「シーズちゃん」
俺、折原臨也は僅かに痛む脚を用いて辿り着いた先の見慣れた扉を開く。それと同時に中に居るであろう人間の固有名詞を紡ぐと、書類を書き込む為作業用机に伏せていた顔を上げる先生。毎日繰り返す俺達にとっての日常だ。
「平和島先生、もしくは平和島保健室教諭と呼べ」
「つれないなぁシズちゃん、俺達の仲でしょ?と、いうかまた怪我しちゃった。治療してよ」
先生は度が入ってるんだかないんだか解らない眼鏡の下で目許を歪める。心配してくれてるんだろうな、至極光栄。
「何でお前はそう毎日毎日傷作ってんだよ、喧嘩とかよぉ…若いのは好い事だがお前のは度が過ぎてんだろ」
「"何で"かぁ、……だって向こうから仕掛けてくるからさ、俺としては返り討ちにしなきゃ気が済まない訳じゃない」
「意味解んねぇよ」

俺は入った時のまま真後ろに扉が在るその位置から動く。数歩進んだ先の椅子に腰を下ろしてシズちゃんを呼び付けた。
「でもさ、先生は若い頃俺なんかとは比較にならない程やんちゃだったって聞いたけど。喧嘩人形とかって」
「……昔の話だ。その経験を生かして手前に忠告してんだよ」

彼は消毒液とピンセットで挟んだ脱脂綿を持って近付いてくる。俺の前まで辿り着くと、目前にしゃがみ込んで血の流れ出す膝の傷口へ向かう。シズちゃんが俺の前に跪ずくという構図には中々面白いものがあるがそれは置いておき、流石は保健医。手つきが慣れていて様になっている。作業音以外は静まりかえった室内で俺は暫し耳を澄ませた。

「シズちゃん」
「平和島先生だろ」
「"何で毎日怪我してんだよ"って言ったじゃない。本当に心当たりない訳?」
「返り討ちにしなきゃ気が済まないんだろ?」
「……シズちゃんて…馬鹿正直だよね、この場合の馬鹿は正直を強調するための馬鹿じゃなく本当に頭の働きが鈍い人の事を示しているんだけど」
これには溜息も漏れる。
「ああ?五月蝿ぇよ」
傷の上にガーゼを乗せてテープで固定し治療を終えた先生の頭を両手で掴む。眼鏡の奥の瞳を見据える。「俺がいつも怪我してるのはさ、ここに来るためだよ。厳密に言えばシズちゃんに逢うため。俺が何もなくここに来たら妙な所で真面目な先生はすぐ教室に帰すだろ?」
「……………」
口を閉ざして黙り込む先生。

「ところが俺が傷作って来たらいつまで居ても文句は言われない上にあまつさえ心配までしてくれる。こんな好い事ってないじゃない」
「……………」
眉根を寄せた神妙な面持ち。

俺はシズちゃんの頭を拘束する力を解き、緩やかに頬を撫でる。
嗚呼、何だかもうどうでも好い気がする。引かれても好いか。

「シズちゃん、好きだよ」「……………」
「ずっとずっと好きだった。こうして、触れてみたかった。俺の事だけ考えてほしかった。独占したかった」
身体を屈めて先生の背中へと掌を回して添える。緩やかに伝わる体温とか、柔らかな髪から香るシャンプーの匂いを堪能するため目蓋を下ろした。


俺が口を閉ざした事により、再び訪れた沈黙を破ったのは先生だった。
「…あのよぉ、何つーか。俺は教師で、手前は生徒…だと、思ってた。だけど最近、…手前が来ない土日は…何つーか……その」
密着していた上半身を離して前の俯く表情を窺うと、心なしか頬が紅色に染まっているように見えた。
「それ以上は言わなくて好いよ、シズちゃん」

俺は緩む口許を隠しきれぬまま先生の言葉を制し歯切れ悪く動く唇を、自分のそれで塞ぐ。彼の肩が僅かに揺れるのがよく解った。

重なった唇からは、嗚呼、シズちゃんの味がした。
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