ツァルロス・アーク
第3話 02 

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 クロキスの胸倉を掴み、扉が叩き開けられ、彼が肩をぶつけても構わずに引きずり込む。
「クロキス!! あんたって子は、いったい何しに帰ってきたんだい!!」
「か、母さ――! 待っていてえっ、骨折してるから丁寧にお願いします!」
「骨折!? 馬鹿かいあんたは、そんなの自業自得さ! 自分の体一つ守れない狩人に育てた覚えはないよ!!」
「待って僕今修復士」
「見習いがでかい口叩くんじゃない!! 胸張って帰ってきてもないくせに名乗れるほど安い技術じゃあないんだろう!!」
「す、すいません! もう放してよ、逃げないから! お、大声出すのも痛いんだって本当は!」
 スフェラもリチェルカも沈黙していた。
 スフェラに至っては目を見開いたまま硬直していて、クロキスは彼女達を指し示そうとして――
 ついに肋骨の痛みに悲鳴を上げた。


「いやあ、ごめんねえ。でっかいどら声聞かせちゃってさあ。恥ずかしいったらありゃしないわ。このでく息子ったら教えてもくれないんだからね」
 教えるより先に、家の中に引きずり込んだのはどこの母親だっただろうか。質素ながらに作りが頑丈な椅子に、スフェラとリチェルカを座らせ、クロキスは――椅子の数がないからと、テーブルの下でみじめな思いで座り込んでいた。
 場所を気にせず横になりたい。ギシギシと肋骨が痛みを訴えている。自分の故郷なのに、随分と人の怪我を気にしない人ばかりだったなんて。
 さめざめ泣きたかったが、家で泣くなんて許されざることだ。母の前でそんな真似をしようものなら、例え今重症でも危篤でも、家を追い出されて熊の前に持っていかれる。
 黒髪をうなじの所で団子に結い、ふくよかな母はスフェラとリチェルカに、井戸端の女性の笑顔でポタージュを差し出していた。
「で、どっちだい? あんなバカ息子について行くなんて言ってくれる子は!」
「残念ながらどちらでもございませんわ。お母様、申し訳ございませんけれど、わたくしたち彼に、今回の現状を聞きたかっただけですの」
「今回の現状だって? ――クロキス」
 早速、滾った油に火が注がれた。
 クロキスは呻きながら顔を上げ、まだ丈夫なはずの椅子を軋ませて身を乗り出す母を恐る恐る見やった。
「……話す時間、くれる?」
「ああ、やろうじゃないかい。ろくでもなしは耳にタコができるほど聞いてきたさ」
 そのろくでなしの内容は、知らないうちに片棒を担がされたことばかりではなかったか……しまった。今度こそ、ろくでもなしを否定できるだけの材料が、手元に全くない。
 けれど話すと決めたのだ。一日でもここに匿ってもらうなら腹を割らずにどうする気だ。大体母なら話さなくても、何かあって肋骨にヒビを抱えながらやってきたとすぐに見抜く。
 隠すだけ、それこそバカだ。
 固唾を飲みこんだ。手近な棚に背を預けて、クロキスは肋骨を押さえつつ母を見上げる。
「修復士見習いを頑張ってるけどさ……自分で新しい紋陣を見つけなきゃ、修復士としての未来が凄く狭い門だって知ったんだ。だから寮から抜け出した」
 今はかいつまんで話そう。授業に対する不満を言う場所ではない。
 母の恐ろしく真剣な眼差しに、クロキスは内心恐怖しながら話を続けた。スフェラは母自慢のポタージュを飲んで、美味しいと感想を溢していた。母が嬉しそうにスフェラを見やり、また息子に目を向ける。
「――寮を出たのは木登りをやってた時みたいなやり方だよ。で、夜のうちに街道に出ようとしたんだけど、門の詰所の近くで変な紋陣を見つけた。観察してた僕を見つけた警官のランタンが、それを照らした瞬間に、紋陣が爆発したんだ」
「続けな」
 母の声は、静かだった。
 片手で頬杖を突きながらも、目の鋭さは変わらない。さすが現役の狩人だと舌を巻きつつ、クロキスは頷く。
「僕は紋陣の違和感に気づいて、警官のほうに走ってたからこの程度で済んだよ。けど突然の爆発で町は混乱してた。あちこちにしかけられてた爆発の紋陣が爆発して、混乱は大きくなったよ」
 背筋が冷えてきた。
 思い出すだけで、こんなに体が震えるものだろうか。木から落ちた時より、熊に爪を振るい上げられた時より震えているなんて、おかしい。
「リチェルカたちが追ってたっていう男と女、二人組が、混乱を煽るようなことを叫んで、急いで領主の城に走っていく人の群れに乗って紛れていった。警官は殺されてた。きっと大声を上げた連中だと思う。その後は知らないんだ。二人に助けられた以外は」
「気を失っていたクロキスが、駆けつけた人々に見つかったところを、わたくしたちが目撃しましたの」
 すかさず、スフェラが説明を引き継いでくれていた。クロキスはほっと、母のマグをせしめてポタージュを飲む。
 珍しく、今日は怒られなかった。
「爆発の容疑をかけられていましたけれど、クロキスは明らかに剣を持っていませんでしたし……リチェルカが追っていた二人でないことぐらい簡単に分かりましたわ。警官を殺害していないことも。彼が動いたものですから、そのまま取り押さえて殺せと叫んでいた人々を眠らせて、こちらまでお連れしたんです」
「私は、あいつらの正体を少し知ってる」
 小さな声で、リチェルカはテーブルを見つめながら呟いた。
「内部紛争を起こそうとしている組織……。人間を人間とも思ってない連中。片方はデルデルマスフ族。もう片方は人間」
 デルマスフ? 人間よりも背が高く、自分の興味が示す先へならどこまでも駆け抜けていくような、知識欲の塊ともいえる種族ではないか。
 自分の知りたいものに関して磨き上げるが、達人の域に達してもまだ上を求める向上心を持つ。研究所でも上司がデルマスフの出だったから、その呆れ果てるような貪欲さはよく知っているが……興味のないことは点でダメな種族でもあるというのに。
 それなのに、組織? それこそデルマスフの思考を考えると、ワンマンプレイはともかく、規律ばった社会でやっていけるはずがない。
「――組織が何をやっているのかまでは知らない。でもアーベンを混乱させて、紋陣をより多く手に入れる目的のはず」
「どうして紋陣なんだい? あれは生活を楽にするためのものじゃあないのかい?」
 眉間に皺を寄せている母に、クロキスは思い出したように首を振った。
「母さんは、狩りをする技術は僕らが生きていくために必要だって思うだろう。じゃあ、狩りをする時に生き物を殺す技術は、殺人に絶対使われないって思う?」
「それは……あんたって子は、随分と口達者になったね。その通りだ」
 苦々しく頷く母へ、スフェラは肩を竦めた。
「わたくしはリチェルカと最近知り合って、お手伝いしているだけですから……あまり彼らのように志すものはありませんけれど、クロキスは見かけた二人を追いかける気でいるそうですわよ」
「ああ、それじゃあ自由に行ってくればいいさ」
「え、いいの?」
 顔を上げると、母はいつの間にか席を立っていた。棚から新しくマグを出し、ポタージュを注ぎ、戻ってくる。頭の天辺をやや叩くように置かれ、クロキスは呻いて受け取る。
「いいさ。あんたもいい加減大人になったんだ。七年戻ってこなかった分、あたしらよりろくな勉強はしてるだろうさ。村にあんまり迷惑かけるんじゃないよ」
「……へへ、ありがと」
 その笑い方は相変わらずだと、気の抜けた笑みを呆れた目で見下ろされた。
「三人で話し合いの場が必要だろう。食事と宿の面倒ぐらい見てやれるから、母さんたちは狩りに行ってくるよ」
「申し訳ございません、突然押しかけましたのに」
「いいさいいさ。こんなバカでもでくでも、あたしの息子にゃ変わりないんだ。その恩人であるあんたら娘さんらを路頭にほっぽってくなんて、どこの親がするもんかね」
 ただ、照れ臭かった。
 母に頭を下げるスフェラには言い出しづらいことだったし、この後もずっと言わないだろうけれど。
 研究所には恵まれなかった。その代わりにわかった。思い出せた。
 自分はこれだけ、信じられる人に恵まれていた。


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