週の終わり。アカデミアにいつもの賑わいは無くしんと静まり返っていた。
もうすぐ夏本番を迎えるということで、その仕度のために生徒たちの殆どが一時的に帰宅したのだ。
連絡船に乗り、それぞれがそれぞれの家に帰っていく。そして数日後、アカデミアの夏を乗り切る装備を整えて島に戻ってくるというわけだ。

 「あつい……」

そんな静かなアカデミアに呻き声が響く。
校舎内にある資料室に、居残り組の生徒がいた。
白い制服の上着を脱ぎ捨てて、露樹はだらしなくテーブルに突っ伏した。
しきりに「あつい」と繰り返す露樹の額にはじんわりと汗が滲んでおり、室温が高いことを伺わせる。

「暑いな……」

上着の襟元を寛げて、露樹の向かいに座る藤原が言う。
長い若草色の髪を鬱陶しげに手で束ね、もう片方の手でパタパタと顔を扇いだ。
そんな彼の様子をテーブルに頬を付けながら見上げる露樹は、ぎゅっと眉根を寄せて言う。

「藤原、その頭どうにかなんないの? 見てて暑苦しい」

「な……!」

ストレートな露樹の物言いに、藤原が言葉を詰まらせる。
その拍子に、がばっと起き上がった露樹が指を指しながら畳み掛けた。

「その髪! もっふもふしてるその髪の毛! 鬱陶しいのよ切れ! というか刈れ!」

「お、お前こそ! お前こそ切れよその髪! 色合いからして暑苦しいんだよ! 人のこと言えないだろうが!」

負けじと藤原も露樹の長い髪を指差した。
互いにくわっと目を見開き、髪に文句を付け合い、睨み合う。

「…………もうだめ」

「…………あつい」

じりじりとした暑さがさらに増した気がした。
ほぼ同時に指を下ろし項垂れた。
気を立てるだけ体感温度が上昇する。だったら大人しくするしかない。
黙り込み、冷静になる。

「……吹雪は今朝行ったんだっけ」

僅かな沈黙を破り、露樹が口を開いた。
ここにいない、級友の姿を思い浮かべながら。

「ああ。久しぶりに妹に会えるって騒いでいた」

気だるげに藤原が答える。
さらに露樹は続けた。

「……じゃあ、亮は」

「亮も吹雪と一緒に今朝島を出てる」

藤原の答えを聞きながら、露樹はソファーに横になる。
膝を立て、腹の上で手を組んだ。
そんな露樹を横目に、藤原は言う。

「露樹は帰らないのか」

ぽつりと呟くように藤原は言った。その声は静かな資料室に響いて消える。
露樹は少しの間を開けて、ゆっくりと答えた。

「帰らない。私は夏用の荷物最初から持ってきてるから。それに……」

「それに?」

途中で言葉を区切った露樹。藤原はソファーの上の露樹を見ながら続きを待つ。
だが露樹は緩慢な動きで首を振り、「なんでもない」と続きを言うのをやめてしまった。
「気になるだろ」という藤原の声を無視して、露樹は無理やり自分から話を逸らす。

「藤原と二人っきりかー……」

「なんだよ、不満か」

「んー、どうだろう」

露樹は冗談っぽく声を弾ませ、笑う。
立てていた膝を下ろし、すらっと足を伸ばす。
短いスカートから伸びた足に行きそうになる視線をずらし、藤原は「なんだそれ」と悪態をついた。
それから、目を閉じたままの露樹を一瞥し、ぼそりと胸の内をほんの少しだけ明かしてみる。

「……俺は、別にお前と二人でもいいんだけどな」

「え? なんだって、よく聞こえなかった」

ぱちりと目を開け、露樹が起き上がって藤原を見た。
その目は本当に聞いていたなかったらしく、他の感情は見えない。からかっている訳ではないらしかった。虚しさが胸の中に滲み出る。どうやら結構空振りのダメージがでかいようだ。

「……何でもない!」

「いやいや、教えてよ藤原! 気になる」

「絶対に言わない」

身を乗り出しテーブル越しに露樹が詰め寄るも、藤原は口を割らなかった。
あんなこと、二回も言えない! 藤原は露樹にあまり素直になれないのだ。

そこで、藤原はデジャヴを覚える。そういえば、このやりとりを数分前にしたばかりではないか。ならば。

「教えてやる。ただし」

「ただし?」

佇まいを正す露樹を真正面から見据えて、藤原は言った。

「お前が家に帰らない理由を教えろ。さっきはぐらかしただろ」

「……あー……」

そのことか。そんな顔で露樹が再びソファに沈む。
上半身から崩れ、捲れ上がったスカートから覗く太ももが危うい。藤原は思わず目を逸らした。そこに、小さな露樹の声が聞こえてきた。

「藤原が一人にならないように、近くにいてあげようと思って」

ぴたりと藤原の動きが止まる。
 家族のいない藤原に、帰るところはあるんだろうか。
大半の生徒たちが島を離れ親元に帰るこの数日間、亮も吹雪も自分もいなくなったら、島に残るしかない藤原はきっと一人ぼっちだ。だから、自分が傍にいよう。
そんな露樹の考えを藤原は理解した。

「……馬鹿だろ、お前」

藤原が静かな声で言う。
露樹は「馬鹿ってなにが!」と声を荒げて抗議した。
だがそれを聞くことなく、藤原が続けた。

「余計なお世話だよ。たかが数日、一人でも全然平気だ。それに、これから先夏休みが待ってるんだぞ? その時も帰らないで俺に付き合うつもりか? もっと他に時間の使い道があるだろ」

刺のある言葉が突いて出る。
本当に言いたいことは、もっと別のことなのに。
露樹は怒るだろうか。

「そんなの……」

露樹が立ち上がった。
藤原を見下ろし、語気を荒げた。

「そんなの、決まってるでしょ! 夏休み返上で付きやってあげるよ! 藤原って妙に陰気だし暗いとこあるし卑屈そうな顔してるし、うさぎ以上に寂しがりって感じするし、何か危なっかしいから! だから夏休みだろうが、何日だって一緒にいてあげる」

ふうッ……と露樹が息をつく。
ぽかんと口を開け、露樹を見上げていた藤原は、ふっと頬を緩めた。

「だから、それが余計なお世話だって言ってるんだ」

「……素直じゃない、ほんとに」

露樹が呆れたように溜息をついてソファーに座り、また横になった。
はあ……疲れた。とわざとらしく言って目を閉じた。

「あ、それから。吹雪と亮も、夏休みはなるべくアカデミアにいるってさ。誰かさんに色々付き合ってあげるつもりみたい」

目を閉じたままの露樹が言う。

「そうかよ。……それと、パンツ見える」

「変態! すけべ!」

さっきからずっと気になっていたことを指摘しながら、すぐ手元にあった自分の制服をソファーの上の露樹に乱暴にかける。ばさっと音を立て露樹のスカートを隠した。

「……暑いんだけど」

「我慢しろよ」

「……藤原、夏休み楽しみだね」

「……随分先だけどな」

「……藤原、暑い」

「俺も暑いよ」

「藤原」

「なんだよ」

露樹が藤原を見上げ、苦笑した。

「何泣いてんの」

「泣いてない、汗だ」

「なにそれ」

あはは、と露樹が笑った。つられて藤原も笑う。
数ヶ月先に迫る夏休みを思い浮かべたら、今の暑さも胸の内の寂しさも消えるような気がした。


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