鮮やかに星が瞬く夜空の下、感覚がなくなりはじめた指先を擦り合わせながら、ミリアは恨めしそうにぼそりと呟いた。白い息とともに吐き出された文句に答える人はいない。いや、つい十分前まではいた、が正しいか。
アカデミアを卒業した次の冬。ミリアとその恋人であるヨハン=アンデルセンは、お互いの休暇を出来る限り合わせて、ともに過ごそうと約束していた。しかし、かたや小さな孤児院の職員、かたや世界で活躍するプロデュエリストともなればもらえる休みなど限られてくるのが現実である。結果、お互いの休みがかち合ったのは今日と明日、大みそかから元旦にかけての二日間だけだったのだ。ヨハンは普段、雇い主である海馬コーポレーションの命を受けて世界各国のプロリーグを巡っており、滅多にミリアと会うことは出来ない。だからこそこの二日間は最高のものにしようと、言葉にせずともお互いに考えていた。けれど。


(初詣に来て数分で消えるってどういうことよ、ああもうっ!)


苛立ちを払うように、じゃり、と足元に敷かれた小石を踏みしめるとミリアはここにきて何度目かのため息をついた。
そう、ミリアの考えが甘かった。せっかくだから日本で初詣に行こうと決めたまではよかった。ミリアもヨハンも日本文化が大好きであったし、留学中はそれどころではなかったからだ。お互いの仕事を終えてすぐに飛行機に乗り、予定通り大みそかの夜に日本に着くことが出来た。そのまま空港近くの一番大きなお寺に向かい、すべて予定通りに順調に進んでいると笑みをこぼして隣を見たミリアの顔が蒼白になるのに時間はかからなかった。慌てて周りを見回した時には遅く、つい先ほどまでミリアの隣で屋台の列をはしゃいで眺めていたはずの恋人の姿は忽然と消えていた。
ヨハンの方向音痴の恐ろしさは誰よりも分かっていたはずだったが、離れさえしなければ大丈夫だと、今までの経験からミリアはたかをくくっていた。しかし、この人ごみは誤算であった。結果、ミリアは今、人が少ない暗がりの木に背を預け、一人で年明けを待っている状態になってしまったのである。


(ケータイはこの人ごみのせいで繋がんないし、全然姿も見えないし……あ、除夜の鐘、鳴りはじめちゃった……)


一緒に聴こう、と楽しみにしていた日本文化のひとつが無情にも響き始める。ごおん、ごおんと重くミリアの鼓膜を揺らす音は酷なほど荘厳で美しくて。


「……ばかヨハン」


掠れるような声で呟くと、ミリアはそっと身体から力を抜く。ずりずりと木の幹に沿って腰を落とし、ついには木の根元に座り込んだ。白いコートが土で汚れるのも気にせず、そのまま両腕で膝を抱えて顔をうずめる。


(久しぶりに会えたのに。電話じゃない、本当のヨハンに会えて、話せて、笑って、……嬉しかったのに。どうしてこうなるの?)


ほんの少し前までの時間、寒さに二人して頬を押さえながら肩を並べ歩いた時の高揚した気分を思い出すほど、目頭が熱くなる。いっそ大声をあげて泣けば気付いてくれるだろうか、とミリアが自棄ぎみに考えた瞬間、どこか聞き覚えのある声が上から降ってきた。


「すみません、そこの方……大丈夫ですか? 具合が悪いようでしたら人を呼んできますが……」


低く、それでいて澄んだ声。涙を拭うのも忘れてばっと顔をあげると、予想通りの見知った、精悍な顔立ちの青年がそこにいた。相手もミリアに気付いたのか、透き通ったネイビーブルーの瞳を丸くする。


「ミリア先輩? どうして……」


そこで言葉が不自然に切れる。青年は困ったように目じりを下げ、自身のスーツのポケットから薄手の白いハンカチを取り出すと、ミリアへそっと差し出した。


「頬が濡れていますよ」


微笑みに促され、ミリアは素直にそのハンカチを受け取り、涙を拭う。それを誤魔化すように笑みを作り、ミリアは青年の名前を確かめるように呼んだ。


「ありがとうございます。……エドさん」


エド=フェニックス。ヨハン同様プロリーグで活躍するプロデュエリストの一人だ。ミリアやヨハンとは、過去、デュエルアカデミア本校に彼が所属していたころにミリアらが留学していたことで少なからず面識がある。


「いいえ。先ほどまで雨でも降っていたんでしょうかね?」


爽やかに笑うエドに、ミリアは内心苦笑する。


(大人びた顔つきになってはいるけど……変わっていない。この笑みの下で何を考えているか、底が知れないところも)


「これは洗って後日返しますから……ところで、エドさんはどうしてこちらに?」


ミリアが借りたハンカチをハンドバッグに仕舞い込みながら尋ねると、エドは口元をゆがめた。そして心底疲れたように額に手を当てて、吐き出すように答える。


「……冬季休暇を利用して初詣に来ていたんですが、連れとはぐれてしまって……」


苛立ちを隠せないように整った顔をしかめていくエドに、ミリアが一瞬目を見開き、口元をほころばせる。


「偶然ですね。私もそうなんです」

「先輩も? ……ということは……あいつか……」


全てを理解した、と言わんばかりにエドが大きく息をつく。


「大変ですね、お互い」

「ええ……慣れてはいるんですけど、さすがに今日だけはやめてほしかったです」


苦笑しあうと、エドが再びミリアへと手を差し出した。


「……? あの」


意図がつかめず、差し出された手とエドの顔を交互に見るミリアに、エドは困ったように笑って首をかしげた。


「そんなところにしゃがんだままでは、コートが汚れてしまいますよ」

「あっ! は、はい!」


言葉にされてようやく気付いたミリアは、慌ててエドの手を取り立ち上がった。そして素早くその手を離し、ぱたぱたと腰のあたりをはたく。目立った汚れがないことを確認すると、ミリアは頬をほんのりと赤く染めて俯き、聞こえるか聞こえないかくらいの小声で言った。


「ありがとう……ございます……」

「相変わらずなんですね、そういうところ」

「えっ」


呆れたニュアンスを含んだエドの声にミリアが顔をあげると、やはりエドは呆れ顔をしていた。


「アカデミアに来ていたころもそうだったじゃないですか。内向的というか、内弁慶というか。ヨハンや十代以外の生徒とまともに話しているのを僕は見たことがありません」


いきなり数年前の話を持ち出してきたエドに、不意を突かれたミリアはよく考えずに思ったままを反論した。


「そ、それはエドさんがお仕事であまりアカデミアに来ていなかったからで」

「じゃあ教えてください。ヨハンと十代以外に貴方が素を出すことが出来た生徒の名を」


じとりとしたエドの視線に、最初こそ答えようと記憶を探って、あー、だの、うー、だの言葉にならない呻き声をあげていたミリアだったが、一分も経たないうちに黙りこくって俯いてしまった。ふっとエドが口元を緩め、目じりを下げてミリアを見下ろす。


「では、貴方の困ったナイト様を探しに行きましょうか」


肩までかかるダークグリーンの髪を揺らして勢いよく上げられたミリアの顔は最初戸惑いに染まっていたが、言葉の意味を脳で反芻していくとともに、ひどく嬉しそうにはにかんだ。


「はいっ」


寒さのせいか耳を赤らめて人ごみへと足を向けたエドの後姿に、ミリアが小走りで追いつく。ごおん、と何回目だか分からなくなった鐘の音が消えるころ、二人の姿も人の波に飲まれて隠れてしまった。

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