Endless parts 朽ちかけの街
第3話「邪馬(ヤマ)発電所の記録」 

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「ダーン族の生き残り?」
 今から――どのぐらい前だっただろう。数年以上前だ。それは分かる。十年届くかどうか、そのぐらい昔の話だ。少なくともシセスにとっては人生の半分以上前の出来事だし、物心ついてから記憶にある限り、一番鮮明なものだ。
 それだけ前なのだから、当時のシセスは人形遊びが好きな年頃ぐらいだ。今では縫い物はやっても、とてもとても、人形遊びなんてかわいらしいことは恥じらいが生まれてできなくなった。
 あの記憶の始まりは、その頃だった。
 フゼッツエムス発電所もそうだが、発電所はただ、エネルギーを供給する役割ばかりではない。その発電所を増やす計画のために、研究員は多く発電所の機能を調べようと身を寄せていた。
 シセスの父も、デインの母もそうだった。邪馬発電所はかつて海に囲まれた島国の跡地に建てられた発電所で、東側には特に大きな陸地がないため、極東の発電所と呼ばれていた。
 そんな邪馬発電所は、数千年にも渡って供給し続けてきたエネルギーの量が不安定であることが発覚し、シセスとデインの親が地方から呼ばれたのだ。
 シセスの父は紋陣研究学の専門研究家だ。デインの母は地質学者。地流エネルギーの研究を中心に行うエネルギー学者でもあった。
 シセスの父に、子供が発電所の近くで倒れていたという話を持ちかけた研究員はほとほと困った様子だ。頬を掻くその手首についた大量の痣――歯型に、父の腰ほども身長がないシセスは目を丸くしていた。
「痛そう……大丈夫?」
「大丈夫だよ、もう痛くない。けどまあ、子供に手荒な真似できなくてね。弱ったもんだ……おれは子供いないし」
「ああ、お前は嫁からいないからなあ」
「フライタス氏。言っていいことと悪いことの区別つけないと、お子さんが真似しますよ」
「はっはっは。ほらシセス、アンパーサー夫人の息子さんも来てるそうだ。遊んでもらいなさい」
「はーい」
 細い足と小さな歩幅。元気に走っても小鳥が地面を駆けるようだと、研究員達は微笑ましく見守ってくる。
「しかしダーン族か……絶滅したと言われていたのになあ」
 足を止め、父を振り返るシセスは、研究者と顔を見合わせる父から漏れた呟きを、はっきりと聞き取っていた。
「奴らはこの世界が暗闇に覆われてから、暗獣と戦い続けるために人間らしさを捨てたはずだろう。よく生き残りだと分かったな」
「ええ、分かりましたよ。暗闇で金色に光る目、私達にはない黒い髪。人間の姿をしているのに四つん這いで走り回るんですから。ただまあ、あの子供を見ていると、本当は彼らだって人間なんじゃないかなあって錯覚するんですよ……」
 首を傾げるシセスは、くるりと振り返って目を丸くした。
 明るい廊下の光を跳ね返す鈍い灰色の髪。三つ編みに編み込まれたそれを背中で揺らしながら、本を読みながら歩く少年がいる。
 人の気配を読んだわけでもないだろうに、シセスがぽかんと見上げる中、彼はぴたりと足を止めて少女を見下ろしてきた。
 頭一つ半も違えば、そのぼんやりとした目は十分に迫力がある。翡翠色の目は綺麗で、シセスは目を丸く見開いた。
 少年が背表紙を支えていた手で本を閉じ、肩を叩いた。
「ん、子供か」
「……だあれ?」
「デイン。お前フライタスさんのとこの子? 今日来る話だったろ」
「うん。パパ知ってるの?」
 デインは頷き、おもむろに本を肩にかけていた鞄にしまい込んだ。ゆっくりとした動作にきょとんとするシセスの頭を、デインは撫でる。
「ちっさいなー。で、そのパパは?」
「パパ? あっちだよ。あ、待ってえ」
 静かに、しかし幼いシセスを気にせず大股に歩く少年デイン。後ろから聞こえた悲鳴に、彼は足を止めて振り返った。
「デイン! その子を止めて!」
「え――」
 獣とは似ても似つかない四つん這いの子供が一直線に向かってくる。目を丸くするシセスを後ろに追いやり、デインが紋陣を刻んだ本を捲った。
 ページが勢いよく持ち上げられては次を映す。
 止まる。
「風の紋、目覚めよ。呪縛の鎖となりて我が障害を捕えよ=v
 風が一瞬で渦を巻き、子供の手足に絡まって宙に吊り上げた。じたばたと暴れる子供の口から叫ぶような唸り声が響く。
 鋭い金色の目が、シセスとデインを射抜いた。射竦められるシセスの前で、デインはじっと少女を睨んでいる。
「まだ懲りてないのか……《大人しくしろ、また痛い事をするぞ》」
 唸る少女へと、シセスの知らない言葉で話しかけるデインに、少女の瞳孔が一瞬にして小さくなった。抵抗を止めた少女を風の鎖から解放したデインは、冷たい目で少女を睨み下ろしている。
「こ、この子……怪我してる」
 タンクトップと粗末なショートパンツを履いているだけの少女は、シセスと目が合った途端再び唸り声を上げた。手をそっと差し伸べようとする彼女を止め、デインは大きな音を立てて本を閉じる。黒髪の少女はその音だけで体をびくりと震わせていた。
「止めとけ、しつけされてないんだ。近づいた奴に噛みつくぞ」
「しつけって……なんでしつけって言うの?」
 淡々と教えられる言葉が、なんだか受けつけなかった。本を見上げて身を竦ませる少女は、シセスとそう歳も変わらないように見えるのに。
 まるで、飼い犬を叱るような言葉。デインを呼び止め、助力を求めていた女性が、ほっと顔に安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。デインは女性を見やり、黒髪の少女を指差す。
「鎖で繋いでたほうがいいって言ったろ。言わんこっちゃない」
「そうは言ってもね……彼女も同じヒトだわ。あら、その子は?」
 デインの興味なさげな表情が、シセスを見下ろしていた。シセスはふんわりと広がったスカートの裾を摘んで持ち上げ、礼をした。
「シセス・フライタスです。初めまして、奥さま」
「まあ、ご丁寧にどうも。初めまして、ミス・フライタス。デインの母、イニア・アンパーサーです。お父様はどちらにいらっしゃるかしら、ご挨拶差し上げたいのだけれど」
「父は、あっちにいます」
 小さな指で奥を指す。デインの母はシセスに微笑み、礼を言って歩いていった。デインに黒髪の少女を連れていくよう頼んで。
 デインは溜息をつき、本をぱらぱらと捲った。肩を勢いよく跳ね上げて怯える黒髪の少女に、シセスは困惑する。
「離れてろー。水の紋よ目覚めよ。汝が姿は今より鎖となり、我が犬を抑せよ=v
 紋陣を発動させる古代発紋語(エンシェント・スペル)は、シセスには分からない奇怪な言葉で。
 その言葉の後、本に描かれた一つの紋陣が輝いて水を生み出し、少女の首に巻きついたのを見て身を竦めた。黒髪の少女が必死に首を振り、水に手をかけて水を外そうと躍起になっている。
「お、お兄ちゃん、何してるの? 息できなくなっちゃうよ、苦しいよ!」
「だーいじょーぶ、鼻と口塞いでないから」
「でも、首締まってるんだよ、きついよやめてよ!」
「あーうっさいなー」
 けだるそうに溢すデインに、シセスは一瞬で怯えていた。
「獣相手にそんな優しくしてたら、差し出した腕食いちぎられるぞ」
「ひ、ひどい……」
「そ、ひどい生き物なんです獣ってのは」
「違う、お兄ちゃんが酷いよ!」
「俺? ――そうだな。俺もひどいんだろうなぁ」
 無感動な感想だった。シセスは怯えつつも、少女を庇うように間に立った。
 デインの冷めた目が、感情のなさそうな眼差しがシセスに向けられた。
「お願い、放してあげて!」
「で、逃げたらお前責任取れんの? 誰か怪我したらお前のせいになるよ」
「えっ……」
 身を竦めたシセスを放って、デインは少女を見据えた。
「戻れ。檻(おり)に帰るぞ」
 少女が顔を引きつらせ、必死にもがく。風の鎖の紋陣が発動しているせいで、じたじたと足掻いても唸っても、拘束された首の枷を外す事ができない。
 外し方を知らないシセスもまた、泣きそうになりながら、デインに連れていかれる彼女を見送るしかできなかった。


 檻は、文字通り檻でしかなかった。
 鉄製の柵が、少女とシセスの間を隔てる。太い南京錠が少女の身を束縛している。閂(かんぬき)が、お前にもうここから出るなと言っている。
 見た目は全く同じ人間なのに。ひどい光景だった。
 檻に近づくなと、南京錠を閉めたデインから忠告された。事実シセスは、檻を真正面に捉えても、反対側の壁に背中をぴったりとつけたまま、泣きそうな顔で突っ立っているしかできなかった。
「いいか、待て。ここで、大人しくしろ」
 少女の口から漏れる音は、威嚇しているような唸り声だった。
 けれど顔は青ざめきったまま。デインは小さな嘆息を溢している。
「ったく、言語も分からねえと面倒だな」
「……言葉、分からないの?」
「まーなあ。ダーン族でも昔は言語があったんだけどなー……こいつ、知性が高い暗獣に飼われてたらしくて、まともに人間の言葉が分かってないんだとさ」
「飼う? 暗獣が、人間を?」
「ああ。でかくなって肉がほどよくなったら、食うために。人間が鶏とか牛とか育ててたろ、ああいう感じだよ」
 目を見開くシセスの前で、デインは冷めた目のまま、水の入った皿を檻越しに差し出していた。
 分厚い手袋をつけて。
「こいつは家畜だったって事だよ」
「ひ、どい……」
「じゃあ、人間が豚や牛を殺して食うのはひどくないのか? あいつらだって生きてるぞ」
「で、でもそれって、生きていくために命をもらってるって、お父さんが!」
「そっか。じゃあ暗獣達が生きていくために、こいつの命をもらったら、それはひどい事か」
 とうとう、シセスの目から涙がこぼれた。
 デインはシセスに目もくれず、少女を見下ろしている。
「姿が人間でもこいつは獣だ。人間と同じような理性がそもそも教育されてない。こいつが人間になるなんて無理なんだよ」
「――お兄ちゃん、嫌い」
 デインは肩を竦めて、手袋を外しながら出口へと歩いていった。
 水をじっと見つめる少女は、皿に口を持っていく。けれど喉を押さえて呻き、痛みを堪えながら水をなめていた。
 歳の近い女の子だけれど、こんな子は初めてだった。
 家畜という言葉の意味は知っている。まだ十にも満たないシセスでも、分かってしまった。
「ふっ……え……うっく、うう……!」
 涙が、止まらない。
 暗獣は嫌いだ。あのお兄ちゃんも、嫌いだ。
 泣く声は止まらない。白い壁に反射して、小さく小さく、壁もすすり泣いている。
「うう……?」
 小さな、甲高い女の子の声。
 はっと顔を上げるシセスのぐちゃぐちゃになった視界の中、少女の顔がこちらに向いていた。檻を両手で掴んで、じっとシセスを見ているようで。
「うーう……うー」
「……心配、してくれてるの……?」
「し……っぱ、しー」
 まるで、真似するような。
 痩せ細った少女は、シセスをじっと見つめている。黒い目が、金色に光って見えた。
 恐る恐る近づく。手が触れそうな距離になって、少女が勢いよく手を伸ばし、シセスの手を掴んだ。目を丸くするシセスを引っ張り、檻に勢いよくぶつける。彼女が痛みに叫ぶと、シセスの顔を少女が舐めた。
「ひゃっ……え?」
 まるで、母犬が子犬を宥めるようで。
 整えられたシセスの髪を、不器用に何度も手櫛で撫でつけてくる。服の匂いを嗅いで、少女はシセスの顔をじっと覗き込んだ。
 優しい目。宝石のような黒い瞳。
 シセスは涙を拭いて、笑った。
「ありがとう」
「あー、とー」
「私、シセス。シ、セ、ス」
「しー」
 自分を指差して、何度も教えた。
 シセス、シセス。
 しー、しー。
 少女は、何度も繰り返してくれた。
 シセスと、彼女の名前を覚えたのは、それから数日後の事だった。


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