推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 67

「まだ一ヶ月、か」
 鄙びたの旅館の窓際で、月明かりの下日記帳を捲って項垂れる。ミニテーブルには地酒である日本酒の小瓶を置いていて、その残りを備え付けのグラスに半分ほど注ぐ。
 仕事を辞めてからというもの、一日一日が長く感じて仕方がない。あまりの目的のなさに、二十八歳にして青春十八切符に手を出したくらいだ。スマホや本で文字を追いながらの電車旅は想像以上に悪くはなかった。
 振り返りつつ、ちびちびと日本酒を舐める。
 梓ちゃんと少しずつ少しずつ、疎遠になっている。ポアロの話を聞くし、返事もする。けれど私から話題を振ることはめっきりなくなったから、毎日のようにしていた会話も随分と落ち着いた。コナンくんとも距離をおくことに成功している。コナンくんも交友関係が広い人だから、私一人疎遠になったところで特段日常は変わらないだろう。一方でオリハルコンメンタルでめげない沖矢さんとは、たまにメッセージのやり取りをする。油断するとすぐに既読がつくので、なんともやりづらい。コナンくんや梓ちゃんは勤務時間や授業時間を狙えばいいが、彼だけはそうはいかない。先週からはスタンプから英語に切り替えて、週一実践英語の場にしてやることにした。あなたからすると盗聴片手間の暇潰しかもしれませんがこっちからすると違うのでまじでいい加減自重しろください。
 零さんとも、相変わらずだ。お互い忙しいのだと思ってくれているようだが、ここ一ヶ月電話をしていないからそろそろ訝しがられるかもしれない。零さんが特に忙しかった時期はこれくらいの間隔どうということはなかったけれど、東都訪問もなくなった今は、よく分からないというのが正直なところだ。電話は怖い。でも、探される方がずっとずっと恐ろしい。
 見上げると大きく感じる満月が何だか憎らしく思えて、グラスを一気にあけた。

 翌晩、思い切って電話をしてみたが繋がらなかった。
「……ですよねえ」
 まあこの履歴で、逃げているという想像が少しでも遠ざかれば充分だ。特段用があったわけではないことを文面を制作し、おやすみ、と最後に入力して送信した。電源を切ってホテルに向かう。

 その日の一時間後には返事が届いていたのだが、当然私が気付くはずがない。
 ハロは相変わらず、元気らしい。



 キャリーを引きずっての旅にも慣れた。眠りの小五郎は事件を解決し続けている。
 転々とすると、色々な巡り合いがある。数年前沖野ヨーコが撮影で訪れた店。眠りの小五郎の同窓を名乗る男。黒羽盗一のマジックショーをきっかけに手品が趣味になったお爺さん。根っからのビッグ大阪ファンの夫婦。展示された三水吉右衛門のカラクリ。
 紅葉を眺めた。らしくないハードなトレーニングメニューをやってみた。一日でめげた。基本的には節約生活だけど、一度だけ、三井紗知の名前を借りて温泉宿にも泊まってみた。各地の神社仏閣を巡り、神仏に祈った。
 零さんから、しばらく忙しくなりそうだというメッセージを皮切りに、ほとんど連絡が取れなくなった。組織に潜入捜査官と疑われているのかもしれない。であれば、あの人は私との接触は極力避けるだろう。少なくとも危ない橋を渡っているのは確実だ。梓ちゃん三井くん経由でポアロに出勤している限りは生存確認できるものの、休んでいる期間も少なくはない。何度も、安否を問うメールを風見さんに送りかけた。
 劇場版だか佳境だか、分からない。無事に終わってくれとひたすらに願った。



 突然の夏にまたかと諦観の念と共に、県をまたいで移動する。翌日は夏祭りということで、せっかくなので浴衣をレンタルして夏祭りに行ってみることにした。
 三井くんに自撮りを送ってみた。仮面ヤイバーのお面をかぶってはしゃいで回る子供達を眺めつつ、夜店街をゆっくり練り歩く。人混みで増した蒸し暑さに負けてかき氷を買った。ブルーハワイを選んで一口食べたものの、こんなんだったか、冷たいだけの味気なさに首を傾げた。食べることも無意味に歩くことも途中で疲れてしまって、かき氷片手に人混みを離れたくなった。水になれば、多少甘味を感じるようになるかな。
 かき氷を手に、人混みに逆行して橋を渡る。花火が見えないのだろう、高架下の公園は人気がなくひっそりとしている。あそこにしようと辿り着いたベンチで、ほとんど水になったかき氷のカップに口を寄せた。どうしようかなとぼんやり考えていると、巾着の中でスマホが鳴った。
「──あ、三井くん?」
 このスマホにかけてこれる唯一の相手なので、素直にその着信に応える。
「なにやってんの?」
「……浴衣夏祭り?」
 呆れ声に、気のない返事をする。
「見たらわかる」
「ぼっち淋しー」
「なんで浴衣着てまで飛び込んだんや」
「何となく」
「……で? 進藤さん、元気か?」
「……うん」
 そういえば、名前を呼ばれるのはいつぶりやろう。会う人には名前を偽るし、三井くん以外とは電話もしていない。
「ほんとか?」
「実はちょーっと、疲れてる。現実逃避中」
「それで一人夏祭り?」
「まあそんな感じ? どこにいってもさ、あちら側の人がいるから」
「……うん」
 優しい声で、私の話に耳を傾けてくれる。
「油断できないし」
「ああ」
「ねえ、そっちどんな感じ?」
「まあ変わらずだな」
「仕事忙しい?」
「犯人生産が大人しくしてくれりゃいいんやけど、そうもいかへんからなあ」
「だよねえ」
 悠宇を知る人に会いたくなったけれど、それを口に出すと三井くんはこちらに来ようとしてしまう。今更他の人に会うのも、負けた気がする。
「うちの人変わらず忙しいみたいだし、そろそろかなとは思うんだけど」
「……ああ、それは多分、間違ってないと思う」
 相変わらずポアロには行ってくれてるみたいだし、多分、正しいのだろう。
「そっかー」
「あとちょっとだ」
「うん」
「けどそのちょっとが頑張れるかは別問題やろ?」
「うん? つまり?」
「近々会いに行くよ」
「え、まじか」
「まじまじ」
 先手を打たれた。いっそ、その前に会いに行ってやろうか。
「でも悪いから」
「自分にれる時間とかも必要だろ」
「──なんでも、分かっちゃうんだねえ」
「まあ経験値が違うからな」
「先代様は言うことが違うなあ。前……と、その前か。何をしたんだか」
 はは、と笑うだけで答えてはくれない。答えてくれるとも思っていない。
「会う場所と日時、指定していいか?」
「うん。勿論構わないけど」
「ホテルもこっちで手配するから」
「え? どうして?」
 意図がよく掴めずに首を傾げた。
「ちょっと」
「ちょっとって何さ」
「あー……これを機に、会わせたいやつがいるんだ」
「ほー?」
 黒羽快斗くんですよね分かります。
「見たい会いたいうるせえし。色々知った上だから、余波も自己責任やしそこは一切心配すんな。終わった後の相談兼ねて、会っといた方がいいってのも事実だし」
 つまりは説き伏せられたらしい。
 自分の協力者だからって、このタイミングで会わせようなんて人が悪いなあ。いや、今だからか。影響が大きくなる前に完結すれば問題ないとかなんとか、言われたんだろうか。

 でもごめん、私は三井くんが思うほど強くない。キャラクターには、怖くて会えない。一度だけ会うのも怖いのに、今後もなんて可能性を思うともう吐きそうだ。
 真っ暗になった画面を見つめる。こうなったら、秘密主義者には実力行使で対抗してやる。平日なら大丈夫やろ。……とりあえず、マスクと伊達眼鏡買うか。コナンくんが眼鏡で誤魔化せるなら最強のツールやん?

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