「クッキーが欲しい」

「……へ?」

その日、花村遊菜のもとをひとりの少女が訪れた。
黒髪と頭上で揺れる緑色のリボンがトレードマークの宇宙人、砂夜子だ。
砂夜子はじっと遊菜を見据え、もう一度繰り返す。

「だから、クッキーが欲しいのだ。お前が作ったやつ」

「あ、あの、砂夜子ちゃん?」

「くっきー」

クッキー、と繰り返す砂夜子に遊菜は困ったように首を傾げた。
そして自分の正面、砂夜子の傍らに立つ十代に視線を投げる。

「十代い……」

「何で俺を見るんだよ」

なぜ十代を見るのかというと、彼こそがこの場に宇宙人を連れ込んだ張本人だったからだ。曰く。

「だって、教室の前でずっと座ってたんだもん、気になるじゃん。話聞いてみたら前にお前にもらったクッキーの味が忘れられないんだと」

そこで遊菜は思い出す。
以前、砂夜子にクッキーを渡したことがあったことを。その時の砂夜子の喜びようは凄まじかった。頑張って作った甲斐があったものだ。

「美味しかった! また食べたい」

たべたいのだー、と言って肩を小さく揺らす砂夜子の姿を見て、まるで犬のようだと遊菜は思う。
しかしこの犬の……いやいや宇宙人の欲求を満たしてやるには今からどこかキッチンを借りて一から作らなければならない。正直面倒だ。

「花村遊菜……」

砂夜子がじっと遊菜を見つめる。
遊菜はごくりと固唾を飲む。
砂夜子の顔は表情こそ変わらないものの、目が強く欲求を訴える。

「遊菜……」

「ああもう、わかった! 作ったげるよクッキー!」

「本当か!」

「まじで作るのか!?」

砂夜子が顔を綻ばせ、十代が驚く。
遊菜は力強く頷き、立ち上がった。

* * *

 「違う違う、もっとちゃんと振るわないと!」

「こうかー?」

「違うって! 玉になってる! 仕上がりに影響するの! 美味しいの食べたいっしょ、やっぱり」

その後、一行は調理室でクッキーの製作に取り掛かっていた。
遊菜と砂夜子が教室を借り、十代が材料を買い出しに走り、今に至る。
小麦粉を振るいに掛ける十代に、遊菜が声をかけた。

「そんな細かいこと気にすんなよ、背が伸びないぞ」

「誰に聞いたのそんな迷信! 間に受ける十代可愛いけど!」

かして! と遊菜が十代の手から振るいと小麦粉の入ったボウルをひったくる。
しかし十代はそれを阻もうとボウルを引っ掴んだ。

「俺がやる! 人の仕事に手出しするなよ!」

「手出しも何もちゃんと出来てないでしょうが!」

ぎゃあぎゃあとボウルと振るいを奪い合う。小麦粉が溢れるのも気にせずに。

「かしなさい!」

どりゃあ! と遊菜がついに十代からボウルを奪った。勝った……! と口元に笑みを浮かべた瞬間。

ぼふ!

「ぶ!」

「げ!」

…………。
ボウルの中身が宙を舞った。全て。
ぶわわわもくもく、と白い煙と化した小麦粉を浴びながら、遊菜と十代が咳き込んだ。
何度か咳き込むふたりの髪や頬はすっかり白くなっていた。

「ぷ……」

「はは……」

お互いの顔を見れば、自然とあふれる笑い声。
次第に笑い声は大きくなり、すぐに指を指して笑い合う。

「あはははは! お前の顔やばい! 真っ白!」

「十代こそ! いつの間に年取ったんだよ! 白髪なのにイケメンとか流石私の幼馴染!」

「……ぶしっ」

一頻り笑い、目元に浮かんだ涙を拭ったとき、すぐ傍で小さなくしゃみがした。
振り返れば、ふたり同様に小麦粉を被った砂夜子が卵を持って立っていた。


* * *

 「うまくいってよかったねー」

「おー」

床に散らばった小麦粉を箒とちりとりで片付ける十代に、流し台の前に立ちボウルや汚れた食器を洗う遊菜が話しかける。

小麦粉をぶちまけた後、クッキー作りを再開し、一時間後には美味しく焼き上げる事ができた。
適当に皿に盛り付け、砂夜子を先に座らせて、ふたりは片付けを行っていた。

「……美味しかった?」

「……おう」

十代が頬を指先で軽く掻きながら言う。その頬がほんの少しだけ赤くて、遊菜の心も明るく染まる。柔らかく笑みを浮かべ、言った。

「よかった!」


少し離れたテーブルで、砂夜子はふたりの後ろ姿を眺める。
まだ冷め切らないクッキーを一枚だけこっそり摘んで口に放り込んだ。
サクサクとした食感と卵の風味が絶妙で、思わず広角が緩む。
ふたりが片付けを終えてこのテーブルに着くまでに紅茶でも用意すればいいのだろうけど、砂夜子の手はティーカップではなくクッキーに伸びるばかり。

「……うまい」

さくさくさくさく。さく……。

「……そうだ」


ひとつ思い立つ。
食べかけのクッキーを一度置き、首にぶら下がる地球儀に手を伸ばす。
少しだけ力を込めた。そうすれば地球儀は青白い光を放ち、同時に教室を闇が包み込む。放たれた光は沢山の光の粒となり、黒く染まった壁や天井、足元に散らばった。
映し出された夏の夜空に、最初こそ驚いていた十代たちも感嘆の声を上げ、肩を並べて
星ぼしに手を伸ばした。

「ほんのお礼だ。うまかったぞ、ありがとう」

青い光の星が浮かぶクッキーを口に入れ、星空と、寄り添うふたりの背中を眺め、砂夜子は微笑んだ。

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