花巻くんが教室に入って来るなり私に声をかけて、途中で止めた。しまったと言うように手で口を覆った彼は冷や汗をかいていた。そんな彼を見て私も一気に嫌な汗が出てきた。焦る私に視線で「まじでごめん」と訴えてきた花巻くんは悪くない。
「チョコって何の話?」
私の目の前に立つ彼がいつもよりもワントーン低くした声で私と花巻くんに向けてそう言った。えーっと、と返事に迷っている花巻くんを見て私が何とかしなければと口を開く。
「と、友チョコみたいなのをあげて…その、花巻くんは同じクラスだし」
「なにそれ。俺聞いてないけど」
先日のバレンタインで、花巻くんにはチョコの味見をお願いしていたのだ。
徹に喜んで欲しくて今年は手作りにしようかなって考えたけど、女の子達からの贈り物に慣れてしまっている徹に低クオリティの物なんて渡せないと、バレンタイン当日より前から甘党の彼に練習に付き合ってもらっていた。勿論、徹には秘密で。まさか、このタイミングでバレるとは思わなかった。絶対に秘密にして欲しいと頼み込んだせいで、花巻くんも何と言い訳をしようか迷っている様子だった。一方徹は、花巻くんが来る前までは満面の笑みで話していたのにそれが一気に消え去っていて怖い。
「名前、俺だけにくれたんじゃなかったの?」
「い、いや、ちが」
「俺は今年名前以外から貰わないようにしたんだけど」
知ってる。私が嫌がると思って、そう言って断ってくれていたこと。無理矢理下駄箱や机に詰め込まれていた物以外のチョコは受け取っていなかった。
「それなのにマッキーにあげたんだ」
「あー…おいか」
「マッキーは黙ってて」
「スミマセンデシタ」
私を助けようとしたのか間に入ろうとした花巻くんが敢えなく撃沈する。
「…ごめん」
「別にいーよ。俺以外の人にあげないでねって言ってないし」
全然いいと思っていない声色で徹がそう言った。
ああ、もう…こんなはずじゃなかったのに。徹が喜んでくれればいいなって思ってしたことが全部裏目に出た。
「いいんじゃない?同じクラス同士仲良くやってれば」
全部私が悪いと反省しているのに、そんな言葉を言われて思わず反応してしまう。
「…なにそれ」
「だってそうでしょ。二人で隠れてコソコソしちゃって」
「そんな言い方しなくても良くない?」
「は?本当のことでしょ」
「そうだけど…さっきから謝ってるのに」
「だから謝らなくてもいいって言ってるじゃん」
「言っておくけど花巻くん巻き込んだの私だし、花巻くん悪くないから」
「マッキー庇ってあげるんだ、へぇ
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冷たくそう言った徹の言葉が胸に刺さる。…誰もそんなこと言ってないでしょ。なんで、そんな風に言うの。
きっと今の状態では冷静な話し合いなんて出来ないと思って「もういい」と小さな声を出すと、聞こえたらしい徹が一言呟いて教室から出て行った。
「…あっそ。勝手にすれば」
じわりと歪む視界に机に伏せると、すぐに花巻くんが謝ってきた。
「まじでごめん俺のせいで!ってか、アイツ…!後で絶対に誤解解いて謝らせるわ!」
「…や、いい。私が悪いし、何も言わないで。ごめんね巻き込んで」
「いや、苗字何も悪くないじゃん。アイツのためにしたことでしょ」
そうだけど、なんかもう、いいや。
あんな徹初めて見たし、もしかしてもうこのまま二度と話さなくなっちゃったりして。なんて考えて余計に凹んだ。練習なんか必要ないくらいお菓子作るのが上手だったら良かったのに。他の女の子に負けないくらい。そうすれば、こんなこと起きなかった。
付き合い始めてから、こんなひどい喧嘩をしたことがなかったから対応に困る。
普通に話しかけたら「こいつさっきのことなかったことにしてる?」って思われるだろうし、謝ったらさっきみたいに「謝って欲しいわけじゃないんだけど」と返されそうで怖い。
どうしようと悩んでいるとあっという間に時間は過ぎていき、バレンタインの日から一週間が経過していた。バレンタイン後に喧嘩したから、徹と話さなくなって五日くらい経つ。ちなみに、徹から何もコンタクトはなかった。
今日は月曜日で、部活が毎週月曜休みの徹と一緒に下校するのがいつもの流れだった。
…こんな状況じゃ、一緒に帰るなんて出来ないだろうけど。わかってるのに一人で帰る気にはなれなくて、みんなが帰っていく中教室に留まって机に伏せる。
花巻くんは私が言ったことを守って、徹には何も言わないでいてくれているらしい。部活に支障が出たら申し訳ないと思ったけど、徹はバレーに関しては手を抜かないので、そこはきっちりと割り切っているらしく特に問題はないみたいで良かった。
せっかく、付き合えたのにな。こんな形で終わってしまうのかと、また涙が出てきて歯を食いしばった。目を閉じると色んなことを思い出して余計に泣きそうになる。
おさまるまでこうしていようと暫くそうしていると、周りが静かになったからきっとみんな帰ったんだろう。私もそろそろ帰らなくちゃと顔を上げようとして、やめた。
「名前」
頭上から聞こえた声に驚いて固まる。
数日ぶりに聞いた声が、最後に聞いた時よりも柔らかくなっていて少し安心した。
「ごめん」
続けられたその言葉にまたじわりと涙が出てきて机に落ちる。私の机に手をついてしゃがみ込んだのか、布の擦れる音がした。…徹、もう怒ってない。
「…わたし、花巻くんとは何もない」
「うん、知ってる。ごめん」
「たしかに、わたしが悪いけど」
「ううん、悪くない。全部聞いたよ、マッキーから。俺の為に色々頑張ってくれてたんでしょ?」
その言葉にゆっくり顔を上げると目の前に徹が居て、私の顔を見るなり焦ったようにタオルを取り出して優しく目元に押し当ててくる。
「ほんっとに、ごめん…!」
「わ、私の方こそ、ごめんね」
「名前は悪くないから!…めちゃめちゃカッコ悪いんだけど、俺の知らないところで二人がなんか仲良くなってるのがすごいムカついて、頭に血が上ってあんなこと言ったけど…勝手にしろとか全然思ってないし、この数日間ずーっと、二人が付き合ったらどうしようとか考えてた」
だんだんと弱くなっていく声に涙も止まって、タオルも必要なくなる。眉を下げた徹が、見たこともない顔で話すから目が逸らせない。
「ごめん、酷い事言って、泣かせて…もう絶対泣かしたりしないから、だから、別れるとか言わないで」
私と付き合う前にも何人か彼女がいた事がある徹は、いつも徹が振られる側だったらしい。ちゃんと聞いたことがないから、詳しくは知らないけど。俯きながらそう言った徹は、私が離れていくと思っているんだろうか。
「徹が、私のとこ嫌いにならない限り離れないよ」
「なるわけないじゃん、そんなの」
「…私、徹の前では可愛い彼女でいたいから、見栄張ってたけど、お菓子作るの上手じゃないの」
「いいよ、上手じゃなくても」
「徹のファンには私よりも可愛い子たくさんいるし」
「俺には名前が一番可愛く見えるよ」
徹がバレーボールを愛しているのを知っている。ずっと見てきたから。でもその次に、私の事を優先してくれていることも、わかってた。ちゃんと私のことを好きでいてくれるから、多分私が少しくらい駄目なところを見せたって嫌いになったりしないってわかってたけど、不安だった。…でも、これからはもう見栄を張るのはやめよう。
「俺はどんな名前でも好きだよ」
「…うん、ありがとう」
「だからほんとに、俺に内緒で誰かと仲良くなるのはやめて…」
「そんなつもりなかったけど、うん」
「名前にその気はなくてもマッキーにはわからないでしょ!」
必死に訴える徹に、頭の中で花巻くんを思い浮かべて、いやぁ…ないと思うな…と考える。花巻くん、一切そういう目で私のこと見てないと思う。でも逆の立場で考えて、徹が私のためであったとしても他の女の子と仲良くなるのは嫌だなって思うし、やっぱり隠れて何かをするのはやめようと改めて思った。
「花巻くんに謝らなきゃ」
「いいよ俺が謝っておくから!」
「いやでも、私のせいで…」
「ぜんっぜん大丈夫!」
ぎゅっと私の手を握りながら「だから、名前は何もしないで」と言う徹に折れて、わかったと返事をする。…明日の朝、ちゃんと謝ろう。
「じゃあ、帰ろっか」
「うん」
握った手を引いて立ち上がる徹につられて、私も席を立つ。
隣に並んで歩き出すと、徹がここ数日の間にあった出来事を一気に喋り出すから、それが面白くて久しぶりに笑った。