※砂夜子INマーブル


 強い日差しがアスファルトに照り付ける午後、遊菜と十代は汗を滴ながら歩いていた。
すっかり夏模様の空からから差す光はジリジリと焼け付くように熱い。
遊菜は額から滑り落ちる汗を手の甲で拭い、空を見上げた。

「あつい……」

「暑いな……」

呟いた遊菜に、十代も同調する。
十代は制服の襟元を掴み、パタパタと手で仰ぐ。隣を歩く遊菜はその姿をじっと見つめて生唾を飲んだ。

「ごくり……」

「おい、なんだその目。おい」

「なんでもないなんでもない。気にしないでボタン外しちゃいなよ」

「…………ん?」

ごとごとと靴を引きずるようにして歩くふたりの前に、1匹の猫が通り過ぎた。

「猫だ…………追っかけてみよう」

「あ!……おい、待てって!」

人通りの多い道の真ん中を横切る猫はふたりの興味を引くのに十分で、遊菜は猫のあとを追って駆け出した。十代も少し遅れて走り出す。

猫は裏路地の中に入り込む。
遊菜と十代も裏路地に入り込んだ。ふたりの目の前にあったのは……

「ひ、人だ……人が倒れてる!」

「救急車呼ばないと……ッ」

自分たちと同じくらいの背格好の人間だった。
うつ伏せに倒れ、ぐったりとしている。その周りを先ほどの猫を始め、数匹の猫たちが取り囲んでは鳴き声を上げていた。猫たちは心配げにその人物の髪や服に額を擦り付けている。遊菜は駆け寄り、猫を押しのけた。

「あの、大丈夫ですか!? きゅ、救急車呼びましょうか!? 十代、救急車……って遊ぶな!」

「んあ、わ、わりい! 携帯携帯……」

目の前で倒れる病人を放ったらかしにして猫と遊ぶ十代を一喝し、遊菜は視線を落とした。
黒い髪と、それを彩る緑のリボン、すぐそばに転がる地球儀。
非常に見覚えのある出で立ちだった。

「……砂夜子ちゃん!?」

遊菜は叫ぶ。それに反応したのか、目の前で倒れ伏せていた少女……砂夜子がピクリと動いた。
肘を支えに僅かに上体を起こし、遊菜を見た。翡翠色の瞳は衰弱の色を浮かべている。

「……ゆ……な……助け……」

「え? え、砂夜子ちゃん!? 砂夜子ちゃん!!」

途切れ途切れに言葉を漏らし、力尽きたように目を閉じた砂夜子。
がくりと力が抜けた体を遊菜は受け止め、砂夜子の名を呼んだ。


* * *


 「やー、よかったよかった。 大事に至らなくて!」

「うむ……済まないな。助かった」

砂夜子は水の入ったペットボトルを指先で弄りながら遊菜に頭を下げた。
遊菜は笑顔で小さく手を振る。

「どういたしまして!」

その後、遊菜たちは気を失った砂夜子を背負い、急いで自宅に滑り込んだ。
冷房の効いた部屋のソファに砂夜子を寝かせ少しすると、砂夜子は目を覚ました。
落ち着いていたその様子から、ペットボトルのミネラルをーターを渡して話を聞いてみることにしたのだ。

結論から言うと、砂夜子は夏バテによる衰弱だった。
数日間あまり食事を取らず、睡眠も疎かだった。溜まっていく疲労をそのままに生活していたら、ついにぶっ倒れたのだった。
衰弱し、人目につかないところで動けなくなっていたところをふたりに発見され、介抱されたというわけである。

「しかし、なんであんなところ居たんだよ。普通もっと人前で倒れるだろ」

「倒れること前提かよ。でも、そうだよ。何で裏路地なんて人気のないところにいたの? 猫が通りかからなかったら私たち気が付かなかったよ」

ソファの隣に腰掛けていた遊菜と、向かいのソファに座る十代が砂夜子に詰め寄る。
砂夜子は無機質な表情をそのままに、飲み口を下にしたペットボトルを人差し指の上に乗せながら口を開いた。

「……河童を探していた」

「……は?」

十代が首を傾げ、遊菜がぽかんと口を開ける。

「だから河童を探していたのだ」

「……ええええええ」

十代が声を上げた。呆れたような、大げさに言えばドン引きしているようなその声に砂夜子がむっと眉を寄せる。

「貴様、河童を馬鹿にするのか。河童は凄いんだぞ、水の中を魚より早く泳ぎ、秀でた体術を用いて自分より何倍も大きな生き物を投げ飛ばせる。その上義理堅いのだ。あと可愛い」

「いや、そういうことを言ってるんじゃなくてな……?」

力説する砂夜子を前に十代が狼狽える。その様子を見ていた遊菜が口を挟む。

「そうだよ河童かわいいよ! 見たことないけど!」

「だから! 凄いと可愛いとかそういう問題じゃねえんだよ! 何であんな街のど真ん中で河童なんだよ! クゥだってもっと自重するわ! 普通もっとこう、人っぽいやつだろう! 小さいおじさんとか!」

「十代のチョイスもどうかと思う」

「とにかく!」

十代がテーブルに置いてあった麦茶を一気に仰ぐ。勢いよくコップを置いて、砂夜子を見た。砂夜子は少しだけ佇まいを正す。

「何でそんなもん探してたんだ?」

「……それはだな」

砂夜子がどこからともなく一冊の雑誌を取り出した。遊菜は雑誌をどこから取り出したのが気になったが、あえて何も言わなかった。

「これだ!」

ばばーん! という砂夜子のアナログなSEと共に開かれたページ、そこにはデカデカと『怪奇! 某都市某所、街中に河童出現!?』と書かれていた。
なんともチープな記事である。緑色の影が人ごみの中を走り去る写真が掲載されていた。その影も、滅茶苦茶にブレている。正直、走る人間に見えた。普通に。
……胡散臭い。実に、胡散臭い。
そしてこの影……というか人影に、遊菜と十代は見覚えがあった。だが、何だったかは思い出せずにいた。モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、ふたりは砂夜子の話に耳を傾ける。

「この本によればあそこで待っていればこの河童が現れるそうなのだ。だから私は河童に会いたくてあそこで待っていた」

砂夜子が胸を張る。遊菜が苦笑いした。

「どうして河童に会いたいと思ったの?」

「うむ。ひとこと言いたかったのだ。お互い頑張ろう、と。労ってやれば、河童も人間との共存による疲れが少しは無くなるかと」

「うう……いい話だなあ!」

「思ってないこと言うなよ」

「お、思ってるよ!」

十代が腕を組みながら砂夜子を見る。
そう言えば、彼女は宇宙人だった。宇宙人も河童も、同じ未確認生物というオカルト的存在だ。ある種の仲間である。同類として、労ってやりたかった彼女の気持ちを十代はなんとなく組みとった。
うん、宇宙人がアリなら河童もアリだ。多分。

「そうだよな……そういえば、お前も似たようなもんだったよな、河童と」

「わかってくれたか」

「砂夜子ちゃん……」

表情を柔らかくした砂夜子に安堵し、ほっと息をついた遊菜が砂夜子の肩に触れる。
その時、砂夜子が肩を震わせた。

「……寒い」

小さく呟かれた言葉に、遊菜が素早く反応した。

「あ! ごめん寒かった? 今冷房止めるね」

リモコンに手を伸ばし、エアコンのスイッチを切る。しかし……

「……暑い」

砂夜子が今度は暑いと言い出した。十代が呆れたようにため息を付く。

「お前めんどくさいなあ!」

「まあまあ! 冷房の温度調節すればいい話だから」

十代を落ち着かせ、遊菜が再び冷房のスイッチを入れた。
しばらくすれば、また部屋は涼しくなる。それと同時に、砂夜子がそわそわと脚をすり合わせ始めた。
そして……

「わわわ!?」

「おわ!? 砂夜子!?」

砂夜子がぴったりと遊菜に寄り添った。こめかみの辺りを遊菜の肩に乗せ、目を閉じながら言う。

「……こうすると、ちょうどいい」

「そ、そっか! よかった、うん」

戸惑い気味に遊菜が答えた。突然のことに驚いているものの、冷静に努めようとしていた。だが、面白くないのが十代である。
十代は目の前の光景が受け入れられないのか、矢継ぎ早に言葉を繰り出した。

「ちょちょちょ、ちょっと待てって! 砂夜子、寒いのはわかったけど、わざわざ遊菜にくっつくことは無いんじゃないのか!? 寒いなら室温上げればいいんだし! なんなら毛布持ってきてやろうか! こないだヨハンが泊まりに来たとき貸したやつだけど! 洗濯してないけどそれでよければ!」

「いい、必要ない」

ぎゅうう、と砂夜子が遊菜にさらにくっ付く。
十代は目を回す勢いでさらに言い募る。立ち上がって身振り手振り話すその姿は暑苦しい。

「いやいや、でもさ! ほら、な!? なんて言ったらいいかわかんねえけど、そうやってるお前見てると俺のこの辺がこう、ぎゅうっとなるというか! 多分だけど、お前が大人しく毛布かぶってくれたらきっと解決すると思うんだなこれが!」

十代が自分の胸ぐらを掴み、言う。
それに対し、砂夜子は至極冷静に言い放った。

「なんだ、嫉妬か。若いな、青少年」

「んな!?」

「へ? 嫉妬って、誰が誰に」

状況をよく理解していない遊菜が首をかしげるも、答えるものは居なかった。
十代は空気が抜けたように、脱力した。

「……おれ、何言ってるんだろう。なんか恥ずかしい……」

項垂れて、テーブルに“のの字”を書き始めた十代に、遊菜が声をかける。

「よくわからないけど、元気だしなよ十代! 大丈夫。私、砂夜子ちゃんと十代の間を邪魔する気はないから!」

そういうことじゃないんだよお……。
ぷすーっと風船の空気が抜けるように、十代もぐったりとソファに沈んだ。
それを見て、遊菜はくすりと笑う。いつの間にか状況を理解したらしい。

「うそうそ、わかってるよ。私は十代のことが大事だから」

へへっと照れ笑い。
十代は近くにあったクッションを抱きしめ、ソファに転がった。

「……めんどくさいな、お前。でも、よかったな」

砂夜子の声は、誰にも届かなかった。


* * *


 「………まじかよ」

時刻は19時と少しを過ぎたところ。
自宅のすぐ近くにあるコンビニで、ヨハンは立ち読みをしていた。
薄暗い空に、故郷の終を迎える白夜をほんの少しだけ重ね、目を細める。
そして、手元に視線を落として呟いた。
『怪奇! 某都市某所、街中に河童出現!?』
その記事に掲載された写真に写る人影、それはとても見覚えがあった。
なぜなら。

「……これ、俺じゃね?」

父さん母さん、俺、いつの間にか人間卒業してたよ。
両親に向けられた言葉。心の中で消えていくその言葉は、誰にも見つかることない。

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