第9話 02
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「おじちゃんそんなに凄かったっけ……?」
「大人の威厳っちゃなか? いって、殴るこたなかやん、本当の事っちゃけん!」
「ダンディと呼べ、ダンディと! 威厳なんて使ってないぞーおっちゃんは」
 よく言うと、弘輝から溜息を盛大につかれているではないか。笑う彩歌は弘輝の手が頭に乗ってきて、思わず両手で掴んだ。ぽかんとして見上げれば、くすぐったそうな笑み。
「それから、こー坊は荷物をまとめて俺の家に来い、いいな」
「おー……は?」
「え? 泊めるの?」
 きょとんとした彩歌に、城条はもう腹を括った様子だ。むしろ憤然としているというか、苛立ちが見え隠れしているというか。
「若い子が野宿ってだけでも本当は怒りたい所だがな。これ以上身を削らせんぞ」
「け、けどオレ」
「文句を言うなら水をぶっかけるぞ。今なら嬢ちゃんもいるわけだからな」
「構わないわよ。水源も近いから」
「いや待て! なして水想まで徒党組んどうと!? おっちゃんに迷惑ばかけるわけには――」
「有無は後で聞いてやる。それから嬢ちゃんらも、明日だけでも構わん。きちんと飯は食いに来い。奢ってやるから」
「いただきます」
「コーヒーがあるなら行くわ」
 愕然とする弘輝を見上げ、彩歌は笑顔を見せる。見下ろしてきた青年は明らかに顔が青い。
「……彩歌が頼んだん?」
「ううん。おじちゃんすっごく心配してたんだよ。あんなに怒ってるの、久し振りに見たもん」
 目を丸くする、火を操る司子。彩歌は頭の上の手を下ろさせ、手を繋ぐ。弘輝が体を強張らせたのには首を傾げたが、ふにゃりと笑う。
「おじちゃんの家まで一緒に帰ろ? 自転車置いてきちゃってるの」
「……お、おう……そげんやったら家まで送るけん、この時間は危なかろうもん――って、なんば見よっとかそこ!!」
 顔を真っ赤にして怒鳴る弘輝に、テュシアは無表情でも分かるほどに迷惑そうだ。風唄の神子の男の子はあまりにも楽しそうで、城条にいたってはあからさまにニヤニヤ顔。
「御幸せに、です」
「本当に煩いわね。黙って歩けないの」
「あやちゃんも随分と悩ませるようになったなぁ。こー坊、がんばれよ」
「ちょっとまっ、おっちゃん!?」
「え、弘輝さん悩んでるの?」
「あーもうりんでもけーじでもよかけん助けてくれえええええええええっ!!」
 叫んだ青年を驚いて見上げる彩歌。顔が真っ赤な彼を、一同は盛大に笑っていたという。


 真っ暗な夜道に、電灯が数十メートル置きにぽつりぽつりとある程度の、穏やかな道。
 車通りもなければ、道路を挟んで反対側はすぐに田のあぜ道だ。まだ十時手前だというのに家の明かりもほとんどついていない。夜闇に慣れれば木々や家々のシルエットが分かる程度の暗い道の先、彩歌は自転車を二軒並ぶ民家の敷地に入れる。弘輝が立ち止まって見上げ、感嘆しているのが分かった。
「うわぁ……新しいっちゃな、彩歌の家」
「うん、そーだよ。おばあちゃんの家の隣に居た人がね、土地を売る話が出てて、それでお父さんとお母さんが結婚した時に買って、家を建て直したんだって。それで間にあった垣根を払って、渡り廊下で繋いでるの」
 二階建ての一軒家は、木造の平屋の隣にあった。同じ敷地にあるのに片方だけ新しいのは、片方が祖母の家で、もう片方が彩歌達の家だからだが、珍しい事に一階に人の気配がない。車がない事で父がまだ帰って来ていないのは分かってはいたけれど。
 ぽかんとした彩歌は、祖母の家の居間を縁側越しに覗き込んで、やはり人の気配がない事に首を傾げた。
「変なの。こんな時間にみんなどこに行ったのかな……」
「え、家の人おらんとか?」
 見るからに心配そうな顔をされた。彩歌は平然と頷き、鞄のポケットから鍵を取り出す。
「大丈夫、ちゃんと鍵はあるもん。明日の準備もあるし早く寝ないとだから」
「ならよかっちゃろうばってん……鍵ばちゃんと閉めてから寝んしゃい」
「はーい。そこまで子供じゃないよぅ……」
 笑われた。納得いかずに唇を尖らせる彩歌は、鍵穴に目的のものを差し込む前に鍵が開く音にぽかんとした。
 ぱっとつく玄関前の電灯。弘輝が驚いたのも分かったし、彩歌は顔が固まる。
 ゆっくり開いた玄関の前で、わざわざ腕組みを解いたのだろう。白髪が増え始めた母の、焦げ茶色の髪と鬼のような形相が目に入り、娘は固まっている。
 とってつけたような笑みが、怖い。逆に怖い。
「彩歌。こんな時間まで何をやっていたか教えてもらっていいわよね?」
「え……あ、えっとね? その、おかーさん……えっと、ね? おじちゃんの家でその……」
「また城条さんにご迷惑かけたの。ふぅーん……そーう」
 怖い。背中に冷や汗が伝うほど怖いとしか思えない彩歌は、次の言葉によってはどう止めなければいけないか、物凄く悩む。
 本当の事を言うわけにもいかないし、けれど絶対嘘はばれる。十七年間母をやってもらっているのに今さらそんな小手先効くわけがないと分かっているのに。
 そう思っているそば、隣で茶髪が見えたかと思うと、低い位置で頭が止まったのが見えて驚く。
「すいません。オレのせいで彩歌さんをこんな遅い時間まで引っ張り回してからに」
「え? あなた――もしかして弘輝くん?」
「え!? ……あ、はい」
 弘輝は驚いた様子で顔を上げたが、すぐに姿勢を正して頷いている。
「オレが城条さん所で、勉強ば見るって約束しとったんです。ばってん、オレ今日外に出とったし遅くもなっとったけん、彩歌さん心配して探しに来てくれとって、それでこげん遅くなりました。こんな時間まで連絡もせんでからに、本当すいません」
 もう一度頭を下げる青年に、母は戸惑った様子。
 不安になって、彩歌も一緒に謝る。
「あ、あら、そうだったの……いいのよぉ気にしなくて」
 え?
 彩歌は疑うように母を見る。身長も近い母は、明らかに近所のおばさんモード全開だ。弘輝が不安そうに顔を上げた矢先、笑顔を見せている。
「弘輝くんが一緒だったなら気にしないわよ。一人でふらふらしてたわけでもないんでしょう? 城条さんにも後でお礼の電話しないと。ほんっとうにこの子ったら、勉強まで見てもらう約束してたなんて! こちらこそごめんなさいね、忙しかったんじゃない?」
「え……? あ、いや、土地勘ばなかけん迷って帰り遅くなったとですけん、悪いのオレ……」
 声がひっくり返るほどに、上ずるほどに驚いた――というより、何か危機感を感じているように見える青年は、ひたすら表情は茫然としているような。
「そんな事ないわよ。陽岡に来て間がないんでしょう? こんな田舎だけど、しばらく楽しんで行ってね。よかったらまた遊びにきて、この子も喜ぶから」
「うんっ! ……あれ?」
 元気よく頷き、ふと疑問が沸く。
 なんだか、啓司の時以上に母が甘い気がするのは……
「え、で、でもさすがに」
「気にしないでっ。彩歌の事よろしくねっ」
「は、はぁ……え?」
「もうおかーさんの意地悪! あたし子供じゃないもん! あぅっ」
 頭を軽く叩かれた。そしてふと疑問が沸く。ついでに弘輝の表情が固まっているのも見えた。
 今、母は言ってはいけない事を言ったのだろうか。
「ほら、あんたは早く寝なさい! 弘輝くん、本当にありがとうね」
「は、はい……失礼します……」
 顔が固まったまま。
 弘輝がおずおずと帰っていき、見えなくなった辺りで扉を閉める母。中に入っていた彩歌は、これからどんな天変地異が待っているのか不安で事欠かない。
 かと思えば、目を輝かせる母に視界が白黒しかねないほどに驚く彩歌。
「ちょっと! 弘輝くん格好いいじゃない! あんたあんないい子捕まえちゃったの!?」
「……え? おかーさん話見えないんだけど……」
「しらばっくれないの! 礼儀もしっかりしてるしあんたを庇ってくれるぐらい優しいなんて! あーもうお母さん嬉しいわよ! 今時の男の子にしては芯があるわね、お父さん以上だわ。結婚式楽しみねぇーっ」
「おかーさん!? ちょっと待ってどういう話!? あたし全然見えないよ!?」
「あら、お母さんは見えてるからいいのよ」
 よくない
 というかむしろ「いい」「よくない」の話じゃない
 母の言葉に戸惑い所か、弘輝に申し訳なさしか出てこない彩歌は、丁度声が聞こえたのだろう祖母がゆっくりやってきたのを見て、頭が痛くなったのだった。
「あやちゃん、こんな時間に帰ってくるなんてどうしたね」
「あっ、お義母(かあ)さん。ちゃんと彼氏君に送ってもらったから大丈夫だったみたいです。本当にこの子ったらいつの間に――」
「ちっ、違うのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
 真っ赤になって必死に叫んで。
 その声は、七件先の啓司の家まで、はっきり聞こえたのだとか聞こえなかったのだとか。

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