ツァルロス・アーク
第2話「探し物をする少女」 

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「――か、今日中に外壁を直すんだ! 外の敵は――」
 なんだろう。誰の声だろう。
 胸と頭を絞めつける苦しさが、クロキスを呻かせた。頬に乗るひやっとした冷たさに、うっすら目を開ける。
 銀髪の少女。
 冷めた目の色はアメジストのような濃い紫で、クロキスは目を見開いた。
 肌がやや黒いも、細身で端正な顔立ちだ。
「起きた。さすがだね、スフェラ」
「あら、褒めて頂けるのでしたら、もうちょっと違うお言葉がほしいですわ」
 長く三つ編みにした銀髪がさらりと落ち、金髪の少女と入れ替わった。こちらは大きな目がエメラルドのようで、人形のようにかわいらしい容姿ときた。
「具合はどうです? まだ痛みますの?」
「えっ? あ、いや……いった! ちょ、痛い痛いなんなんだよ!! ぶっ!?」
 いきなり銀髪の少女が腹に乗ってきて、痛みに叫ぶクロキスの口はスフェラと呼ばれた金髪の少女に塞がれてしまった。人の足がどこかで止まったように聞こえ、また走っていく。
「お静かにお願いしますわ。あなた、重要参考人と称して殺されかねないところでしたわよ」
「――ぷはっ! 重要参考人!? なんの話だよ……!」
「この街の外壁が壊れたその現場に、最初にいたのがあなただからですわ。他に何があるって言うんですの」
 かわいらしい声と容姿に反して、言葉遣いはややつんけんとしている。そんな金髪の少女に言われ、クロキスは周囲を見渡してはっとした。
 草むら。木陰。ややくぼんだ地形はどう考えても土豪――街の防衛ラインに沿って掘られたものだ。
 スフェラは銀髪の少女と顔を見合わせ、「そうですわね」と頬に指を添えた。
「わたくし達も、あなたから詳しい事情をお伺いしたいのですけれど……まずは治療が先ですわね」
「治療って……そんなに僕、怪我酷いの?」
「怪我どころか、あなた肋骨にヒビが入っていますわよ」
 ぞっとした。銀髪の少女が頷き、姿勢を低く保って立ち上がった。周囲を見やっている目つきは鋭い。
「スフェラ、まずいよ。ここも時期に見つかるかも」
「そうでしょうね。お医者様にかかるわけにもいきませんし……」
「い、いやだからっ、なんでこうなってるんだよ!」
「この街に、昨日の夜の爆発に乗じて紛れ込んだ男と女がいたはず」
 銀髪の少女の言葉に、クロキスははっとした。

 だっ、誰か助けてくれええええええ!! 壁がっ、壁が崩れた、魔物が入ってくるぞおおおおおおおっ!

 あの男だ……!
「その二人は私が追っている二人組。この国に入り込み、何かをする気でいる。だからこの近くに住んでいたスフェラに頼んで密入国するつもりだった」
「みつっ……!?」
「でも失敗した。今密入国すると、私が爆破事件の容疑者になって捕まり、あいつらに利用されて殺される。だからこっちに来たの」
 こっちとはつまり、クロキスが倒れていたから、救助したという意味だろうか。
 スフェラはクロキスの胸元に手をかざし、小さな声で何やら言葉を紡いでいる。手の平から淡く漏れる光が、息を吸う度に苦しかった胸の奥の痛みを和らげていく。クロキスが目を見開いた。
「え、ちょ……!? 癒しの紋陣(エリアス)!? どういうことなんだ、今までそんな紋陣ないのに!」
「詮索をする殿方って、わたくし嫌いですわ」
 拗ねたようにそっぽを向いて、痛みを和らげる光を消し去ったスフェラ。顔が引きつるクロキスは、目の前でご馳走を取り上げられた子供の気分を久しぶりに味わった。
「……わ、悪かったよ……それで、僕に何をさせたいんだ?」
「そっちが持ってる、あいつらの情報。教えて。できれば違う場所で」
 人でもなければものでもなく、方角を指す言葉で自分を指名される日が来ようとは。
 クロキスは狼狽しつつも、選択の余地などなかった。
「……いいよ。助けてもらった礼になるならな」
 なんにせよ、元々出たいと思っていた箱庭を出られたのだ。こんな怪我を負っても、自分の知識や見聞を広めたいその意欲は衰えない。
 クロキスはスフェラに再び癒しの力を使ってもらった。歩けるようになってすぐ、土豪から抜け出して、近くの森へと急ぐ。追手らしい歩兵が遠くに見えたも、皆街道沿いに何かを警戒するだけにとどまっていた。
 森の中は、涼しく薄暗かった。
 森の入口の辺り、日があまり差し込まない木立の中へと隠れて座り、クロキスは油汗を拭った。
 痛みは随分と軽くなったが、歩く震動だけで骨が軋んでいるのが分かる。長い距離を移動することはできない。
 現にスフェラも、クロキスの表情を見て顔色を曇らせている。下草の冷たい地面に腰を下ろし、クロキスにも座るよう促した。自分の手を黒い布で覆うと、すぐにクロキスの胸元に手をかざして癒しの光を当ててくれる。
「申し訳ないですわ……わたくしの力では、骨折までは治せませんの。長い距離を移動したり、激しい動きをしたりすると、また激痛が襲ってきますわね……」
「いや……半分死にかけだったんだよな? それをここまで歩けるようにしてくれただけでも、十分だよ」
 とは言いつつも、口がろくにまめらないのはまずい。説明をしたくても頭がぼうっとして、まともな受け応えができる自信がないのだ。
 銀髪の少女が周囲を見渡し、スフェラとクロキスの傍にかがんできた。顔色が未だ悪いクロキスを見ても、その表情はスフェラほど変わってはいない。浅黒い彼女の肌はどうにも、この薄暗さだと闇に紛れたように溶け込んでいる。
「ここだときっと、すぐに見つかる。もう少し移動したほうがいい。この近くの村となったら、そっちの足だと何日の計算?」
「一日半、ですわね。早くてもそのぐらいが限界ですわ」
「そ。じゃあ村は押さえられてしまう……村を経由せずに行くしかない」
 淡々とした口調に、クロキスは顔をしかめた。
 いったい何がどうして、自分が追われることになったのかは理解に苦しむ。
 が、万が一追われているとするなら。
 明日には近隣の村に逃げ込もうとする自分達を捕まえようと、アーベンの自警団が動いてもおかしくないのは分かる。
 地の利を活かせ。それが紋陣を操る知恵を身に着けた者に伝わる教えだ。
 この周辺は、アーベンのために、街道と街に真っ二つにされた森が広がっている。木材を切り出し、また木の苗を植え、新たな森に成長させる。それを行っているのが、この地中に埋め込まれた成長の紋陣の影響だ。
 アーベンが高い城壁に守られている理由も、戦争時でもないのに土豪が遺されているのも、その紋陣に影響を受けた巨大な動物に襲われることを防ぐためだった。
 今街の自警団は、ほとんどが壊れた外壁のために街のすぐそばにとどまらざるを得ない。最低でも三つのチームに分かれて、時間差で動いて一日中壁を守らなければいけないし、同時に今回の爆破事件の現場で、何があったのかを調べる人員もいる。
 ということは、クロキスや、見かけられた不審者を追うための人手は非常に少ないはず。
 けれどアーベンの自警団でも、外でクロキスを追う人間は、四十人は下らないだろう。アーベンの両脇を押さえる宿場町に二十人ずつ配置すれば、旅団の人々から話も聞ける。
 通りすがった人々から情報を得、クロキス達が目撃されていなければ、包囲網をこの森へと向けるはずだ。
 この森ヴェイルで追手をしのげるのは、多くて二日と見た。
「――この森、街道で二分されているんだ。北と南にね。で――こっち側は南側だ。北側に移って、まっすぐ北西に行けば、街道から外れた村があるよ」
「詳しいのね」
「ああ。僕の生まれ育った村だから。ここからだと、森の中で迷わなければ五日だな。それでもいい?」
「街道沿いに進んだなら、何日?」
「七日。森を迂回する分時間はかかるよ。追手が来る前に村の医者に頼んで状況を看てもらう。一日あれば次の行動を決めるには十分じゃないか?」
 今から動けば、恐らく自警団が到着する直前までには村の中に入れる算段だ。途中宿場町は日数分ほどあるから、自警団がその都度聞き込みをするなら、負傷しているクロキスの足でも速く着くことができるはず。
 銀髪の少女が頷いた。スフェラも肩を竦めている。
「わたくしは構いませんわ。事情はそちらに向かいながらお伺いします。申し遅れてしまいましたわね、わたくし、スフェラ・セラピアといいますわ。薬草のことならお任せくださいな」
「え、薬草士(リーフィー)だったの!? 僕はクロキス。クロキス・ディダン。修復士(レスター)だよ。きみは?」
 銀髪の少女は褐色の腕に手を置いて、じっとクロキスを見下ろした。
 本当に、抑揚のない表情だ。
「リチェルカ。あなたと同じ修復士。でも当てにしないで。私短剣や鞭を扱うほうが得意だから」
 尻に敷かれたくない相手となりそうだ。
 人の気配がないことを確かめて、リチェルカがこの場から動こうと声をかけてきた。
 スフェラやリチェルカに手を貸してもらいながら、街道を横切って北の森に入る。途中までの道は、街道まで侵入してきた木々が、点でまばらに視界を塞いでくれているから、急いで渡る必要もない。
 木立に紛れる前に、ちらりと振り返った城壁は、周囲を警戒する兵が引き上げていて誰もいなかった。
 今日の修復工事は終わったのだろう。
 夕日を背に見下ろしてくる石壁は、悲しいほどに無表情だった。


「爆発の紋陣……」
「そう。見たことがない紋陣だったけど、光に反応して爆発する仕組みだったみたいだ」
「その、わたくし紋陣の知識はあまりないのですけれど……紋陣のこと、詳しく教えてくださいな」
 癒しの紋陣を使う少女とは思えないカミングアウトに、肩を貸してもらっていたクロキスはぎょっとした。肋骨の痛みはまだ耐えられるものだったので、歩みは止めないまま頷く。
「いいよ。紋陣が元々、この世界の遠い昔に忘れ去られてるのは知ってるだろ? 世界に眠っていた遺産。何気ない日々の日常に紛れていた紋様は、ある一定規則を持った魔法陣だったんだ」
 薄暗くなる森の中、時折スフェラが野草や薬草を見つけて、荷物のリュックの中に入れていた。その度にクロキスは立ち止まるも、肋骨を休めることができてほっとする。
 早く寝転がりたかったが、そうも言っていられない。すぐに移動を再開し、大きな樹の脇を過ぎた。
 リチェルカはこちらを振り返りながら、定期的に前方を警戒してくれている。
「魔法陣――今じゃ紋陣と言われてるけど、これの魔法の力を呼び出すためには、いくつか条件がある。一つは、紋陣の線が一か所でも消えると、力を発動できない。もう一つは、特定の条件下でしか発動できない紋陣を、別の条件下に置いてはならないって奴だ」
「今回あなたがご覧になった、爆発の紋陣は、その条件下に置いてはいけない部類だったということですの?」
「――いや、逆だろうな」
 あの紋陣は、光に触れて初めて力を放出した。つまりは、紋陣は最初から力を発動できない場所に描かれて、あの警官の持ったランタンの光が発動の条件となったのだろう。
 そもそも爆発の紋陣だなんて危険なもの、迂闊に明るい場所で使ったら、修復士自身も大惨事を被る。
「紋陣の中には、予め発動条件を満たさない場所で描いて、発動条件が整う場所で力を使わせるなんてやり方をするものもあるんだ。今回の爆発の紋陣はそのタイプ。常設して力を引き出す、水道の紋陣みたいなものじゃないよ」
「――紋陣って、修復士の皆様が、予め描かれた模様の欠けた箇所を補って、初めて力が発動されるのでしょう? 新しく紋陣を制作できるものなんですの?」
「描く本人が、紋陣の効力と図案を知っているなら、複製はできるよ」
 そう言って、クロキスは複製帳(レプリカ・ノート)と書かれた本を取り出して見せた。
「この特殊な材質の紙の上でなら、紋陣を複製しても発動しないんだ。こういうものに保管して、必要になれば紋陣を別の媒体に書き込んで発動させる。修復士なら誰でも持ってるし、僕みたいに見習いでも、研究所の中で発見されている紋陣なら教えてもらえるんだ」
 スフェラが不思議そうに聞いていて、段々と雲行きを悪くさせていく。
「ということは、ですわよ……クロキス。あなた今回、研究所を終了過程の途中で抜け出してきたんでしたわよね?」
「へ? ああ、うん。書置きは残してる」
「で、爆発に巻き込まれて、容疑者扱い受けましたわよね?」
「だね。でもスフェラ達が見つけてくれたから助かったよ。このまま新しい紋陣探しに出られなかったらどうしようって」
「そうじゃなくて。あなた国に潜り込んだスパイの疑いをかけられて、おかしくないんじゃありませんの?」
 クロキスの足がぴたりと止まった。もちろんスフェラも止まらざるを得なかった。
 呆れ果てた顔に手を当てる彼女の肩が、隣の青年の汗のせいで濡れ始めて、嫌そうな顔をしている。
「うわ、ホントだ……や、やばいそれ! 僕戻って違うって」
「言って取りあってもらえるようなら、最初から現行犯で殺されるかもしれないなんて思いませんわよ! テロですわよ、テロ! 爆破と同時刻に研究所を抜け出すなんて馬鹿じゃありませんの!」
「いや不可抗力です! ってか、僕気を失ってたよね!? 現行犯扱いされるほうが変だよね!? ってか一緒に紋陣を見た人だっているのに――あ」
 思わず沈黙した。頭の中をよぎった昨日の光景に視線を落とすも、クロキスは平静を取り戻した。
 心の中が、ぽっかりと空いた。
「そうだった。死んでたよ……あいつらかな。斬り殺したのって」
「現状、そうだと思う」
 リチェルカが、銀髪をしならせながら周囲を見渡していた。もうこれ以上進むのは危険だと、リチェルカが鞄から平たい石を取り出し、その上に筆で文様を描く。
 小さな火が灯った。
 スフェラが小さな鍋を取り出し、火の上に掲げて、水と薬草を煎じ始めた。
 小さく揺れる、明るい色。暗い真っ黒な景色の中に、手元の緑や茶色がぼんやりと浮かび上がる。
 火の手前側にガラスが見えた気がした。ランタンを持ち上げる、やや節が目立つ男の手も。

 誰かそこにいるのか?
 まったく、夜遊びもほどほどにするんだな。こんな街の出口で――

 ただ、優しく注意してくれただけの、警官だった。
 クロキスが夜遊びをしていると思い込んで、窘めようとしてくれた。
 自分があそこにいなければよかっただろうかと思いもする。けれど起こったことが変えられないなら、これからどうやってあの警官のために応えようか。
 肋骨は軋む。その度に思い出すのは、あの煉瓦に刻まれた紋様と、巨躯の男、女。
 やはり、向こうに着くまで考える必要はなかったかもしれない。
「傷が治り次第、テロを起こした奴を見つけ出すよ」
 リチェルカは何も言わなかった。スフェラは――顔をしかめていた。
「賢明な判断とは言えませんわね。それに、あなたの場合は傷が治っても問題が山積みですわよ。どうやってあなた自身の潔白を証明するんですの」
「それはなんとかなる」
「具体策はあるんです?」
「ない。けどなんとかなるよ」
 開いた口が塞がらない様子で、スフェラはクロキスを見つめていた。そのクロキスは複製帳を取り出し、思い出せる限りの形を描き始める。
 紋陣には必ずパターンがある。あの爆発の紋陣も、真円の中心に光の紋陣を入れ起動式に。周囲に衝撃を与えるための模様と、火や風の紋陣でエネルギーを増幅させるよう組まれていたようだ。
 テロと言われるのも頷ける。国や研究所単位で、自分達が持つ紋陣を外部に漏れ出ないよう気をつけているが、このような危険な紋陣であれば国が、国の属する連盟が危険度Aランクの紋陣に指定する。戦場ならともかく、まず民間の、それも街の外壁などで見ることはない。
 一民間人の自分が知っているはずがない紋陣だ。研究所でだってこんな紋陣見たことはなかった。
 ――証明には十分だ。この紋陣の正確な形が分かった暁には、紋陣を用いた人間の前で明るみに出せば表情で分かるというもの。
 勝機はある。
 スフェラから薬草を煎じた飲み薬を渡されて、礼を言って一気に飲んだ。
 絶叫した。
 あまりの苦さに吠えたクロキスの口は塞がれ、危うく彼は窒息するところだった。

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