第4話 02
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「りんちゃん、今日塾だったのにあんな時間までいてくれたんだね」
 少しだけ申し訳なさも立つ。けれど、隣の啓司はと言えば肩を竦めているではないか。
「そういう奴だろ。言っとくけど、探すのは八時半までな。下山含めてだぜ。もし何か見つけても一人で動くなよ。探せねえんだよ、お前ちっっっせえから」
 最後の余計な一言に、思わずむっとして「小さくないもん」と返す。しかし言い方がまずかったのか、啓司は冷ややかな視線で見下ろしてくる。
 昔は同じぐらいの背だったのに。
 穣縁山(みのよりやま)を登りながら、彩歌は前回の教訓により自転車で行く事を禁じられていた。
 淋しげな山道。空の光が木々のない道路に、やっと届く程度。振り返れば赤い空を右手のほうにようやく確認できるような、静かで人や車の通りも少ない。もうこの道は夜の入り口に招かれているのだろう。
 帰省の時期には車の行き交いがそこそこ見られるが、まだゴールデンウィークは近づいてきていない。仕事帰りの車が思い出したように脇を過ぎていく以外は、さすがハイキングや山菜採りに来るぐらいしか用のない山だ。
 あの女性は、この山で、あの川で。何をしたかったのだろう。
 水が必要だったのだろうか。花を作るために。
 水が流れているからだろうか。この山から。
 でも、彼女があの花を作ったとは、まだ分からないわけで。
 間違いないとは思う。宙に浮かんでいた水の珠が、女性の心を表すように全て針となって、彩歌に向けられたのだから。
 どうしてあそこまで――
 急に頭を叩かれ、彩歌は驚いて啓司を見上げた。ほんの少し心配そうな顔をされ、ぽかんとする。
「どうしたの?」
「そりゃこっちの台詞だ。熱でもあるんじゃねえのか」
 言われ、慌てて額に手をやって――首を傾げた。
「普通? 大丈夫だよ、元気だけは取得だもん」
「そりゃ、この時期の馬鹿はまだ風邪引かねえしな。無理すんなよ、お前昨日水被っただろ」
 言われ、顔が自然と緩む。笑っているともの凄く嫌そうな顔をされた。
「少しは顔締めろよ」
「いいでしょ、嬉しいもん。ありがと、けーじ」
「だからけーじ言うな」
 笑う、笑う。さすがに頭を軽く叩かれたが、顔は笑顔のまま。
 懐かしい。昔もこうやって、この道を歩いていたから、なおさら。
「昔はこーんなにちっちゃかったよね、あたし達。この道、すっごく広かったのに」
 ついに完全に呆れた顔をされたが、啓司もほんの少し遠い目をしていた。
「まだ山野がこっち来たぐらいだろ。あの時何やってたっけか……」
「りんちゃんが山菜知らないって言ってたから、見せに来たんだよ。フキノトウもツクシも今見たら小さいけど、昔はおっきかったよねぇ。アザミの刺が刺さって、けーじ泣いてたよね」
「お前より少ねえよ」
 苛立った声と怒りを堪えるような顔の少年を見上げ、笑った。
 啓司はふと、表情を真顔に戻してみせた。
「――変わってねえな、お前」
「そうかな? 啓司が変わりすぎたんだよ?」
 言えばまた頭を軽く叩かれた。それでも先ほどより弱くて、手加減してくれている。笑っていれば、啓司がふと止まったのを見てきょとんとした。
「どうしたの?」
「火……あっち、小屋あったか?」
 驚いて視線の先を辿る。遠くでぼんやりと輝く橙色の光が揺らめいている。かと思えば、次の瞬間火が生き物のように動いて、ジュッと言う音と共に消えてしまった。息を呑む彩歌は、再び灯された火の近くに人影を見つけて目を見張る。
「人いる! 危ないよ、あそこ道走ってないよね?」
「だな、山火事になったらこっちが迷惑するし……おい、今お前違う所心配したよな」
「違う心配してるのはけーじじゃん!」
 慌てて走ろうとし、けれど啓司に腕を掴まれて止められた。急いて見上げれば、根負けしたような顔。
「一緒に行ってやるから一人で動くなっつったろ。危なくなったら近くに誰がいようが、すぐ逃げるぞ」
「――うんっ」
 頷き合い、二人は走り慣れた獣道へと足を踏み込んだ。


 音が響く。火が木を燃やし、爆(は)ぜる音と、ジュッと響く、まるで熱したフライパンに水を注いだ時のような音。
 やけに湿っぽく、もう夜なのに暑く感じる道に何度も響き合う音。火をつけては水を何度もかける人の姿を想像し、そこに狂気を感じた彩歌の背筋がぞっとする。
 その狂った人に近づいているなんて、今さらだけれどなんて馬鹿な事をしているのだろう。
 啓司も同じものを想像したのか、顔が引きつっている。まだ懐中電灯もいらない明るさではあるも、徐々に足元が見えなくなってきている事を気にかけているようだ。
「これ以上踏み込むとまずいぞ、そろそろ引き返し――なっ!?」
 目の前を過ぎ去っていく炎。まるで生きているかのように葉を焦がし、取り込みつつ、空を舞って人影に向かって突進していくではないか。彩歌は目を見開いた。
「あの人――! あぶむにっ」
 大声を出す直前に口を塞がれ、彩歌は目を見開いた。人影の目の前に突如水がそそり立ち、宙を突進してくる炎から人影を守り、水蒸気や水滴となって辺りを白く染める。垣間見えた人影のシルエットと、水の向こうに見えた顔に、啓司が目を疑っている。
「なんだよあれ、氷じゃねえのに……あいつか、お前が見たって女」
「うん。だから言ったでしょ? でも何、あの火……!」
 先ほどから響く音はあれだったのかと察すると同時、再び炎が紡ぎだされた。暗い白であった視界に赤の光が灯され、橙に、ピンクに近く、どんどんと高温になるだろう色へと変化していっている。
 瞬時に辺りの蒸気が一箇所に集結し、巨大な水の珠となって火を打ち消した。途端に男の声が呻き声を上げ、咽ているではないか。もう一人いると顔を向けた彩歌は目を見開いた。
「ぇふっ、さすがは水想(すいそう)……! 少しはかわいげあるかいな思っとったけど欠片もねえんか!」
「え……うそ……なんで!? ひゃっ」
 啓司から頭を押さえつけられ、また口を塞がれた。緊迫した様子の啓司は、一度女性を見やった後すぐさまこちらに顔を向けてくる。
「大声出すな、逃げるぞ。見つかったらガチで殺される」
「え、で、でも……でも……あ、あれ……!?」
 足が
 体を揺すられ、けれど彩歌の足は根が生えたように地面から離れない。炎が四方に散り、違う角度で女性へと目がけ迫る。途中彩歌達の傍を通った火に照らされ、しかしその火は途端に水で打ち消された。啓司が身を固める。
 女性がこちらを見てきているのが彩歌からも見え、視線が交わった。ぞっと背を逆撫でる威圧に体が震える。
「やべっ……おいっ! 逃げるぞ!!」
「なっ、誰かおるんか!?」
 男も気づいた。啓司が頭を叩いてきて、彩歌の手を力強く引く。途端に足に力が入り、足が震えながらも必死で動かした。足元を流れてきた水の筋が一瞬で獣道を塞ぎ、急ブレーキをかけた啓司とぶつかる。
「ひゃっ」
「な、なんだよこれ!? うわっ!」
 手を引かれ、道の奥に転がり込む彩歌。啓司が庇うように上に覆いかぶさってきて、水の矢が木々の間を消えていったのを確かに見た。幼馴染の肩越しに、女性がこちらに歩み始めたのを知り体が凍りつく。炎が真上に現れ、照らされた。眩しさと熱さに目を逸らそうとして、黒い上着に赤暗いパーカーを着た男が、フードを被りながら肝を抜かれたような顔をしているのが見えたではないか。
「なんでおるん……! 待てきさん、勝負はついとらんぞ!」
 真上にあった火が突如女性目がけて突進し、けれど先ほどの水の柱も移動して消火してしまう。そのまま残った水の柱は津波のように男に迫り、木の幹に叩きつけた。ひっと小さな悲鳴を上げる彩歌は、啓司が立ち上がったのを期に慌てて隣に立ち、叫ぶ。
「お兄さん大丈夫!?」
「知り合いかよ!? あっ、九州弁の奴か!」
「言ったはずよ」
 女性の鋭い声。彩歌はびくりとし、啓司が庇うように立ってくれたその後ろで彼の服を握り締める。
「次は殺す。自分の国の言葉も理解できないのね、あなた」
 喉が、震える。声が出ない。
 冷たい目が射抜いてくる先に、自分がいるのに。
「け、じ……ひゃっ」
 手を引いて走りだす少年は、すぐさまもう片方の手をポケットに入れて暗闇を照らす。同時にがむしゃらに後ろ目がけて光を発し、女性の声が呻いたのを聞いて電源を切った。目をくらませたのだ。
「なんなんだよあれ! 人間離れしすぎだろ!」
「で、でも人だったよ!?」
「そういう話じゃねえ! あれどう見たって水だの火だの操ってたぞ! 普通じゃなさすぎるだろって」
 ぱしゃん
 噂をするかのように水溜まりを踏み、一瞬二人の体が強張った。けれど水がそれ以上動く様子もなく、すぐに走る。
 もうすぐ獣道を抜けるはずだ。かなり深い所まで来ていたものの、道路らしきやや明るい道が見えてきた。泣きそうになる彩歌は、後ろを振り返って体を硬くした。
 きらめきが、嘘だと言いたくなるほどたくさん見えた。
「けーじ!」
「なん――いっ!」
 振り返ろうとした啓司の腕目がけ、水の珠が勢いよくぶつかってきた。痛みで彩歌と手が離れ、互いに顔が青くなる。
 突如何弾も啓司目がけ水の珠がぶつかり、樹の幹で頭を強かに打ってしまった。そのままずるずると崩れ落ちる少年に、彩歌は小さく悲鳴を上げる。
「け、けーじ……! けーじ、けーじ!! 起き――」
 足音。
 一つだけ聞こえるそれが、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
 小さいのにはっきりと聞こえるのは、この山に人通りが少ない事を誇張しているようにも思えるほど、耳に強く響いてくる。
 シルバーブロンドの髪をただ揺らし、手には水の矛。
 あちこちほつれたノースリーブのワンピースを身に着けた女性は、生気すら疑うような瞳でこちらを見てくる。
「……なんで……啓司まで殺す、気……」
「その人はまだ一度目、どうでもいい。あなたは三度目。あなたの国の慣用句に則(のっと)るなら、もう優しい顔はいらないでしょう」
 仏の顔は三度まで。そういう事なのだろうか。
 矛が振り上げられる。僅かな光を通して輝く色に、美しさと感動すら覚えさせられた。
 刹那、火が鳥の姿になって水の矛を消滅させたではないか。すぐに間に割って入ってくる男は息を乱し、彩歌と啓司を背に庇ってくれる。
「お、お兄さ……んも……?」
「なしてお前ここさおるん、夜の山は危ないっち言ったろうが!」
 答えられない。焦った様子で叱ってくる男性は、手に木の葉を持つと瞬時に火をつけて見せたのだ。発火剤になるようなものを一切使わず。
「早く逃げんかっちゃ、ここで見たもん誰にも言うな、よか――!?」
 突如地面を盛り上げて吹き飛ばし、立ち上がる水柱。彩歌と男を引き離す勢いで上がるしぶきは、そのまま彩歌の周囲を取り囲もうと動きながら足場を削っているではないか。
「きっさん一般人に手え出すな! こん子は関係なかろうが!」
「関係な――」
 地面が、盛り上がった。
「え――?」
 彩歌の体がふわりと重力を忘れ、足元の土が上にせり上がり、女性達を上に押し上げてしまう。
 男の目が見開かれ、こちらを見て叫ぶように口を開けて。手を伸ばしてきたけれど、届かなくて。
 そのまま、その顔はどんどんと遠のき、彩歌の視界は何度も何度も回っていった。

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