「はい、波江」

昼休みを終えて仕事に戻るその時、上司が目の前に差し出してきた箱。私には意味が到底理解出来なかった。

「…何よ、それ」

相手の意図が解らない分、貰う事など当然せずに疑問を素直にぶつける。

「ほら、今日は何の日?」

「14日」

「何日じゃなくて、何の日かって聞いてるんだけど」

「世間一般的に言うと、ホワイトデーね」

「そう!」

そこで彼は大怪我な素振りで息を吸い込み、馬鹿みたいに天井を仰ぐ。嗚呼、"馬鹿みたい"じゃなくて本当にこいつって馬鹿なのね。

「世間一般的に言わなくても今日はホワイトデーだよ。ホワイトデーと言ったら男性が女性にバレンタインデーのお返しを渡す日だよね、だから俺は今正に君にこれを差し出している訳。理解した?」

そうして更にぐい、と箱を押し付けてくる折原臨也。それでも私はまだそれを受け取らずにパソコンを起動させ、その横の写真立てへと視線を這わせた。

「だとしても私はそれを受け取る理由も義務もないわ。即刻撤去しなさい」

そこで私のデスクの前に立つ男の表情が変化した。悪戯をしている最中の小学生のようなあどけない、しかしどこか悪意を孕んだ笑顔に。

「…へえ、どうして?」

「どうしてもこうしてもないわ。何故なら私は貴方にバレンタインデーのプレゼントなんてものは渡していないもの」

「嗚呼、確かに"直接は"貰ってないかな」

「……どういう意味?」

私の質問の余韻が残るか残らないか位の時に彼は室内にふふ、と吐息を孕む笑みを漏らした。とても可笑しそうな表情で。

「今年波江が作ったのはガトーショコラだったね、綺麗に焼けてたし甘すぎなくてなかなか美味しかった。包装は確か、ピンクの箱に赤いリボン。そして一言だけのメッセージカードが添えてあった。そしてその内容は、」

上司のあげた特徴には覚えがあった。しかしそれは折原臨也が知っているはずのない事。沸々と込み上げるは、熱。

「…待ちなさい。それって…」

「"誠二へ。Happy Valentine Day"」

疑問は確信へ、そして熱は怒りへ。

「それをどうして貴方が…」

「俺はちょっとのお金と好意を駆使しただけだよ。それだけで手に入っちゃったんだからきっと、ガトーショコラも俺に食べられたいと切に望んでいたんだろうさ」

「ふざけるのも好い加減になさい」

声音が自ずと鋭くなった。
嗚呼、本当に憎たらしい。馬鹿馬鹿しい。忌ま忌ましい。

「って事で誠二君からはホワイトデーのお返し、貰えないんだよ?波江」

「………」

「きっと誠二君は今張間美香に用意したお返しを渡してる頃なんじゃないかな。何渡したんだろうね」

「………」

「だからさ、波江」

俯く顎を折原臨也の指先に掬われた。視界に収まる小憎らしい涼やかな笑顔。
私の唇は返答も紡げず、ただ目の前の紅茶色の瞳を見ていた。


「今日くらいは俺を見てよ」


刹那、身体を包み込まれた。背中に宛がわれる掌の優しさ、首筋へと掛かる柔らかな吐息、意外と心地の良い華奢な身体。その総てが初めての感覚で、戸惑う私は身動きの一つも取れなかった。

視線を泳がせた先には、机上の写真立て。

しかし胸中に現れた罪悪感と、少しの揺らぎが私の視界を封じ込める。

真っ暗闇の世界の中、二人だけの世界の中。

私は何かに堕ちていく。



そんな感覚に襲われた。



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