ツァルロス・アーク
第3話「村育ち」01 

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 森を抜けるのに、やはり五日はかかった。その間に森の動物に襲われることを危惧していた一同だが、熊に遭うこともなければ鹿も見かけなかった。
 肉にありつくことはできなかったものの、それでもクロキスの肋骨の痛みは多少軽減されている。長時間歩くことはできないも、休みは十分も取れば十分だった。
 村の入口まであと一時間ほどで見えるだろうか。林道を歩きながら、クロキスは周囲に目を配った。
 生き物の気配は――やはりまだない。幸いといえばそうだが、いい加減森の捕食者たちが狙ってきてもおかしくないというのに。縄張りにだってあれだけ足を踏み込んだのだから。
 肩を貸してくれているスフェラが、漁っていた鞄の蓋を閉じて、不思議そうに見上げてきた。
「どうかなさいましたの?」
「あ、いや……熊達がなんで来ないんだろうなってさ。大型の蜂だって、ここのところ襲ってこないだろ?」
「あら、当然ですわ。彼らが嫌がる芳香剤を使ってますもの」
 ……。
 スフェラの鞄を見やった。彼女の可憐な顔立ちを見下ろした。
 顔が火照ることはなかった。
「芳香剤?」
「ええ。熊や蜂が嫌うハーブの香りですわ。野営の時も焚火に香草を入れて、動物達が近寄れないようにしていたんです」
 そう言って見せられた底から少し上しかない瓶は、水が滲み出そうなほど湿った綿に、ハーブを差し込まれてある。メッシュ状に組まれた植物の網篭で瓶の上部を守られ、上部には燻してある植物片。近くで見せてもらい、やっとわかったが、香草の香りが鼻と食欲をつついてきた。
「紋陣だけじゃないんですのよ、こういう時に役に立つのって」
「あ……はい」
 その通りなのだが、意識しなければわからないこの香りで、よくまあ自分たちは守られたものだと遠い顔になった。よくよく考えれば、動物のほうが嗅覚は鋭い。
 この辺の動物が大人しい生き物ばかりで本当によかった。
 やっと見えた村の入口にほっとしながら、クロキスは肋骨を押さえた。まだ骨が軋んでいるが、小さい頃木登りから落ちた時より断然マシだ。
 村の入口で見張りをしていた青年が、大いびきを掻いている姿に笑って、スフェラに頼み近くまで寄ってもらった。案の定、短く切ったせいで栗頭になっている茶髪を揺らしながら、幼馴染は黒い目を閉じて口を大開きときた。
 耳元に移動し、クロキスの口がにやりと笑う。
「ガウッ!!」
「おわわわわわわわわっ!? まも――っておおおおおおおい!!」
 大絶叫の嵐に、スフェラとリチェルカが顔をしかめて耳を塞いでいた。クロキスは腹を抱えて笑い、すぐに肋骨の痛みに中断させられる。
 しまった。骨が折れていなければこれ見よがしに笑ってやるつもりだったのに。
 茶髪の青年が荒い息でクロキスに掴みかかり、はっとしてまじまじと見てきた。
「クロキス……? お前いつ帰ってきた?」
「ただいま、たった今だよ。悪いけど手放してくれよ。骨折しててさ……結構痛いんだ」
 生暖かい顔で、クロキスの胸元を掴んでいた手がどけられた。途端に幼馴染はスフェラとリチェルカを見おろし、はっとした顔。今度は勢いよく肩を組まれ、スフェラたちに背を向けたまま小声で声をかけられて、ついにクロキスは痛みに悲鳴を上げた。
「お、おいお前何!? まさか都会にもまれて女できたの!?」
「は、放せ痛い、肋骨折れてるんだよ! ってか違う、全っ然違う! 僕が骨折した時に助けてくれて、村まで送ってくれた人! だから腕外せ、痛いんだよ!!」
「お忙しいところ申し訳ありませんけれど、その方そろそろ、肋骨のヒビが本当に折れますわよ?」
「いや、むしろ折れろ!」
「ザーゲ!!」
 なんだなんだと、村人達が集まってきた。大絶叫を上げるクロキスの声は森の木立に沈み、すぐに村の医者が呼ばれて飛んできたという。


「お嬢さんの処置が適切でよかったわい。しかしまあ、肋骨にヒビを入れたまま五日も歩くとは。アーベンで何をやらかして逃げてきおった」
 医療に通じている長老の、眼光鋭い問いには毎度尊敬を覚える。クロキスはゆるゆると首を振り、スフェラとリチェルカを示した。
「何もしてないよ。まあ寮を抜け出しはしたけどさ。リチェルカが追ってるっていう奴が仕掛けた紋陣の爆発に巻き込まれて、二人が助けてくれた。二人の話だと、僕が爆発事件の犯人にさせられるところだったって」
「ふむ――そんな容易く、民間人のお前を犯人にするほど、都会の人間は盲目ではなかろう」
 白く長い顎髭を撫で、目深にかぶった帽子の向こうから、包帯を巻き直されたクロキスを睨む老人。クロキスは苦笑いした。
「タイミング悪かったんだ。まあ……寮抜け出したって言っても、新しい紋陣探したいって書いて出てきたから、上司はわかってくれてると思うんだけどさ。警官は殺されてたし、剣で刺されてた。どう考えても僕じゃあ分が悪いよ」
「お前さん、都会で剣を振るう練習をしておったのか?」
「時たま。紋陣の調査団として外に出る時には、護衛役をやってたよ。民間の研究所だから費用ケチりたいんだ、護衛雇えないだろ」
 わかるように説明したも、長老はふむと相槌を打って――クロキスを重たそうな瞼を持ち上げて睨んできた。
 ぎくりとするクロキスはしかし、今さらしても遅い後悔をするより、違うことに頭を働かせようとする。
「紋陣の修復士の才能を、せっかく見出してもらったにもかかわらず、寮を飛び出すとは何事か。村でのんべんだらりなお前さんがやーっと更生したかと思えばそれか」
「ごもっともですわね」
「え、スフェラ!? じいちゃんの肩も……つのももっともだけどさ!」
「だってあなた、あの日寮から抜け出さなければ、こんな疑いをかけられて逃げる必要なかったんじゃありませんの? 身から出た錆ですわよ」
 その身から出た錆を知ってついて来てくれていたわけではなかったか。出会ってまだ五日の相手から尽く五寸釘を打たれ、クロキスは口の端がげんなりと落ちる。
「け、けどさ……どうにも僕、研究所じゃあ紋陣の修復よりも護衛しかさせてもらえてなかったし……自分で新しいもの見つけていかなきゃ、修復士になった意味が……」
「下働きの大切さを分かっておらんようだの」
 長老の後ろで何度も頷く茶髪の幼馴染の頭を叩きたかった。リチェルカへと目を向ける長老に気づき、クロキスも彼女が手を挙げていたと気づく。
「長老。申し訳ないけど、ここにクロキスが来なかったかって、きっと探しにくる人がいる。時間がないから対策を打ちたい」
 やっと名前を呼んでもらえたと思えば、現実の通告だった。
 薄暗いログハウスの中で、長老はじっと、木のテーブルに頬杖を突いたままクロキスを見つめた。
「お前さんはどうするつもりじゃ。クロキスよ」
「爆発を起こした紋陣を探す。その使い手も捕まえるよ」
「ちいと、頭がお熱なようだの」
「どうとでも言ってくれよ。――村に帰ってきて迷惑かけてるのは、わかってる。迷惑だけで終わらせないように、自分のやることをやってくるよ」
 長老は目に見えるほど大きく溜息をついて見せた。白髭が揺れ、出口へと顎をしゃくっていた。
「家でゆっくり休みなさい。お母ちゃんが鬼の角で待っておるじゃろう」
「……うええ……」
 これ以上ないほど吐きたくなった。
 痛み止めをもらい、ついでに頭に威力が弱い拳骨も受けて、クロキスは長老の家を出る。スフェラとリチェルカ、そして幼馴染のザーゲもついて出てきて、クロキスは盛大に肩を落とした。
「家にはなあ……なあ、ザーゲ。泊めてよ」
「嫌だよ。お前脅かしてきただろ」
「ごめんってば。この通りだから」
 頭を下げようとして、肋骨の痛みに苦い顔になる。ザーゲは呆れ果てた顔で、村の奥を示した。
 自分の家に帰れと。
「俺、おばちゃんの雷受けたくないから。達者でな」
「この裏切り者……!」
「あ、あー! あとな、メニカが毎っ日アーベンの方角見てたぞ! 会いに行ってやれ、な! じゃっ!」
「『じゃ』って、おい!」
 慌てて引き留めようとしたも、さすがは現狩人だ。肩を掴もうとしたクロキスの手を避け、引きつった笑みで去っていった。
 相変わらず薄情だ。クロキスは拳を震わせつつ、手を複製帳に伸ばしかけて堪える。
「あいつ後で覚えてろ……目隠しの紋陣で落とし穴に引っかけてやる!」
「バカらしい。私はさっさと打ち合わせがしたい。早く行動して」
 淡々。
 クロキスの怒りのボルテージが大暴落した。ぐうの音も出せず、クロキスはとぼとぼと、タークに示された方角を歩くほかなかった。
 村人から「帰ってきてたのか」とか、「元気だったかい?」とか、いろいろ声をかけられるも、なんだか答える気分でもなく。適当に返事して、うなだれたまま家に着いて――
 遠目から見守ってくれるご近所さんの目が痛かった。泣きそうだった。
 そっと、扉に手をかける。年季の入った木目が片側から奥へと踏み込んでいって、家の奥の暗い色を見せて――
 手が飛び出してきた。

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