散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第一夜

 私は見知らぬ部屋にいた。
「──夢か」
 即座に気付いたのは、ローテーブルを挟んだ対面に座っている子供の顔は白いもやがかかったように認識できないからだ。
「みたいだな」
 声はくぐもっているが、聞き取れない程ではない。むしろ不思議と言葉を理解できるご都合主義に明晰夢だなと確信を強めた。お酒を飲んだわけでもないのに記憶が飛んでこんなところに拉致監禁されているとは思えないし、布団に入った時のスウェットではなく昼間着ていた薄手のニットにジーパンという服装に逆戻りしている。これは洗濯籠に突っ込んだぞ、と思うと気分がいいとは言い難い。一方の浅黒い肌の子供は恐らく少年なのだろう、長袖シャツにチノパンという姿で私と同じように自分や当たりを見回している。いや、見回しているように見える、というのが正確な表現だろう。何しろ頭部がぼやけて分からないのだから。
「ここどこ?」
「知らねえよ」
 問いかけにはつっけんどんに返事をされ、この子供のモデルは誰だろうと記憶を探ったが、すぐに無意味だと思ってやめた。諦めが肝心である。
 ぐるりと部屋を見回すと、一人暮らし向けらしいワンルームマンションの一室のようだ。しかし大型家具はあるものの真新しく、本棚には一冊の本すら収まっておらず、食器棚らしき棚も磨りガラス越しにその機能を果たしているとは考えられない。キッチン横のラックも電子レンジや炊飯器といった少しの家電があるだけの伽藍堂な部屋だ。首を掻いて立ち上がり、少年の横を通り過ぎて真っ直ぐ窓に向かい、カーテンをさっと開く。
「……なるほど?」
 そこには真っ白な世界が広がっていた。溜息を飲み込んで鍵を外して窓を開けようとしたが、突っかかったように動かない。
「何してんの?」
 ガタガタと動かぬ窓と戦っていると、背後に少年が立っていた。
「開かないの。やってみる?」
 一歩引くと今度は少年が窓に両手をかけたが、やはり動かなかった。
「夢だし」
「だね」
 一度だけであっさりと諦めた少年は、今度はとてとてと玄関に向かった。それについていって二人で確かめたが、こちらも同様に開く気配はない。身長から私しか覗くことはできなかったが、ドアスコープから見える景色も白く染め上げられていた。

 ふむ、と顎に手をやり靄の子供を見下ろした。背丈からすると小学生だろうか。少年だと直観的に思っていたが、果たしてそうだろうか。いや私の夢なのだから恐らく直感は正しいのだろうが、再三繰り返すが靄である。認識できないのだ。顔立ちも髪型も分からない。よくよく目を凝らして見れば目も鼻も口もなんとなく分かることに気付いたが、その特徴を捉えることはできなかった。見えないというよりも、見たその瞬間から記憶が飛んでいるみたいだ。ともあれ二次性徴前の子供は体格から断定も難しい。口調などそれこそ人それぞれだ。顔が分かったところで、結論は変わらないのかもしれない。
「次はクローゼットかな?」
「うん」
 玄関からすぐにあるクローゼットを開いたが、想像に違わず空っぽの衣装ケースが鎮座しているのみだ。
 RPGみたいでちょっとだけわくわくしたのだが、ここまで何もないとは。私の脳味噌は貧困だということなのだろうか。背後の扉を開いてトイレとバスルームを確認したが、トイレットペーパーすらない徹底ぶりである。およそ人が住む環境ではない。検分した鏡に映った私はすっぴんだった。ここまできたから化粧もオートにしておいてくれよ、と思った。フォトショも可。
「戻ろっか」
 はあ、と靄溜息をついた。
 再びローテーブルで向かい合う形になり、カーペットの上に胡座をかいた。座椅子かクッションくらいあればいいのに。パソコンは見当たらないし、脱出ゲームでももうちょいなんか手掛かりがあるだろう、頑張れよ、諦めんなよ、などと自分の言動を棚に上げて考えた。
「あんた、誰?」
「誰でもいいんじゃない? 夢だし」
 投げやりに言うと、正面の靄が不快そうに揺れた。
「……いつこの夢は終わるんだよ」
「目が覚めたら」
「いつ覚めるんだよ」
「さあねえ、私に聞かれても分からないものは分からないよ。いっそ寝たら起きるんじゃない?」
 適当に言って、セミダブルのベッドを指差した。お誂え向きにネイビーのシンプルな寝具が整えられている。
「……どっちが寝るんだ」
「ああ、私が寝ないと夢は終わらないのか」
「僕の夢だぞ」
「ほぅ」
 沈黙が降りた。靄にもしっかりと自我があるらしい。僕っ子だったらちょっと可愛いな、と思った。
「私と靄少年の主張が正しいとすると、夢を共有していることになるね」
 区切って反応を待ったがリアクションはない。いや、言葉でのリアクションはない、なのか。面倒だなあ。その気になれば表情を窺えるのだろうが、今の私にとっては億劫に感じた。
「なーんで夢の中でまで色々考えてんのかなあ」
 ぐてりと机に突っ伏した。
「……靄少年って、何」
「ああごめん、呼び方が他に浮かばなくて」
 軽く頭をあげて、気のない謝罪をする。
「あんただって靄人間だ」
「ああん? なんだ、私視点じゃあんただけが靄なんだけど、君からすると私だけが靄なわけ?」
「そうだよ」
「白い靄が頭あたりにかかってる状態?」
「そう」
「声はくぐもってる?」
「くぐもってる」
「一緒かあ」
 本当に変な夢だなあ、と嘆息する。
「何もないし、出れないし、やれることはお喋りか寝るかくらいだけど、どうする?」
「あんたに話すことは何もない」
「じゃ、寝よう。それで起きれなかったらその時考えよう。どうせ夢なんだから適当でいいって」
「だから、どっちが寝るんだよ」
「もうこの際一緒に寝ようか」
「は?」
「添い寝。手っ取り早いでしょ?」
 つまるところ私は思考を完全に放棄したのである。決断すれば即行動だ。ゆったりと立ち上がってまっすぐベッドに移動し、もそもそと布団入った。
「さっさと脳も眠らせて上質なレム睡眠取りたいの。ほら、君も」
 躊躇する靄少年に手招きして急かし、少し強引に説得して、渋々といった体であるがベットの端に入らせた。腕を引くのは控えておいたが、その段階で無事に説得されてくれて何よりである。まあ許諾されなかったところで私一人が眠るだけなのだけれど。
 連勤の末の休日出勤を終えた私はできるだけしっかり休みたいので、早々に視界を遮断した。
「おやすみー」
 夢の中で眠気などないかと思っていたが、すぐに意識は途切れた。

***

 そうして私は現実に戻ることに成功したのだが、起床時刻はなんと草木も眠る丑三つ時である。即座に二度寝をした。日曜だからなどと曜日を考慮する余地もなかった。
 次は夢を見なかった。

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