「……おい、待てって!」

「いや!」


ヨハンとミリアの追いかけっこは、人ごみを抜けて、木のたくさん並ぶ林らしきところまで続いていた。どうやって戻るかなどもうお互い考えていないのは明白。ミリアはヨハンから逃げることしか、ヨハンはそのミリアを捕まえることしか考えていない。


「お前今日ブーツなんだし、こんなところで走ったらこけ……」

「ぶっ!」

「……言わんこっちゃない」


木の根に足をとられ、派手に転んだミリアの傍らにヨハンは膝をつく。むしろ今まで転ばなかったのが不思議なくらいだと思いつつ、コートのポケットから薄い絹のハンカチを取り出し、地面へとへたり込むミリアへと差し出した。


「ほら。土ついてる」

「…………」


無言で首を横に振るミリアに、ヨハンは小さくため息をついた。普段は素直でおとなしいくせに、一度へそを曲げると意地になってそれを貫き通そうとする。そんな厄介なミリアの性格を、ヨハンは理解していた。こういうときに何か言ってもよけいむくれるだけだということも。冷たい土に膝をつけて座り込んだまま動かないミリアの傍らに座り込むと、ヨハンはそっと空を見上げた。ごおん、と除夜の鐘が鳴り響く。今は何回目なのだろうか。数えることすら忘れてしまっていた。


(約束、したのになぁ。考えてみれば、悪いのは全部俺じゃないか……)


迷い、はぐれ、誤解をまねく行動をとり。ぐっと唇を噛みしめたその隣で、ちいさなすすり泣きが聞こえたのは同時だった。


「ミリア?」

「ふ、うう……ううっ」


暗闇でも艶々と輝くダークグリーンの髪に隠された顔は、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。何度も何度も両手で涙をぬぐい、唇を強く噛みしめても漏れる嗚咽に、ヨハンの心がわしづかまれるように痛む。


「ミリア」

「ううっ」

「ごめん。ごめんな」

「うーっ……!」


ミリアの震える身体を抱き寄せ、背を撫でる。くすんと鼻がなるたびに痙攣する背が、ヨハンの服に染み込む涙が、すり寄る身体が。ミリアのすべてを愛おしく感じていた。


「よは、ん」

「ん。なに?」


ようやく落ち着いたのか、かすれがちな声が腕の中から聞こえてくる。


「あの子……だれ……?」

「知らない子だよ。俺の名前を大声で呼ぼうとしたから口止めしただけ。ミリアが心配するようなことは何もない」


そろそろとミリアが顔を上げる。涙に濡れた翡翠の瞳が月明かりに光った。


「ほんと……?」

「ああ。俺が嘘ついたことなんてあったか?」

「……何回も」

「…………それは置いといてだな」

「ふふっ……ばかヨハン」


ようやく笑みを浮かべてくれたミリアを、きつく抱きしめなおす。伝わる鼓動が大きく、早くなっていく。


「馬鹿とはなんだ馬鹿とは。俺が首席で卒業したの知ってるくせに」

「そういう意味じゃないけど」

「じゃあ何だよ」

「んー……自分がどれだけモテるか自覚してないとことか?」

「……悪かったって……けどお前だってエドと手繋いでたじゃないかよ、俺というものがありながら!」

「なっ! 袖掴んでただけでしょ? 誰かさんみたいにはぐれるといけないから!」

「ぐっ…………」

「私がいつもどれだけ心配してるか、知らないくせに……ばか」


口をとがらせ、そらされたミリアの顔を、ヨハンは無理やり正位置に戻す。丸くなる翡翠の瞳はほんのりと光り、夜闇を背景にヨハンの真剣な表情を映しこんだ。


「涙……痕になってる……」

「んっ」


とがらせた舌で頬をなめると、ミリアの身体が大きく震えた。下ろされた瞼までふるふると震えている。そのまま痕をきれいになめとっていくたび、ヨハンの腕の中でその細い身体は敏感に跳ねる。


「なあ……今から」

「そこまでにしておけ、絶倫ども」


背後からかけられた低い言葉に、互いに突き飛ばすようにして体を離す。先ほどまでとは違う意味で大きく打ち鳴らされた心臓を服の上から押さえつつ声のほうを向くと、一組の男女が立っていた。女性のほう――香鈴は顔を赤くして居心地悪そうに、男性のほう――エドは苦虫でも噛み潰したかのような顔でこちらを睨んでいる。見られていた事実に耳まで真っ赤にしたミリアを横目に立ち上がったヨハンは、ちっと舌打った。


「邪魔してくれてどーも」

「いちゃつくなとは言わんが時と場所を考えろ。今は正月、ここは寺だ。そういうことは宿に帰ってから存分にやれ」

「…………!」


オブラートに包まないエドの言葉に、ミリアが真っ赤な顔のまま俯く。そんな様子に気付くこともなくヨハンと睨みあっているエドを咎めるように、傍らの香鈴がグレーの髪をぺちんと一回はたいた。


「エドくん! 女の子の前でそういうこと言わないの! ごめんねぇエドくんてばプロのくせにデリカシーなくて」

「プロは関係ないだろうが」


エドの小さな反論などお構いなしに、香鈴が未だ土に座りこんでいたミリアの横にしゃがみ、にっこり微笑む。それにゆっくりと顔を上げたミリアの腕をつかむと、勢いよく上に引き上げ、立たせる。そして申し訳なさそうに目じりを下げた。


「さっきはごめんね、誤解させちゃったみたいで……ヨハンくんとは何もないから! 私のパートナーはエドくんだけだもん!」

「あの……貴方は……?」


状況理解が追い付いてない様子のミリアに再び邪気のない笑顔を浮かべると、香鈴はミルキーブルーのミトンに包まれた両手を後ろに回し、胸を張って言った。


「自己紹介遅れてごめんね、香鈴って言います! エドくんのパートナーやってます!」

「昔の話だがな」


誇らしげに言った香鈴の頭に手刀が落ちる。香鈴は犯人である自称パートナーを恨めしげに一睨みした。しかしそのパートナーの耳が薄く朱に染まっていることを確認すると、ひどく嬉しそうに続けた。


「学生時代はデュエルのパートナーだったんだけど……今は人生のパートナーでっす!」

「はっ?」


ヨハンとミリアの瞳が一様に丸くなり、エドの口元が引きつった。爆弾発言をした当の本人は恥ずかしそうに頬を両手で押さえている。


「きゃー言っちゃったー」

「馬鹿! そういうことを言うとこいつは……!」

「え、エド結婚してたのかっ?」

「違う!」


噛みつくような勢いで尋ねるヨハンを、エドが短い一言で叩き落とす。ミリアはというと、何が何だか理解できずに目線をうろつかせていた。


「えーエドくんひどい! 私にあんなことしておいて……!」


よよよ、と芝居じみた様子で目元を押さえる香鈴に、ヨハンがじとりとエドを見る。普段のポーカーフェイスを崩したエドは頬を赤くしながら香鈴を睨んだ。


「こいつらの国で言うパートナーは、主に結婚相手を指すんだ! 少しは学べ!」

「え。ってことは今私……えっ?」


ようやく己の失言に気付いたらしい香鈴がふと真顔になり、すぐさま恥ずかしそうに俯いた。再びヨハンがエドをねめつけるように睨む。


「いい加減にその顔をやめろヨハン! ミリア先輩も、正気に戻ってください」

「おい、なんでミリアには敬語で俺はタメなんだよ。しかも呼び捨て」

「失礼、行く先々で事件を起こすトラブルメーカーに敬称は必要ないかと思ってね」

「おいおいひどい言われようだなあ……一応お前と同じプロなんだけど」

「香鈴はただの恋人だ」

「無視か、ってかよくそういうこと真顔で言えるな……彼女真っ赤だぞ?」


エドの躊躇の一切ない言葉に耳まで真っ赤になってしまった香鈴を見やり、呆れたようヨハンは言った。それに対しエドは分かりやすく顔をしかめた。

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