第3話「対峙と始まりと、月光と」01
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 三日も過ぎた。土曜も探したけれど、結局会えなかった。
 日曜でも開いているし空いている、喫茶店「トマトごった煮」。セーラー服にも似た七部袖の上下を着てきた彩歌は、先ほどの愚痴のように盛大に溜息を吐き、思いっきりカウンターに伸びた。グラスを拭く城条(きじょう)は気まずそうだ。
「あやちゃん、一応お客さん来たらそれやるなよ? おっちゃん泣くぞ」
「うん分かってるー……っていうか泣きたいのあたし! なんで!? なんであの花水でできてたの!? なんで溶けちゃってなくなっちゃうのーっ!」
 カウンターでじたじたと駄々っ子のように暴れるも、すぐにおとなしくなる。城条は溜息をこぼした。
「そもそも水でできてたかすら分からんだろう。その女の人だって、本当に関係あるならもう一度川の近くにいても不思議じゃないと思うがなあ」
「探したぁ、いなかったぁ。この間見かけたっきりぃ……お母さん達にも怒られるしお小遣いピンチだし泣きたぁい」
「もう泣いてるぞ。カウンター自分で拭いてくれよ。おっちゃん折角綺麗に磨いたんだからな」
 適当に手をぶらつかせて分かっている事を示すと、その手に台拭きを渡された。冷たい対応に再び溜息が漏れる。
「そういえばおじちゃん、さっきサンドアートでもしてたの? 手砂ついてるよ」
「ん? お、ホントだ。さすがに家に砂を撒き散らしたくはないから、大したものは作れんがな。一応あやちゃんが言ってた水の花に近づけようと思って、造形のサンドアートで挑戦してみたが、茎の表現が難しくてダメだったなあ。氷を使えば行けるかもしれんが、ほとんどが失敗に終わるだろう。期待に添えなくてすまんな」
 更に落ち込む彩歌。城条もかける言葉をなくしたのだろう。乾いた笑いが聞こえる。
 サンドアートには絵画のように、砂を平らな場所などに引いて模様を作るものから、砂と水で固めて立体を表現するものまである。城条は彩歌の期待に応えようとはしてくれたのだろうが、立体となるとやはり茎の表現が難しかったようだ。この間それらしい事を言っていたように。
 外から自転車のブレーキ音が響き、店舗の扉につけられた鈴が軽やかに鳴った。
「ちーっす。暇人回収に来た」
「部活終わったわよ。あー疲れた」
「お疲れさん、けー坊にりまっち。いつもの奴かい?」
 肯定だけれど適当な返事。早速紅茶を淹れ始める男性を見送り、両サイドに座る制服姿の理真里と啓司の視線を感じる。
「で? 今日も諦めずに走ったけど収穫はない、と」
「懲りないよな、お前」
「諦め癖が強いのはダメって言ったのりんちゃんじゃーん。この間たまには根性出せって言ってたのけーじじゃん」
「だからけーじ言うな。お前しつこい」
 軽く頭を叩かれる。小さな声で暴力反対と言うも、理真里が「もう最悪」と吐き出し始めた愚痴に呑まれてしまった。
「今年部長になった奴が唐変木(とうへんぼく)過ぎ。『アニメイラストしか描かない奴はイラスト部でも立ち上げて出てけ』とか、一年の前で堂々宣言よ。おかげで三年含めて有力な部員がごっそりおさらば。本気でイラスト部立ち上げる気満々みたいでいい迷惑よ。部活友達からも『出て行こう』って話持ち上がってるし。画力あるからって何様なわけ? あの頭でっかち」
「おーおー、今年の美術部は早速大荒れっぽいな。去年も大概だったけど。俺も柔道部おさらばしてえよ。一年の中に、昔中学で柔道の県大会優勝した奴が入ってきたけど、俺らの学校は柔道強くねえだろ。いきなりいちゃもんつけるだけつけて勝手にメニューに口挟みやがんの。先公も柔道は専攻してなかったからって鵜呑みに聞きやがってよ。っざけんじゃねえよ新入りの癖に。序列のジの字も知らねえのかって感じだぜ。それだけ自分に実力あるなら鷲みたいに爪隠せってーの」
「鷲じゃなくて鷹ね。動物の分類的に、両者の違いは鯨とイルカぐらいにしかないにしても、諺(ことわざ)ぐらいはしっかり使いなさいよ。それと、年功序列って言いたいのは分かるけど、お年寄りとか中年男性とかが使うわよー。あんた何歳?」
「いいだろ、一応覚えてたんだぜ」
 上で飛び交う不平不満。まるで会社でストレスがたまった平社員の飲み会だ。城条を見上げれば苦笑い。
「部活生の性(さが)とやら、か。実力がある奴が仕切るのは、匠の世界じゃあ確かに常識だ。まあ年功序列も確かに当たり前と言えば当たり前だろうがなあ。どの世界でも言える事は、自分の実力に溺れた奴は自滅するって事だろうな。その二人、言っちゃ悪いが、例えその道に成功を掴んだとしても、人間関係では敗者の一途だろうさ。気づかなければな」
 やや重みを含んだ、人生の先輩からの助言。当然それはお前さん達にも当てはまるぞと釘を刺され、彩歌は慌てて頷き、啓司はそっぽを向き、理真里は適当な返事で流した。三者三様な相変わらずの光景の中、彩歌はやっぱり溜息が漏れる。城条含め三人から意外そうな顔をされた。
「どうしたの? いつも以上に落ち込んでない?」
「んー……」
 確かに今までなら流せていた。紅茶を飲んで、みんなの愚痴を聞いて、自分の愚痴も吐き出して。そうすると自然と、心がほぐれて前を向けていたのだ。
 けれど何故か、最近はしっくり来ない。毎日紅茶を頼んでいるぐらいなのに。
「……やっぱり、夢だったのかなぁ……あの人、心だけ震えてた気がするんだよねぇ……」
「物書きみたいな事言うわね……」
 やや驚かれたようだが、顔を上げる気にはなれない。
 手も冷たかった。濡れていた。それなのに変だったのだ。
 震えていない体。光のない目。諦めた顔、浅い息。
 四日経っても鮮明に思い出せる。死んだ人が歩いているような、でも生きて動いている女性。
 まるで、心だけ死んだような。
 しばし沈黙が続き、啓司が不意に溜息をこぼして頭に手を置いてきた。
「準備しろ、行くぞ」
「うん……えっ?」
「えっ、ちょ、伊川?」
 驚いて顔を上げる。三人分の紅茶代を城条に渡しつつ、啓司は憮然とした顔で理真里を見やる。
「今まで焚きつけてきたのは俺らだろ。少しは責任持つ。なんか文句あっかよ」
「な、ないわよ……ないけどどういう風の吹き回し?」
「別にー。気まぐれ」
 ひょいと部活動具を持ち上げ、彩歌の荷物までついでのように持って頭を軽く叩いてきた。大して痛みはないけれど手で押さえ、ぽかんとして視線だけで啓司を追う。
 こちらを見向きもしない少年は、あっさりと扉の鈴を鳴らして自転車のほうへと歩いていった。
「……けーじ……」
 理真里の呆れた顔が見えた。すぐに扉を指差している。
「行ってきなさいよ。宿題ぐらいはフォローしてあげる」
「――うんっ。ありがとっ、りんちゃん」
 嬉しさを隠せず頷き、城条にも手を振って店を出る。扉に着く前に、理真里が城条に「甘いったらないわ」と言っていたのが聞こえたが、城条が「そりゃお前さんもだな」などと茶々を入れたのを聞き、小さく笑いが漏れた。
 啓司は自転車にまたがって車輪を前後に揺らしている。彩歌も自転車の鍵を開けるとすぐに乗るも、啓司が自分の篭の中の荷物を持ち上げているではないか。
「先に置くもん置かせろよ。話はそっから。夕飯お前んとこ早いだろ? 六時半にそっち行く」
「うんっ! ありがと、けーじっ」
 自転車を隣まで進めて笑いかければ、肩を竦められた。
「焚きつけといた分だけだからな。今日の夜までは付き合う。後は自分でやれよ」
「はーいっ」
 調子よく返事をすれば、分かっているのかと言いたそうな目をされた。




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