推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 68

 一度目は何もなかった。十二分な警戒すれば、今回も問題ないと信じたい。零さんにだけは会わず、事件に巻き込まれさえしなければ切り抜けられるはずだ。しかし東都ともなれば、警戒心は段違いに跳ね上がる。丸眼鏡と黒いマスクを装備してホテルの全身鏡の前でくるりとファッションチェックする。よし、完璧。零さん以外なら一目でバレる心配はないだろう。零さんは零さんだから警戒対象だ。
 いざ出陣である。



 無事フラグを回収しました。
 ふざけんな、と呻きそうになったのをなんとか堪える。地下からエスカレーターを上がってきたらキャラクターとこんにちはしたとかどんなタイミングや。神は我を見放した。まじか。こんな時でなければ零さんにおちる前の推し、哀ちゃんとのコンタクトに狂喜乱舞できたことは想像に易い。なんと今回は阿笠博士とセットだ。何故百貨店におるんや。学生とは無縁だと思って新しい化粧品漁りと流行チェックに来たのに、と見事なまでの裏目具合を恨んだ。思わず辺りを見回したが、少年探偵団の姿はない。引率ではないのか、それとももっと遠くにいるだけなのか。いや待て、今日は平日だろうが、まだ太陽は……そうか、小学一年生の下校時間ってこんなもんか。
 幸いにしてキャリーケースは駅のロッカーに押し込んで来たから、機動力はある。さあ逃げようやれ逃げよう戦略的撤退を決意する。幸いにしてまだ一階や、すれ違うことにはなるが出口に直行するのが懸命かな。建物内で事件でも起きて閉鎖されようものなら絶望的だ。大丈夫、変装は完璧だ。平静を心がけて足を前へ踏み出す。
「あら、あなたどこかで──……」
 数歩動いたところで、哀ちゃんがこちらを見上げ、歩調が緩くなり、そして止まってしまった。
「有何貴干?」
 足を止めてはしまったものの、咄嗟に中国語が出てきた私をみんな目一杯褒めてええんやで。みんなって誰や。ただの現実逃避や。一回しか会ってへんのになんで分かるんや怖いわ。そんなに印象的だった? それともコナンくん関係でなんかあったんか? あれか盗撮コナンくんか? いつもの犯罪か? 肖像権侵害で訴えんぞこの野郎。福山事件関係とかもあるし、ちょっとありそうで怖いわ。
「あ……sorry. It's my fault」
「No problem」
 耐えた、と安堵してできるだけゆったりとその場を離れることにした。私怪しくないよ大丈夫だよ、というアピールだ。それでも、背後で二人がこちらを見ている気配は感じた。
「中国人みたいじゃのう」
「見覚えがあった気がしたんだけど……気の所為ね」
 変装がやっと成果を上げた瞬間である。全然嬉しくない。多少なりとも油断があったのだろう。ここしばらくは眠りの小五郎のニュースもないから、決戦だと予想して、ならば迂闊に出歩くこともない、会う確率も低いと踏んでいたのだが。それとも、単にこの生活に疲れて判断力が鈍っているのか。

 斯くして私はついに、本格的にストーカーという行為に手を染める決意をした。簡単に言うと突撃先の下見である。迷子は嫌だ。仕事が終わるまで手持ち無沙汰だし、時間を調整する予定の場所に二人がいたのだから、やむを得ない。
 スマホを頼りに、三井くんのマンションに向かう。今夜伺う気満々だった。忙しそうならこちら側と思われるホテルに潜伏する予定だ。基準? 知ってる地名を冠したホテル名であることかな。
 地図を脳内に展開して近くまで来たはずだが、住宅地は分かりにくい。京都のように碁盤の目ならいいのだが、曲がりくねって気がついたら違う方向を向いていたり、出たい道に繋がっていなかったりする。めんどくさいことこの上ない。
 細い道で立ち止まるのは邪魔になる。先程も車とすれ違う時に怖い思いをした。なぜ住民はこの細い道でスピードを出すのか問いたい。一時的に近くの公園に身を寄せてスマホで地図を確認する。ながらスマホ、よくない。……ああ、もう一本奥の通りだったか。ちょうどこの公園を突っ切って左か。スマホをジーパンのポケットに突っ込み、足を動かす。右からフードを被った男が歩いていき、その後ろを歩く形になった。片手にスーパーの買物袋を持ち、マスクをしたまま電話をしている。話しづらいだろうに、と思ったところで声を聞いてはたと気付いた。
「アヤ? 今日遅いって、何時くらいになる?」
 この前会った人、じゃないだろうか。アヤちゃん……彼女に手料理でも作るのか、長葱がはみ出した重たそうな白い袋に視線をやり、歩調を緩める。
「……ああ、……それもだ……ぶだ、さぎ……は俺が……め……から……」
 少しずつ距離があいて、何を話しているかは聞こえなくなった。二度目の邂逅に耳をそばだててしまったが、これでは完全に盗み聞きである。ストーカールートまっしぐらや。離れたいのだが、困ったことに次の交差点も曲がる方向が一緒だった。
 いや、何も法に触れることはしていない。友人を突撃お宅訪問しようとしているだけだ。うんうんと誰に言うでもなく頷いて、足を動かし続ける。
 彼が吸い込まれたマンションの表札に視線を落とすと、探し求めていた名前だった。
「あ、ここか」
 目的地一緒かよ。合縁奇縁というか、道理でストーカー一歩手前になってしまったわけや。これで夜で男女逆なら本当によろしくない展開だった。だって東都やで? 佐藤刑事に捻りあげられそう。ほら、被害者はだいたい加害者の知り合いだから、殺されはしないと思いたい。希望的観測。
 閑話休題。さて、辿り着けたはいいけどどうしようなあ。頭をかいて、マンションを見上げる。道からは各部屋の玄関が見える作りになっていた。部屋は確か、三一一号室だったか。エレベーターホールには入らず──いや、オートロックのため入れず、外に周り、郵便受けを見ると三〇一号室から三一二号室まで並んでいた。外からでも部屋は特定できそうだな、と道に出てマンションを見上げる。
 息を呑む。三階の廊下を先程の男が歩く後ろ姿が見えた。そしてそのまま、奥から二番目の部屋に消えた。いや、まさか。血の気が引いて指先が冷たくなる。……違う、あれは三〇二号室なんだろう、と期待したがる自分に言い聞かせた。夢を見て勝手に傷付くのは自分だ。
「──あ、そっか」
 彼の口元を覆うマスク。
 今日も、この前も。繋がってしまえばどうして思いつかなかったのか不思議なほどに。ここは東都だ、マスクと言えば──変声機、やん。
 即ち、諸伏景光は生きている。
 現状を理解しようと頭を必死で回す。この雰囲気だと三井くんが大怪我を負ったのは彼の関係の可能性が高い。──じゃあ、零さんはこれを知ってる? 答えは否。忘れもしない二月十一日。あれが演技なはずがない。となると──三井くんの言う完結後の後処理というのは、このことだろう。会わせたい人と言ったが、黒羽快斗とは言わなかった。そういうことや。ならばと変声機の入手ルートを考え、赤井秀一は絡んでいるのかいないのかも気になるところだが、おそらく、NO。赤井秀一が三井くんと結託してそんなことをするか? わざわざ、コナンくんや阿笠博士の協力で? そんなこと、絶対にしない。
 諸伏景光は生きている。
 アヤ──三井彩仁に匿われて。
「──かった、」
 良かった。あの人は一人じゃない。かみさま。じわりと目の奥が熱くなる。出すつもりのなかった声が小さく漏れた。こんな所で泣くわけにはいかない。根を張ったように動かない足に意識を集中させて、小路を駆け戻る。胸が詰まって、呼吸がうまくできない。一方的ながら二度目の邂逅を果たした公園まで疾走して、道路から見えない樹木の陰に隠れてへたりこんだ。
 呼吸は荒い。溢れる雫は頬を伝い、落ちて地面の色を変える。じわじわと広がる他より暗い地面の染みを見て、自分がどこか遠い場所にいる感覚に陥る。零さんは一人じゃない。その思考だけが自分の中に広がっていく。
 これは幻想だろうか。またリアルな夢を見ているだけなんだろうか。私はまだ東都を訪れてなんかなくて、ただ、都合のいい世界にいるのだろうか。もしもこれが現実だとしたら。──ああ、零さんは、もう大丈夫や。
 処理落ちしそうな凡人の頭を動かす。
「──私、要らないな」
 無感動な声が出た。自然の摂理に思えた。物語の不確定要素は退場すべきだ。ぐす、と鼻をすすって涙を抑え込む。零さんには幼馴染の親友がいる。もうすぐ再会できる。ヒロという帰る場所がある。──私が果たしたかった役目は、もっと相応しい人がいた。良かった。
 長らく潜入した組織を壊滅させて、死んだはずの幼馴染と再会する。なんて素敵なハッピーエンド。画面の向こう側の美しい世界。
 そこに『核』などという不確定要素は不釣り合いだ。私に何かあれば、崩れてしまう不安定な世界。彼の命というイレギュラーは、もしかしたら、次の世界では消え失せる。紅子ちゃんのように。そんなの絶対に。
「ゆるさへん」
 強い言葉、強い声が自分の中に響く。
 この世界を、この世界のまま終わらせる。
 目元を乱暴に拭った。新たな決意の炎を胸に宿して、立ち上がる。

 これが夢やとしたら、どうか覚めないでほしい。
 夢から目が覚める時は、全部忘れていたい。一度見てしまった希望を喪ったら、今度こそ立ち直れる気がしない。ただ現状にそぐわない決意だけを胸に、あと少しさえ、頑張れる自信がない。自分の行動が自分でさえも想像できなかった。

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