第13話 02
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「よかけん、続きば解きい。おっちゃん、手伝う事なか?」
「ああ、冷蔵庫に食材突っ込んでてくれるか?」
「おー。って、食器拭く前にやる事やんそれ!」
 急いで走っていく後姿。
 ただ驚くばかりの美紀。ノートに目を落とした彩歌は唸りながら問題を読んで、解答を書き込む。
「しわがあるほうが劣勢……なんでそうなってるのかな」
「遺伝子が形成される時に、強いほうが勝つからでしょう」
 美紀の素っ気無い言葉に、彩歌は怪訝なまま首を傾げる。
 なんだか、上手く納得できない。
 美紀だけでなく、テュシアも手を休めて彩歌を見てきた。
「強いものが勝つのは道理よ。弱いものが勝てるのなら、そもそもそれは弱いものとは言わないわ」
「Of course」
 トルストが、弘輝が拭いた食器を棚に直しながら、当然のようにテュシアへと肯定している。
「The winnerがThe loser、おかしいです。世界は全て、強いもの、勝ちます。弱いものは、勝てません」
「でも……なんか変だなあって」
 弘輝の手が止まっている。誰も気づかない中、城条が彩歌へと苦笑していた。
「どこが、ですか? おかしい所、ないです」
「本当に強い人だけが勝つならね、弱い人がいるのって、おかしいなあって。だって、何かに弱くても、皆から好きだよって、大事だよって言ってもらえる人、沢山いるんだよ?」
「まあ、難しい話ではあるなあ」
 トルストがむっとした途端に、やんわりと口を挟む城条。彩歌が困り顔で見上げる中、城条はテュシアからコーヒーを貰って礼を言い、苦笑している。
「確かにな、トー坊が言う通り、強い遺伝子が勝っているからこそ、俺達の体も丈夫なんだ。病気に負けない遺伝子が受け継がれているんだからな。だがあやちゃんが言う通り、同じ人間同士で強い人間、弱い人間がいるとしよう。強い人間は裕福に暮らしているかもしれない。だが弱い人間が必ず弱いままかというと、そうでもない」
「Can’t understand」
「そうか? おれは学歴で見れば、この日本に暮らしてるくせに相当弱い人間だぞ。だがな、こうやって普通の人と変わらない暮らしができるっていう意味では、学歴が高い連中が失業する中でも幸福な事じゃないか?」
「……日本、いるだけで勝者、です」
 城条が目を丸くし、不承不承頷いて笑っていた。納得できない彩歌は頬を膨らませて、ふと手元の食器を見つめたままの弘輝にぽかんとする。
「弘輝さん……?」
 気付いた様子がない。ぼんやりとしたまま、じっと皿を見つめて――
「こー坊、汚れでもついてるかー?」
「へ……はっ!? な、なん――わっ!?」
 驚いた瞬間肩が一気に上がったせいだろう。一瞬皿を落としかけた彼は、慌てて掴み直して脱力している。
「っぶな……どげんしたん、おっちゃん」
「それはこっちの台詞なんだがなあ。どうした、ぼーっとして」
「……そげんぼけっちしとったん?」
 全員が頷いた。固まる弘輝は、そそくさと皿を食器棚に直して視線を逃がしているではないか。
 心配そうに見る彩歌へと、美紀がじっと見つめる。
「……あの。失礼だけど、あなた達……」
「あ、えっとね、弘輝さんはあたしの恩人なの」
 ガラスが揺れた。
 食器棚に頭をぶつけて蹲っている弘輝に、ついにトルストとテュシアから冷めた視線が送られる。
「You are very busy, I think」
「本当ね」
「しゃ、しゃーしか……! っつぅ……!」
「本当に大丈夫かい、こー坊」
 頷く弘輝。トルストが肩を竦め、大袈裟にもやれやれと身振りをしている中、彩歌は思わず小さくなる。
「……な、なんかごめんなさい……」
「へっ?」
 弘輝が顔を上げた瞬間、テュシアはじっと彩歌を見やった。
「……あなた達、おかしいわ」
「え、あ、ごめんね?」
「それがおかしいの。何に謝る必要があるの。あなたも。何に挙動不審になる必要があるの」
 虚を突かれたように固まる彩歌と弘輝。城条がしばし黙り、頷いた。
「そうだな。何かあったのか、二人とも」
「……な、何もなかばってん……」
「そうなの?」
「そう――って、あやはどげんなん」
 目を丸くした。

 おじちゃぁぁん……雷近いよ、音が近づいてるって言ってるよ、えっとドップラー効果ぁ……!

 すまん、それはおっちゃんも分からん効果だ。ドップラーって何

 それサイレンの音が高くなる奴やろ!? あや、それ間違っとうばい!

 あや、大丈夫か?

 言葉が、途切れる。
 見上げる彩歌に戸惑う弘輝は、「あや……?」と恐る恐る尋ねてくる。
「うん……」
「ほ、本当に大丈夫なん?」
「うん。大丈夫。なんかね、大丈夫なんだけど、なんていうのかな……なんかね、こうね、えっと……」
 美紀がぽかんとして、彩歌と弘輝を見やった後――城条へと目を向けている。
「あの……二人って、まだだったんですか?」
「ああ……やっぱりそう見えるかあ。まだなんだよこれが」
「まだって、なんの話なん?」
 城条が笑いながら肩を竦めてとぼけている。テュシアが溜息をつき、トルストは企んだような笑顔。
「コウキ、外、もう暗くなる、です」
「おー、ほんとやん。ばってん大分明るくなったなあ」
 外を見て感慨深く言う彼の声は、いつも通りに戻っていて。城条が笑いながら頷き、「さすがに五月も中盤だからなあ」と呟いている。彩歌がそろそろと視線を外した。
「うん、そうだね……」
「どげんしたん?」
 布巾を片付けた弘輝がやってきた。トルストが肩を竦めてやれやれと首を振っている。拳骨を食らわせたそうに拳を持ち上げた弘輝だが、諦めて再び彩歌へと目をやって――彩歌は乾いた笑いを漏らした。
 突っ伏す。
「明日から中間テストだあああああああああいやあああああああああああああ」
「それぐらいで叫ぶなんて、子供ね」
「こっ、でもテスト地獄なんだよ、頭から火山が爆発するんだよ崩壊しちゃうんだよゲシュタルト!!」
「意味が分からないわ。あなたの頭は火山じゃないでしょう」
「そういう例ええええぇぇぇぇぇぇ!」
 城条、仕込みに向かいつつ、無言で冷蔵庫へと歩いていった弘輝に目をやる。
「ゲシュタルトってなんだ?」
「……同じ場所ばずっと見続けるせいで全体ば掴めんくなる現象の事。木を見て森を見ずっちことわざんごたなる目の誤認の事っちゃん。火山にも爆発にも関係なか!!」
「あれ?」
 美紀が紅茶のカップを傾けた。テュシア、無言でティーサーバーを持ち上げ、中の茶を捨てている。
「紅茶、冷めても美味しいわ……」
「そう。それは何よりね」
 腹を抱えて笑い転げるトルストの声が、明るく響き渡ったのだった。

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