「ねえ、亮」
例えば、そうやって俺を呼ぶ声だとか。
「次の試合、楽しみにしてる」
髪を耳に掛けながら俺を見上げる仕草だとか。
「あなたが私の友達でよかった」
目を細めて、安心したように笑う姿だとか。
全部全部、愛おしいと思った。
手に入れたくても手に入らない。そう思い知る度に、胸の奥が痛みを訴える。
だが、この痛みすらも愛おしく、快いと思うようになったのはいつからだっただろうか。
「私ね、好きな人がいるの。あなたに似て背が高くて、優しくて、素敵な人よ」
「……そうか」
そう言って、エリカは笑った。
学生の頃とは違う、落ち着いた大人の女の顔。
『あなたに似て』という言葉を使い、あくまで俺は恋愛対象じゃないということを強調する。
いつもそうだ。エリカは俺を『友達』と言う。俺が理由をわかっていることに、エリカもまた気付いている。だからこそ、繰り返す。
“友達”
……と。
では何故、エリカは俺を友達と呼ぶのか。その理由は。
俺は、エリカが好きだ。
友なんて関係では満足できないほどに。愛しているのだ、女として。
エリカはそれに気付いてしまった。だから、友達という言葉で俺の愛を拒もうとしている。
けれども、俺はエリカを追う。嫌われても、突き放されても、傍を離れない。
離れるつもりなんて、無い。
「その人ね、仕事は忙しいみたいなんだけど、その分会う度に沢山抱きしめてくれるの。さみしい時間も多いけど、同じだけ甘い時間をくれるのよ。だから、いくらでも待っていられる」
艶やかな唇に指を添えて笑うエリカの目は、雄弁に語る。
寂しくても、辛くても、俺を選びはしないのだと。
自分のことを諦めてくれ、と。
「そうか、それは良かったな」
そっと口角を上げ、低く囁いた。
するとエリカは僅かに目を見開く。大人しく肯定する俺の言葉に、驚いたらしい。
否定されるとでも思ったのだろうか?
生憎俺はそんな優しいことをしてやるほど甘くない。
俺のことをわかったような気でいるエリカが可笑しくてたまらなかった。
それでいて、嬉しかった。エリカはまだ俺の全てを知らない。それはつまり、これからも互を知る余地があるということ。
「意外だわ。“そんなやつ、止めておけ”とでも言われるかと思った」
「言って欲しいのか?」
静かに距離を詰め、エリカの肩を抱く。逃げられないように、しっかりと。
エリカは一瞬だけ肩を弾ませたが、すぐに冷静を取り戻した。そして首を横に振った。
動揺などしていないかのように振舞う名前が可愛らしく見える。
「今日は、何だか優しいのね。いつもより、そんな気がする」
「は。気のせいだろう」
鼻で笑い、名前の肩を掴む手に力を込めた。エリカがほんのわずかに眉を寄せる。
ああ、愉快だ。
俺は、エリカが欲しい。心も体も、全て。
たとえ俺以外に心酔していようとも、関係ない。それはそれで好都合というもの。
エリカの目の前で、その男を消してしまえばいい。エリカがそいつを愛していればいるほど、俺は深くエリカの心に爪を立てることができる。傷の深さは、男との愛の深さ。
その傷の底に俺という存在を植え付けてやればいいのだけのことだ。
深ければ深いほど、エリカの心は俺で支配される。
甘やかな愛でなくともいい。憎まれたって構わない。
少しくらい、痛いのが好きだ。
「ねえ、わかっていると思うけど」
「なんだ?」
下を向いたエリカ。
長い髪がはらりとひと房零れた。
それをそっと指で触れて、エリカの頬に口元を寄せる。
唇は触れない。何故なら俺たちは未だ“友達”だのだから。
恐怖か、それともまた別のものか。エリカが小さく身震いした。
腕に伝わるエリカの震えはそのまま俺の震えになる。快感というものに名を変えて。
俺の一挙一動にエリカが震える。こんなに愉快なことはない。
「私たち……友達よね」
にたあ……と自然に上がる俺の口角。
内頬に長い犬歯が擦れた。
「……ああ、友だ」
今は、な。
その言葉は飲み込んでおくことにする。今口にしてしまってはつまらないから。
俺の言葉に安心したように息を吐くエリカが滑稽で、愛おしくて。
友という壁を築く程度では、俺を思い通りにすることなんで出来はしないというのに。
クツクツと喉の奥で嗤う。
エリカは知らない。いい加減に気がつけばいいと思う。
俺が、どんなに嫌な男か。
エリカが俺を拒めば拒むほど、俺の中の欲望は膨らむ一方だ。もっと拒め、もっと、もっと、俺を憎め!
そうして十分に待ったところを、一息に狙う。
それが今の俺のやり方だ。
俺にとっては、関心の強さが物差しであり、甘いか苦いか、そんなことはどうでもいいのだ。
つまるところ。
憎しみとは愛なのだから。