散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第二十夜

 目を開く、緊張の瞬間。気付けば姿勢が変わっていて、光を取り込む前にあの部屋だと分かってしまう。怒ってるかな、訝しんでるかな、びっくりしてるかな、笑ってたらいいな。願いを胸に秘めて瞼をゆっくりと持ち上げる。眼前に座する男の存在に、やはり今日も続きなのだと安堵して、きゅっと引き結んでいた唇が微かに緩んだ。
「こんばんは、零。元気にしてた?」
 そこにあったのは戸惑いだった。
「桜、ちゃん……」
 彼が昔の呼び方を使う時は、弱ってる時。ああ、ダメだったんだね。命は儚く散ってしまう。
「……ごめん」
「え、何が?」
 完全に伊達さんの件だと思ったんだけど、だとしたら謝られる理由がない。全くの別件なのかな、心当たりがない。首を捻る私に、彼にしては本当に珍しく、視線を少し逸らした。
「まさかとは思うが、実は知ってた、とか言わないか?」
「……何を?」
「二月に、車に跳ねられて死んだよ。せっかく忠告してくれたのにな。呆気ないもんだ」
 口角を歪めて自嘲の笑みを湛え、瞳の奥に陰が落ちていた。そう、と静かに声を発することしかできなかった。
「いくつか妙なこと聞くけど……桜って、実は占い師だったりする?」
「ううん」と首を横に振った。
「一般的に、占いは的中するもの?」
「ううん」
「新しい仕事って、警察関係?」
「違うよ?」
 前二つはともかく、最後は透がどう推理したか分からなかった。住む世界が違うって、知らないから、内部情報だと思った?
「そうか。……そうか、分かった」
 零の中で決着はついたらしい。やっぱり透はあの降谷零で、世界は予定通りに巡っている。
 多分今日で最後だろう、という予感があった。次に会う時は原作を終えている時分だろう。けれど、こちらの世界ではまだ終わってなんかない。今度こそタイムパラドックスだ。来週彼の話を聞けば、私はこの時空を逸脱した存在になる。
 だから今日の私は戦闘服を身につけている。同じ終わりを迎えるのなら、不思議なお姉さんのまま終わりたい。昼間誰に会うわけでもないのに丁寧な化粧を施した。ネイルポリッシュは落としてしまったけれど、ケアはしっかりと。アイボリーのセンタープレスパンツにシャーベットグリーンの開襟シャツを合わせ、首元にはゴールドのネックレスを付けて、靄に埋もれた耳元でクリアな大振りのピアスを揺らす八月仕様。五分袖の私も、黒いスーツの零も、お互い快適な温度に感じられることくらいがこの部屋の数少ない便利なポイントだ。
「偶然でも必然でも、死んだ人間は還ってはこない。夢は夢で、桜に超自然的な力はない。今からやれることは何も無い。ただ……話を、聞いてくれるか?」
「もちろん」
「隣に行っていい?」
 ちょっぴり照れくさそうな透に「私が行くよ」と返し、言葉通りに隣に寄り添った。床についた手に大きな手が被さり、ぎゅっと握られる。警察学校の時に知り合った、零の教場の班長だった正義感溢れる豪胆な男。その癖意外にマメで、時々メールを送ってきていたこと。返事はしなかったが、読んではいたこと。楽しみで、メールアドレスを変えられなかったこと。当時から付き合っていたハーフの恋人がいて、結婚式に呼んでくれると約束したきりになっていたこと。その恋人が後追い自殺したこと。微笑みや悔しさを随所に滲ませつつ、半年の短い付き合いとその後の細くも確かな繋がりを語った。
「どいつもこいつも、馬鹿野郎がっ」と透はつっかえながら罵った。
 露わにされた普段隠した感情を、彼の身体と共に抱き締めたくなった。床についた手はそのままに、反対の腕を彼の肩に回して勢いよく引き寄せる。鍛えられた肉体が簡単に傾いで、手を背から上へ向かわせ、頭を胸元に掻き抱いた。指に透のさらりとした髪が絡まり、優しい匂いが鼻腔に届く。
 彼はまだ、受け入れられていないのだ。二ヶ月前の出来事だが、彼の耳に入ったのはもう少し経ってからだ。まだそれだけしか経っていない。その上喪失感を分かち合う相手もいない。そして少なくとも親友の死は、心の中にしこりとしてまだ残っている。無理もない。むしろ自然だ。だが環境は待ってはくれない。
「なんで、どうして、みんな、逝ってしまうんだ。先生も、ヒロも、ハギも、松田も、伊達も、みんなみんないなくなる。なあ、僕は死神にでも取り憑かれているのか?」
 私はむしろ神様に愛された代償だと感じた。
「……そんなこと、ないよ」
 潤んだ言葉を否定し、ますます強く抱き締める。曖昧な『桜』などという存在に縋らせちゃいけない、と思っているのに。泣きそうな透を目の前にして動かないなんてできなかった。
「そんなことない」
 繰り返すと、透の身体の力が少し抜けて、私に体重を預けてきた。五分、十分、抱き締めるうちに私の方が何故か泣けてきてしまって、瞼を開いたまま必死に涙を押し留める。
「……桜」
「な、に」
 声が不自然に途切れて顔を顰めた。
「僕の為に泣いてるの?」
「泣いてない」
「本当に?」
 透が身体を起こそうとしたので、慌てて腕に力を込めた。
「わ、こら! もう、じっとしてて」
「なんで?」
「なんでも!」
 揉み合いになると、そりゃあもう瞬殺で負けるに決まっている。あっという間に形勢逆転し、敗走するべく身を引いた弾みで押し倒されてしまった。
「……やっぱり、泣いてる」
「顔見えてないくせに」
「それくらい分かるよ」
「分からなくてよろしい」
「ごめんね、馬鹿なこと言っていい?」
「嫌だ」
「可愛い」
「嫌だって言ったじゃん!!」
 にっこりと笑う透は、どうにもハグの間でとうに立ち直っていたらしい。なんだそれ!
「心配して損した気分……」と脱力する。
「いつものお返しかな」
「嘘だろタチ悪すぎない?」
「なんとでもどうぞ」
「まじで可愛くないなあ」
「それよりこの状況、分かってる?」
「ああ、どいてくれる?」
「嫌だと言ったら?」
「力づくで! いや無理。諦めた」
 首だけ一瞬起こし、また床に戻った。
「力入れてもないだろ」
「無駄は嫌いなもので」
「じゃあ、大人しく襲われる?」
「零が起き上がれば済む話なんだけど」
「僕はこのままがいいかな」
 そう嬉しそうに、私の目元に口付けた。呼吸が止まる。透はちゅっちゅとリップ音を立ててキスの雨を降らし、私はやっぱり抵抗しなかった。ダメだ、本当に食べられる。
「……零」
 唇が重なった。静止をかけるべく静かに呼んだつもりが、了承と読み違えたのか、分かった上でやっているのか。視界いっぱいの国宝級イケメンは答えてはくれないだろう。ちゅ、ちゅ、と角度を変えて何度も唇を押し付けられる。真意がちょっぴり気になるのだけれど。
 彼が自分から何かを話す時は、きっと真実だろう。たが私が聞いたことに関しては、多分、この男は平気で嘘を吐ける。さあどうしたものか。
「桜……」
 艶っぽい囁きを無視し、唇を真一文字に閉ざす。解決策を考えなければ。バードキスを贈りつつ、腕を床に縫い止めた褐色の手が手首の内側を擽る。おい待て待て良くない。とてもよろしくない流れだぞ。
「と──んっ」
 思わず開いた唇の隙間から舌が捩じ込まれ、咄嗟に離れようとしたが背後は如何せん床だ。しかし、ならば透から目を背けていいのかと問われると私は答えられない。強ばった私の身体に気付いた透は、ゆっくりと唇を離した。まだ触れそうなほどの至近距離だが、私が拒絶することはしない。それが分かっただけで緊張が解ける。
「まだ、ダメなのか」
「……うん」
 透の囁きに頷く。
「何が足りない? どうすればいい?」
 足りないのは私の覚悟だよ。
「桜は仕事が変わっただろ」
「うん、そうだね」
「引越しもした、だろ」
「うん」
 この金曜日にしたところだね、などとは絶対に補足しないけど。したことに相違ない。仕方がない、お盆真っ只中だからこそ引っ越す人が少ないのか、巡り合わせか、うまく業者を確保できたんだから。脳内で言い訳オンパレードしていると、透がまた口を開く。
「生活環境が変わった」
「うん」
「それでも、この部屋は続いてる。僕と君は変わることなく、この部屋で繋がってる」
「うん」
「何が引っかかってるんだ? どうすれば、君は僕に振り向いてくれるの」
「──顔が見えたらね」
 そうしたら、その時は君に告白する。もしも本当に次なんてものがあれば、名前くらい名乗ってやろうと思う。そしたら、きっと顔が分かるから。
「まーた、そうやって難題をふっかける……」
「ふふふ」
 にんまりと笑うと、この悪魔、と罵りながら身体を起こした。
「公安の鬼に言われるなんて光栄だなあ」
「鬼じゃない。言われてない」
「どうかな、っと」
 仏頂面で私の腕を引き、起こしてくれた。
「ありがとう」
「で、結局年齢は?」
「さあね」
「タチが悪いのどっちだ」
「えへへー」
「照れんな。一ミリも褒めてない」
「つまり四〇〇マイクロくらいは褒めてるってこと?」
「四捨五入もしてない。そしてなぜ上限を取った。どっから湧いてくるんだその自信」
「あれれ、いだっ」
 デコピンがクリティカルヒットして仰け反った。
「手加減って辞書に刻んどいてくれる? 銃弾が飛んできたかと思った」
「大袈裟だな」
「零がゴリラなだけでしょ。効果音ドスッだったよ。すごいじんじんするんだけど」
「ハイハイ悪かったよ」
 乱暴に私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。歳上だぞ、と言いかけたが、今や逆転しているのだったと思い出して閉口する。
「何か言った?」
「べっつにー」
 訂正、誕生日があるから多分同い年。まだまだ認めてやらないぞ、歳下だなんて。
「暴力の対価として、カフェラテを要求する」
「ラテ、な」
「泡立てたミルクね」
「ちゃんと覚えたんだな。えらいえらい」
「イラッとした。ラテアート追加で」
「了解」
「できんのかよ!」
「簡単なものならね」
「ではお手並み拝見」

 透が淹れてくれたのは、桜のラテアートのカフェラテだった。いちゃもんつけてやろうかと思ったけど、そんな隙はなかった。
「ちゃんとおいしいし……よし、次は立体だな」
 私はカフェラテを、透はコーヒーを、並んで飲む。
「固めのミルクフォームか。練習しておくよ」
「しまった、これじゃ無茶振りにならない。初めててちょっと覚束無い感じのを見たいのに。間違えた」
「趣味悪いぞ」
「パウンドケーキの頃が懐かしい……初のお菓子作り……」
「じゃあイメトレだけにしておく」
「へ?」
「それならいいか?」
「自分でハードル上げていいの? あ、愚問だったね失礼」
「おい。淹れるのは桜が最初の相手になるんだぞ」
「となると忘れた頃に言ってあげないとな」
「了承と受け取るぞ。……約束だからな」
 ちょん、と小指で私の肘をつついてはにかむ。なんだこいつ。ギャップ狙いか? 態とか素なのかどっちだ、と悩んだ時点で多分透の手の上な気がした。
「ん」
 さっきより少しだけ強く、透が肘をつつく。
「はーい、指切りね」
「うん」
 ま、3Dラテアートなんて日常生活で出てこないし。このくらいの約束ならいいか。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます!」
「ゆーびきった」
 零の声に重なって、出会ったばかりの透の声が聞こえた気がした。子供っぽいところが可愛く見えたからだな。そうだよな、もう二十年だもんな。
「さて、と。私はこの部屋に針を千本出すシミュレーションしておかないと」
「知りえないからって、穿ちすぎ」
「自分用で練習もアウトだからね」
「抜け目ないな……」
「だってやる気だったでしょ?」
「ああ」
「やっぱり。お見通しだよ」と得意気に笑う。
「事後承諾は契約違反じゃないか?」
「あら、もう反故にするの?」
「しない」
 即答だった。
「楽しみにしてるね。私も何か練習しようかな。今なら新居に物を増やせるし」
「道具に頼るとここじゃ何もできないぞ」
「痛いとこ突くねえ。うーん、まあ、零が作ってくれるからいいか」
「なんだそれ。便利屋扱い?」
 笑って流すと、否定しろ、と小突かれた。
「私より料理上手そうだし」
「新居でもサボってんの?」
「そこそこかな」
「ふーん。今どこ住んでるんだ?」
「都内だよ」
 分からない地名を言っても仕方ないし。簡潔に答えると、ふうん、と不服そうに唸ったが追及はされなかった。
 お茶を濁しながら新居の話をして、何故かストーカー対策の方法を力説された。治安良くはないけどそこまで悪くもないやい。正直ちょっと小煩いと思ったけれど、最後かなと思うと名残惜しい。二杯目のコーヒーを淹れてもらって、透の話を聞いた。美味しいカレーの店を見つけたとか、温泉に行ったとか、なんだかんだ楽しく暮らしているように話していた。
 もっともっと話を聞いていたいけど、ずっと起きているのは多分体に悪い。二杯目を飲みきったところで就寝を提案し、二人でベッドに潜り込んだ。
 今夜もまた、恋しい腕の中で瞼を閉じる。
「おやすみなさい、零」
 さよなら、零。
 さよなら、透。
 大好きだったよ。

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