「遊菜の誕生日のプレゼント?」
とある喫茶店、窓際の席に腰掛けて、運ばれてきた紅茶に砂糖を大量に入れながら砂夜子は復唱した。
向かいの席でアイスコーヒー飲むジムが笑顔で頷いた。すらりと長い指先が、汗をかいたグラスを撫でる。初めて見る茶色の液体に微かに興味を惹かれつつも、砂夜子は自分の前に用意されたチョコレートケーキに手を伸ばした。
「Yes! sandnightgirlは一体どんなsurpriseをするんだい?」
「普通に呼べ、はっ倒すぞ」
「Sorry」
ジムは適当に謝罪の言葉を述べると、またグラスで指先を濡らす。
砂夜子は鞄から取り出した一冊の本を開きながら、彼の骨ばった指を観察した。
そもそも砂夜子はひとりで読書をするつもりで喫茶店を訪れた。
そこにジムがふらりと現れた。曰く“偶然”だそうだ。別の席に座ろうとしたところ、『ケーキセットをご馳走する』とのことで、断ることができずにこうして同席することになったのだった。
「それで、先程の話だが」
「Oh! そうだった。明日は遊菜の誕生日だが、君も何か贈るんだろう?」
花村遊菜の誕生日。それはもうすぐそこまで迫っていた。
そろそろ祝いの贈り物を決めないと間に合わない。そんなところまで迫っていたのだ。そう、遊菜の誕生日は翌日である。
だが、砂夜子は贈り物を決められず、悩んでいたのだった。
「……それが、まだ決まっていないのだ。正直、何を贈っていいかわからない」
今日だって、朝からずっと悩んでいたのだ。悩みすぎて疲れたから、こうして休憩しようと本を持って喫茶店を訪れたのに。だのに、この無駄に背の高くて無駄に紳士な男に捕まってしまった。……ケーキセットはありがたく頂くが。
「意外だなあ。君のことだからもうとっくに決めたのかと思ったよ」
「……わからないのだ。私自身、生誕祝いをされたことがない。それなのに地球人が一体どんな祝いの品を喜ぶかなど、尚更知るわけないだろう」
「Wow……。それもそうだな」
うーん……とジムは眉間に皺を寄せる。
まるで自分のことのように必死に考えるその姿を見て、砂夜子はどこかむず痒い気分になった。きっと彼は今、自分のために悩んでいる。手伝おうとしてくれている。
その気持ちを、しっかりと受け止めなくてはならない。
せめてものお礼の気持ちを込め、一口分に切り分けたケーキをフォークに乗せてジムの口元に少々乱暴に押し付けた。
* * *
「遊菜が喜ぶもの、ねえ……」
「すまない、教えて欲しいのだ」
喫茶店を出た砂夜子は、ジムと共に十代の元を訪れた。もちろん、遊菜がいない僅かな時間を見計らって。
十代もジムと同じように一瞬だけ意外そうに目を丸くしたが、すぐに考えこむ仕草をする。それも、ジムと同じだった。
「うーん、別になんでもいいんじゃないか? お前がやるものだったら喜ぶだろう。潰れたカエルとかでっかい蜘蛛とかじゃなければ」
「I think so too! 俺も、君の気持ち次第だと思うね」
十代とジムの言葉に、砂夜子は小さく頷いた。
「わかった。もう少し自分で考えてみるよ。ありがとう」
「おう、どういたしまして」
砂夜子は小さく十代に手を振ると、背中を向けた。
もうすぐ遊菜がやってくる。その前に十代の前からいなくならないといけない。
慌ててついてきたジムの服の袖を引っ張り、手を振り返す十代の元を後にした。
十代の元を去り、ふたりは近くのショッピングモールにやってきた。
沢山の人ごみのなか、すいすいと先を行く砂夜子の後をジムは必死で追う。
誰ともぶつからず、また足音も立てず進んでいくその姿はまるで忍者のようだったと、後にジムは語る。
あれでもない、これでもない。
アクセサリーショップ、雑貨屋、洋服、靴屋、菓子店。様々な店を回ってみたが、結局砂夜子は選べなかった。休憩用のベンチに腰掛け、ため息を付く。
「Don't mind! まだ時間はある。ゆっくり探そう。俺も手伝うぜ」
隣に座ったジムが、ごく自然に肩に手を置いた。それをさっと払い除け、再びため息を付く。
「はあ……私は遊菜のことを何も知らなかった。遊菜が何をもらったら嬉しいか、わからない……友達なのに」
「Oh…………」
複雑な顔でジムが声を漏らした。
何と声をかけようか。払い除けられた自分の手も気になるが、それよりも先にだいぶ落ち込んでしまった砂夜子をどうにか元気づけてやらなかればならない。
ここで何か格好良いことを言えば、砂夜子は自分との距離を詰めてくれるだろうか……。ジムは考える。
「砂夜子……」
「決めた」
ジムの言葉を遮り、砂夜子が立ち上がった。
疲れた様子をどこかに追いやった、凛とした立ち姿をジムは見上げた。
「手伝ってくれてありがとう。後は自分で探す」
黒い髪を軽く手で後ろに払って流し、砂夜子はジムを見下ろした。
ポカンと口を開けたまま動けないジムをそのままに、さっさと歩き出す。
「ま、待ってくれ! 砂夜子!」
はっと我に返ったジムは咄嗟に砂夜子を呼び止めようと立ち上がった。
だが、もう砂夜子の姿は人ごみの中に消えていた。
* * *
ジムと別れた砂夜子は、ショッピングモールを出て、近くの路地にいた。
ふらふらと野良猫の後ろをついて歩く。ひとりで探すと言ったはいいものの、結局どうしていいかわからないのだ。こうなっては後は野生のなんとやらだ。
野良猫に行方を託すことにしてみる。探し物も、野良猫目線でのんびり見上げて探したほうが案外見つかるかもしれない。
「……ここに出るのか」
猫の後をついていくこと数十分。
すっかり人気の少なくなった路地に、猫と砂夜子は行き着いた。猫はそのまま道の端っこに丸くなってしまった。道案内はここまでだろう。
「ありがとう」
軽く猫をひと撫でして、歩き出す。
人の少ない道は、とても静かだ。すぐそこに大きな道があり、沢山の人々で賑わっているというのに。
ヒルガオの花が咲いていた。フェンスに巻き付きながら続くそれを何となく辿ってみる。カシャン、カシャンとフェンスを指先で弾き、朝方に降ったらしい雨の水たまりを飛び越える。
小さな緑色のカエルが一匹、雨粒を被ったヒルガオの葉に張り付いていた。
「……花」
ふ、と一軒の建物が目にとまった。店先には沢山の花が立ち並んでいる。
小さく、そんなに新しいわけでもない。ごく普通の花屋だった。
そうだ、花はどうだろう。砂夜子は考える。
美しい。良い香りがする。
花があると、気分が高揚する。空間が華やぐ。鮮やかな色彩は目を引く。
けれど、その命は短い。いずれは枯れて、ゴミとして捨てられてしまう。
時々見かける、ゴミ箱に打ち捨てられた皺くちゃの花たち。可哀想だと思った。
「………………」
けれど、遊菜ならきっと大切にしてくれるとも思った。
花のように綺麗で優しい彼女なら、美しく咲く花も、枯れて終わっていく花も、慈しんでくれる気がした。
きっとそうに違いない。だったらもう迷わなくてもいいだろう。
砂夜子は店の扉を明けた。
* * *
「砂夜子、昨日はあれからどうだったんだい?」
「綺麗な花を見つけたから、それを贈ることにしたよ」
8月15日。遊菜の誕生日当日である。
遊城家への道中を、ジムと砂夜子は並んで歩いていた。
道路側を歩くジムは、砂夜子が抱えた小さな細長い包みを目を丸くして見る。その視線に気が付いた砂夜子がジムを見上げて口を開いた。
「赤いガーベラを、一本。メッセージを添えた」
「Oh! flowerか、シンプルでいいんじゃないか。でも何故一本だけなんだい?」
砂夜子は少しだけ沈黙すると、足を止めた。
視線は手元の花に落ちている。
「沢山はいらないのだ。すべての花を平等に愛でることは難しい。恐らく遊菜でも。全部の花が少しずつだけの愛情をもらっておしまい、後は枯れていくなんて、嫌だ。だから、最初から最後まで一番綺麗だと思った一本だけを大事に見て欲しい。沢山愛された花は、枯れて捨てられてもきっと幸せだ」
そこまで言うと、砂夜子は再び歩き出す。真っ赤なガーベラが、腕の隙間からちらりと見えた。
ジムも同じように歩き出す。
「…………………」
無言のまま歩き進めば、いつの間にか遊城家の前に辿り着いていた。
そっとインターホンを押すと、しばらくして聞こえる足音。
「はーい……あ、砂夜子ちゃん! ジムも! いらっしゃい」
「Happybirthday! 遊菜」
笑顔で遊菜が出迎えた。ジムが両手を上げて祝いの言葉を述べれば遊菜ははにかんだ。
いつもより少しだけお洒落をした遊菜が砂夜子の手を引く。
「おい、引っ張るな……」
パタパタと音を立て、ふたりは十代達の待つリビングへ向かう。その時、砂夜子の持つガーベラの包みから、白いカードがこぼれ落ちた。
それをジムは拾い上げる。砂夜子は気が付いていなかった。
「そうだ……遊菜、誕生日おめでとう」
一番最初に言おうと決めていた言葉を、砂夜子はまっすぐ遊菜を見据えて言った。
ふわりと微笑んだ砂夜子に見つめられ、遊菜の頬はほんのり赤く染まる。
遊菜は砂夜子を見つめ返し、手を握ると、花のように綻んだ。
「ありがとう」
リビングに入っていったふたりの背中を見つめ、ジムは手の中のカードをこっそり開き、砂夜子に返すべくポケットに入れた。
『親愛なる花村遊菜へ。
私と出逢ってくれてありがとう。今日も、これからも、お前が幸せに過ごせることを祈っている』