ある日の昼過ぎ。十代がまた引き運の良さを披露した。
遊菜はその光景に、あんぐりと口を開ける。
商店街の福引き。 十代が回して転がり出たのは、特賞を示す金色の玉。
呆然と眺める遊菜の耳に、その音は響いた。
「特賞・老舗旅館団体招待券!大当たり〜!!!」
* * *
という訳で、遊菜ご一行は老舗旅館にやって来た。
十代が誘ったのは、ヨハンとジム。遊菜は砂夜子と藤原と遊星を誘っている。
遊菜は完全に趣味で選んでいるのがバレバレだろう。 藤原は温泉に釣られ、遊星は遊菜の誘いを断りきれずに連れてこられたのであった。
老舗旅館と言えども、何度か改築をしているようで、えらく綺麗だ。
「私が着いてきて良かったのか?」
急激に場違いに感じた砂夜子が、遊菜の横顔を見上げる。遊菜はそんな砂夜子の方を向き、ニコリと笑った。
「いいんだよ。私は砂夜子ちゃんと来たかったの。それに、団体招待券だしね!勿体無いでしょ?」
砂夜子の気を楽にさせるために言った遊菜の言葉に、彼女は軽く感動を覚え、無言で遊菜に抱き着く。一瞬驚いた様子の遊菜だったが、まるでそれに便乗するように藤原に抱き着いた。
「離れろ」
ドスの効いた藤原の忠告に、耳も傾けず遊菜は腕に力を込める。砂夜子も遊菜に合わせて力を込めた。
「聞けよ!」
顔を赤くして怒る藤原には、説得力の欠片もなかった。
* * *
「お風呂ー!」
女子風呂では遊菜と砂夜子が広い露天風呂を占拠している。
どれだけ腕や足を伸ばしてもどこにもぶつからないということにテンションを上げた遊菜は、悠々自適に身体を伸ばしていた。砂夜子はその様子を見ながらそっと微笑む。
元々一緒にお風呂に入ることが多かった二人は、やはり何の恥じらいもない。
「あー……、遊星と優介先輩が隣にいるのかー」
「……覗くなよ?」
「エ?ナンノコトカナ?ソンナコトシナイヨ?」
「する気満々だったのかバカめ」
砂夜子の辛辣なつっこみに遊菜は唇を尖らせる。大抵の遊菜の行動を微笑ましく見守る砂夜子でも、遊菜の変態行動は止めるようだ。
「んじゃ、上がったら襲いに行く」
「そうしろ」
案外簡単に下りた許可に遊菜は歓喜し、ばんざいをする。その所為で目立つ胸部にちらりと視線をやる砂夜子は、小さく舌打ちを漏らした。
* * *
「優介せんぱーい!」
遊菜は用意されていた浴衣姿で藤原の部屋に突撃した。見ると、同室だった十代はいないようだ。
いきなり表れた仇敵に、藤原は眉を潜める。
「なんだよ…」
「やだー!そんなに睨まないで下さいよー!」
「…………」
一人でキャッキャと跳び跳ねる遊菜に、藤原は自分の胃が痛くなるのを感じた。
遊菜はそのままの笑顔で藤原に近付く。近付かれた藤原は、持っていた本に栞を挟み枕の横に置くと、じりじりと後ずさった。
「逃げないで下さいよー」
「断る!」
「そんなー!傷付きますよー」
然して傷付いた様子もない遊菜は、近付く足を止めない。危機を感じた藤原は、ちらりと後ろを見る。そこには既に壁が。
逃げられない。
そう確信した藤原は、拒否反応を起こす身体に鞭を打ち、腕を伸ばした。
「へあっ!?」
そんな素っ頓狂な声を上げた遊菜の身体が、傾いていく。そして、その背中は老舗ならではの高級な敷き布団に倒れた。
藤原が布団に押し倒したのだ。
少し違うが、窮鼠、猫を咬むといったところだろう。変態に追い詰められたことにより発動した最終手段だ。
「いい加減にしろよ」
低く囁くように藤原が言えば、遊菜は口を閉ざし、困惑したように眉尻を下げた。
遊菜は常に襲う側だったので、襲われることに耐性が無いのだろう。少し頬を染め、視線を泳がせている。
「いい眺めだな」
扇情的に口角を上げた藤原は、遊菜の首元に顔を埋める。遊菜の爪先がビクンッ と跳ねた。
え?え?優介先輩?どうしちゃったの?だれおま? と、遊菜の脳内はパニック状態である。パニック状態の遊菜は、これが旅館マジックか… 等という、まったく根拠もないことまで考え始めていた。
旅館マジックとはつまり、見知らぬ所に泊まるという行為が人間に与えるキャラ崩壊現象だ(遊菜談)。
「優介……先輩……?」
「うるさい。煩わしい」
きっぱりと言い切ったその声がまた遊菜を擽る。それを我慢するためか、遊菜は下唇を噛み締め、敷き布団のシーツを握った。
「い……ゃぁ………」
「何やってんだよバカ」
遊菜がやっと出した拒絶の言葉に被って聞こえた声に、藤原は顔を上げる。
見ると、部屋の入り口に完全にドン引きしている十代が立っていた。 藤原の顔からはドンドンと血の気が引いていく。
「遊菜……?」
藤原の下で身を固めていた遊菜は、傍まで寄ってきた十代に視線を向けた。そして、その口が動く。
「助けて……!!」
「どの口がほざいてんだバカ」
「あいたっ!!!」
幼馴染みからの救助要請を断った十代は、その額を弾く。
遊菜は弾かれた額に手を当てうっすらと涙を浮かべた。唇は一文字に結ばれている。
「どうせお前が襲いに来たんだろうがバカ」
「ひどい!なんで分かるの!」
「分かるだろバカ」
「バカって言い過ぎだよね!?」
「バカだろ」
「ずっと補習してる人に言われたくありませーん」
「食って掛かる時点でバカだ」
「十代だって食って掛かってんじゃん!!」
「うるさいバカ変態」
「変態関係無くないか!?」
「いや、今一番関係あるだろ!!男子部屋入ってきたやつがよく言えるな!!」
「おうふ!耳が痛い!」
突然始まった口喧嘩に、藤原は謝る気も失せて、布団に潜った。
* * *
「隣うるさいなー」
ヨハンは、そう苦笑を漏らす。何となく察しているようだ。
「いつものことだろう」
ヨハンとジム、遊星の部屋には砂夜子が遊びに来ていた。遊菜を待つために部屋にいようとも思ったが、一人でいるのも何だったので、この三人の部屋に訪れたのだ。
そんな砂夜子は、遊菜のことを自慢気に話すヨハンに視線を投げ掛けた。
「思ったが、ヨハンは遊菜が好きなんだよな?」
「え?あ、ああ。そうだけど」
砂夜子はじーっとヨハンを見据え、口を開く。
「いつ好きになったのだ?」
唐突に始まった恋バナに、男子連中は吹き出す。あの遊星さえ吹き出していた。
「ごほっ!!い、いつって……!!ごほっごほっ!」
噎せ返るヨハンは、目尻に涙を浮かべながら質問に答える。
「はーぁ……やば……。えっとな、いつって言うと………んー……と。……俺、一目惚れなんだよな」
「Oh!俺もだ!」
お互いに一目惚れなんだと気付いたヨハンとジムは、がしりと手を握りあう。変なところで意気投合する二人だ。
「なんか、転校初日に遊菜とすれ違ってさ、なんか……キたんだよな。こう………ビビってさ」
「me to!」
「……ビビっと………。そういうものなのか?」
思案した砂夜子は、なぜか遊星に首を巡らせる。遊星は静かに首を振り、自分も分からないという旨を伝えた。それを確認した砂夜子は小さく頷き、また二人に向き直る。
「恋とかってのは、そういう曖昧なものでいいと思うんだよ。そりゃあ、それが愛になったら別だけどなー」
珍しくまともなことを言ったヨハンに、砂夜子は素直に驚く。ジムは同意の意を込めた頷きを繰り返した。遊星も真面目に聞いているようだ。流石は思春期の少年少女。恋バナには熱心である。
「疲れたー!」
ヨハンがまた何かを言おうとした瞬間に、部屋の扉は開いた。
そこから顔を覗かせるのは遊菜だ。
ヨハンは意気揚々と動かしていた口を閉ざす。流石にヨハンでも、好きな子に自らの恋愛理論を聞かせたくはないらしい。
「え?え?何か大切な話だった?」
「遊菜、聞いてやるな」
「うえ?な、なんかごめん」
砂夜子にきっぱりと言われた遊菜は、訳もわからず謝罪を口にする。それを聞いたヨハンは、クスリ と笑って遊菜を部屋に招き入れた。
手招きされた遊菜は迷うこともせず、遊星の膝の上に座る。遊星は特に何も思わないのか無反応だ。ヨハンは小さく拳を作った。
その様子を見ていたジムは両手を広げて砂夜子に言う。
「come on!砂夜子!」
「………結構だ」
便乗には失敗した。砂夜子は然して興味無さそうにジムを見やる。当のジムは少しばかり落ち込んだのか頭を垂れた。
「ジムなんかに砂夜子ちゃんはなびきませーん!」
からかうように言った遊菜の言葉に、砂夜子は拳を掌に置く。そして、ヨハンの肩に手をおき、今日一の微笑みを湛えた。
「ヨハンなんかに遊菜はなびかない」
「ひどい!」
砂夜子の辛辣なる言葉にヨハンも頭を垂れる。遊菜はその様子に口を挟むことはせず、カラカラと笑った。
「さぁ、二人は放っておいて、三人でマジカルバナナでもするかー」
遊菜は言い、遊星の膝の上をどく。「負けたら罰ゲームね!」とウインクする遊菜に、遊星はこくりと頷いた。
「ほらおいで、砂夜子ちゃん!」
呼ばれた砂夜子は遊菜の隣に座って、肩を寄せる。そうして、問答無用でマジカルバナナが始まった。
旅館の夜は長い。