第4話「無力と、無知と」01
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「止めといたほうがいいわ」
 きっぱりすっぱりと言われ、学校の屋上で彩歌はうっと固まった。
 結局昨日の夜、啓司に散々怒られた。あれで足踏み外してたら方向音痴じゃすまないとか、なんのためについてきてやったのか分からないとか。それはもう散々に。
 そして月曜の今日。登校時間中から今の昼休みに至っても説明すれば、周りからはやや遠巻きにされた感と、理真里の切ったような言葉。泣いても泣き足りないが、啓司も腕組みのまま頷いていた。
「桜井が言ってた奴は見なかった。けどあの雨は変だぜ」
 あの広場にしか降り注がなかった雨。当たり前だと彩歌はむっとした。
「だから、水のドームが上にね……なんであれ見て分かんないの!」
「ありえねえからに決まってるだろ!」
 丁度屋上に上がってきた一年女子二人がびくりとして逃げていった。かわいそうにとすら映るも、別に下級生だけに言える事ではないわけで。
 啓司も気まずくなったのだろう。一瞬そんな感じの顔をして、すぐに頭を掻いて誤魔化している。
「とにかく山にはしばらく行かない、これは約束しろよ。今時矛なんて持ち歩いてるような、頭狂った奴なんだろ。また会って本当に殺されでもしたらやばいって」
「私も同感。こればかりは譲る気にもなれないわ」
「で、でもぉ……」
 でももしかしも案山子(かかし)もない。現代版大和撫子(やまとなでしこ)の台詞は結構にきつくなっている。
「大体なんでそんなにこだわれるの? 殺すとか目障りとか言われたら、普通こっちから会いに行くなんて願い下げでしょ」
「そ、そうなんだけど……似てたのっ。おじちゃんがずっとお店閉めてた時もあんな顔してたのっ」
 途端に驚いた顔で互いを見合わせる理真里と啓司。必死の顔で訴える彩歌へと、理真里が身を乗り出して不安そうな顔をする。
「あんた、何言ってるか分かってる? 店長と頭狂った奴が一緒って言ってるのよ?」
「そっ、そんな事言ってないよっ、違うの!」
「あ、あー……ごめん、言い方悪かったわ」
 額に手を置き、慌てて訂正する理真里。拳を固めていた彩歌はほっとして手の力を緩めた。
 啓司がフェンスに寄りかかったまま、咥えていたホットドックを租借(そしゃく)している。
「サツ呼ぶか? つっても信じてもらえねえだろうけど。げっ、マスタード入ってやがる……おばちゃんマスタードねえって言ってたくせに」
「外れクジおめでとう様。『水でできた花があって、それを探してたら狂人に会いました』。九分九厘(くぶくりん)小学生の言い訳扱いでしょうね」
「で、でも本当」
 この際事実かどうかは社会にとって関係ないの。理真里に弁当の箸を突きつけられ、サラダサンドイッチを頬張っていた手を止めた。
「現実には考えられなくても、表立って出てきていない真実は、大人にとって空想と一緒。意味分かる? 子供が夢で追い掛け回されてたとしたら。彩歌はなんて言う?」
「……夢だから気にしなくていいよって……」
 でしょ? 卵焼きを目の前に差し出され、いつもの癖でぱくついた。頭を撫でられる。
「実は夢が予知夢で、その子が本当に追い掛け回された挙句、連れ去られても。結局大人≠ヘ真実を空想としかとらなかったから未然に防げなかった。そういう事よ。
 今回の件もそう。見ているのはあんたと、狂人薙刀女だけでしょ。啓司は一箇所だけに降った雨≠オか見てない。これが何示すか分かる? 社会はあんたの見たものが千歩譲って真実でも、夢物語としか見てくれないの。どれほど事実でも、信じてもらえなくて防護策もないまま事が起こったら、テストの回答間違える程度じゃ済まされないわけ」
 口を尖らせる彩歌。理真里は平然と牛乳を飲んだ。
「最悪狼少年扱いね。まず言って、そうやって言いふらして回るのは得策じゃないわ。これ以上知ってる人間を増やさない事。本当に狼が来た時に叫んでも信じてもらえないわ。いい? あんたの将来にも関わりかねない話よ。世間からホラ吹きって言われてる医者に、誰が診てほしいなんて思う?」
 ぐうの音も出ない。頷きつつサンドイッチを食べ終わり、セットになっていたタマゴサンドに手を伸ばそうとして、啓司に取られた。代わりにコンビニで販売されているチョコがかかったクリームサンドを受け取る。
「あ、ありがと――じゃあどうすればいいのぉ」
「あんたねぇ……ここ使いなさいな」
 そうやって示されるのはまさしく頭。タマゴサンド三口目で既に半分ほど食べ上げた啓司が肩を竦めた。
「山には行くな。しばらくは俺に身辺のガードよろしく。夜は遅く帰るな。水の花についてはこれっきり。そんなとこか」
「よく分かってるじゃない。まさしくその通り」
 マジかよ。冗談だったのだろう啓司は苦い顔。袋を開けつつ、彩歌は落ち込んだ。
「でーもー」
「『でも』はなし。私はこれでも本気よ。死にたいの?」
 首を振る。振るし、危険だという事も分かっているのに。
 何故なのだろう。
 関わりたくないと思えば思うほど、関わらなかったその時の後悔だけが、ひたすら頭をよぎるのだ。
 関わらないほうが安全に決まっている。あの女性の言葉を信じていいなら、会わなければ殺されないという事なのだから。
 山に入らなければ、水の花を探さなければ安全なのは当たり前だ。それが普通の生活であって、普通な人間の普通な人生なのだから。
 啓司の家に毎年増えていくゲームの主人公みたいに。ゲームに興味を示して買う子供のように。単純な遊び心や興味本位だけで首を突っ込むのは、現実ではやってはいけないと何度も言われてきた。分かっている。
 それなのに、そうであっても。
 関わらない事を後悔しそうな、どう言えばいいのかも分からなくなりそうな暗い予感が、ただひしひしと彩歌の心を満たしているのだ。
 あの女性の事だけではない。単なる予感でしかないし、それこそ理真里が言った「予知夢を信じる、信じない」の世界になってくるようなものでしかない。けれど。
 空を見る度に思う。雲を見る度に思う。
 川を眺める度に、沸き起こるこの予感には逆らえない。
「……りんちゃん」
「だめ。何度も言わせないでよね」
「でも行きたいよっ。興味本位でしかないかもだけど、でもなんでか分かんないけど」
「だめって言ってるでしょ!」
 大きな声に驚いて目を丸くする彩歌。理真里もはっとしたような顔をし、一瞬だけ啓司を窺うように見上げて、ばつが悪そうな顔をしてみせた。
「……付き合うのは昨日まで。伊川とも約束したでしょ。子供みたいな事言わないで」
「で、でも――ひゃっ、冷た!?」
「悪い、先戻る。次体育だろ」
 携帯を開いて苦い顔になった啓司は、さっさと屋上から退散してしまった。
 手に押し付けられたコーラ。これから飲むはずだったろうに、プルトップは持ち上がって口を開ける役目を果たしてすらいない。
 理真里が静かに息を吐いてきた。頭が痛そうに額に手をやっている。
「次は理科よ、あの馬鹿……いいわ、今日も部活サボらせておじ様の所行きましょ」
 違う。
 理真里も分かっているはずだ。現に弁当箱を片付ける彼女の口から、いつもの啓司への小言がぽつりと聞こえてきた。
 本当、甘いったらないわ、と。
 彩歌は頷きつつ、握り締めて微妙に暖かくなった缶を見やり、さらに視線を落とした。
 ごめんね、いつも……。
 階段を下りる途中メールが送られてきて。早速開いた彩歌は、困ったように微笑んだのだった。

『あんまり気にすんなよ。
 体育明日だった……しくったな……』


「おっと、もう到着か」
 扉を開けると同時に言われ、制服から普段着に着替えてきた彩歌はぽかんとした。
 いつもの薄暗いカウンター。奥にいる城条の向かいには、珍しい事に理真里が先に着いているではないか。普段なら着替えてくるはずなのに制服のままとは。
 扉の鈴の音も中途半端に響く中、また勢いをつけた音と共に扉が開けられた。啓司も到着したらしく、膝をかっくりと折られて面食らう。
「連続でサボらせてくれた礼」
「ひ、ひどいぃ……!」
 涙目になる彩歌。城条は何がおかしかったのか、抑え気味の笑い声を響かせている。
「行ってくるんだろう。その代わりここで腹ごしらえはしていけよ。一パーセントぐらいは引いてやるから」
 ぽかんとする彩歌は、そのまま後ろの啓司を見上げた。黒地の文字Tシャツとジーンズで出て来た彼は話が掴めていないのだろう。理真里に正気を疑うような顔を露骨に向けている。
「お前昼休みの剣幕どうした!?」
「うっさいわね、ぐだぐだ抜かすなら顔に油絵の具と銅版用インクぶちまけるわよ」
 意味を理解して顔を引きつらせたのは彩歌と城条。啓司は油絵の具だけに反応したような様子で「俺美術部じゃねえし」と返している。
 気づかないだけ羨ましいかもしれない。油絵の具もそうだが、銅板を用いた版画に使うインクは、粘り気が強めで布に染み付くと中々取れないのだ。皮膚の凹凸にも割と残りやすく、肌についた分を落とすのも一苦労だというのに。
 炭鉱に向かった採掘者顔負けの墨汚れを想像し、彩歌は視線を逸らした。城条が理真里を宥めるように「まあまあ」と相槌を打ってくる。その分彩歌へは笑顔の中にやや厳しさを交えた色を示してきた。
「あやちゃん、りまっちの言いたい事は分かっているな? おっちゃんもさっき事情を知ったが、正直に言うとりまっちに賛成だ。昔から見てきている友達としてじゃない。大人としてもな」
 諭す時の店長の声は、いつも彩歌は身を固めてしまう。実の父親の時のように。
 知っているように、でも忘れたように、城条は彩歌の顔色を確かめて頷いてきた。
「殺すなんて言ってくる奴に会いに行くのは普通じゃない。危険すぎるし、何より人様のお子さんで、おっちゃんにとっても友達で、お客さんだ。お前さんの話を聞いたこの場で既に、あやちゃんの保護者になってもいる。あやちゃんが行く事をここで俺がいいって言ってしまえば、あやちゃんが死んだ時の責任もやっぱり、おっちゃんに回ってくる。言っとくが、責任逃れしたいわけじゃないぞ。
 それだけ今回のあやちゃんの行動には俺達の責任も伴うし、あやちゃん自身の責任もかかってくるんだ。もうあやちゃんは十七だろう。もうすぐで大人になれるが、大人には程遠い。それをちゃんと考えた上で行動するなら、おっちゃんは次来た時の料理を作りながら待ってるさ」
 戸惑い気味に頷いた。横目で見てきていた理真里が長い溜息を盛大に吐いている。
「そんなんじゃ行かせたくなくなるでしょ。しゃきっとしなさい、しゃきっと」
「う、うんっ!」
 頷くと同時、啓司の手が頭の上に乗せられて首が傾いだ。中に入っていく幼馴染が「いつもの」と城条につっけんどんな注文をしたのを聞きつつ。
 ふとしばらく考えて、思い出したように慌てた彩歌は、啓司の元へと走って、ずっと鞄の中だった缶を突き出した。
「ご、ごめんコーラ忘れてた!」
 目を丸くする三人のうち、ゆっくり口を動かし始めたのは、理真里で。
「あ、んた……今開けたら、噴水になるわよ、それ……」
「……あ」
 結局、啓司に不機嫌な声でいらないと切り捨てられたのだった。




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