ」
 独り言のように呟いてから、方言が出てしまったことに気付いて眉を顰める。彼に本心を言ったことに関しては、まあ、今更だ。
「……ふむ」
 電話越しに彼が唸る。
「みんなが一度は憧れるでしょう?」
 今更発言を引っ込められないので、大人しく会話を続ける。
「ヒロインではないのか」
「守られるだけのヒロインなんてただの記号と一緒だ」
「相変わらず手厳しいな」
「それはどうも」
「記号、か。まるで小説か何かの役割みたいに言うんだな」
 小説じゃなくて漫画なんですけどね。
「まあ、当然そんな強さも権力も器量もないわけですが」
 取り付く島もなく言うと、ふう、と赤井さんが息を吐き出した。
「お前は些か、いや、随分と自己評価が低い」
「弁えてるんですよ。日本人なんで」
 あなたと違ってな、と心の中で付け加える。
「ところで結局本題は?」
「ああ、もう済んでいる」
「は? 切りますね」
 何か言われる前に本当に切ってやった。
 トーク画面を見つめて渋面を作る。結局本題ってなんやったんや。

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