「失礼します……」

「あら、藤原くん」

保健室のドアを開ければ、鮎川が藤原を出迎えた。

「あの、露樹は……」

「ああ、紺野さんね。そこで寝てると思うわ」

鮎川がカーテンを指差す。藤原がカーテンに触れた。

「ほんと、仲良しねえ」

「えっ」

うふふ、と鮎川が笑う。
藤原はカーテンから手を離すと、鮎川に向きなおる。

「いや、違うんです。吹雪が行けってうるさくてっ」

「あら、そうなの?ふふ」

「あ……はあ……」

ばつが悪そうにうつ向く藤原に、鮎川は笑い掛けると机の上の書類を整理しにかかった。
藤原はもう一度カーテンに触れ、そっと引く。

「……露樹?」

『…………』

カーテンを開け、中に入ると、ベッドで露樹が横になっていた。

「……あれ、なんか……」

藤原が何か違和感を感じて露樹の顔を覗き込む。

『…………っ』

露樹の長い睫毛が震えていた。
肩も若干強ばっている。
藤原は気付いた。

「……狸寝入り?目、開けなよ。露樹」

『……バレたか』


ぱちりと露樹の目が開く。大きな瞳が藤原を見つめた。
藤原は溜め息を付いて、ベッドサイドに置いてあった椅子に腰かける。

「……具合悪いって聞いたけど、寝てなくていいの?」

『……あんまり眠れなくて』

そう言って、露樹がシーツの中から何かを取り出した。

「……漫画なんて読んでたのか」

『やー、何か目覚めちゃって』

露樹が取り出したのは漫画だった。
露樹はうつ伏せになり肘を付くと、取り出した漫画を読み始める。
藤原は呆れたように目を細めると、露樹の手の中にある漫画に手を伸ばし、奪い取った。

『ああ!何すんのさ』

「一応病人なんだろ。目が覚めたとか言ってないで、さっさと寝直せよ」

『それが出来たら今頃寝てるって。というわけで漫画返して』

露樹が藤原に向かって漫画を奪還すべく手を伸ばした。だがその手は藤原によって捕まえられてしまう。

「お前、手が熱いよ。熱下がってないんじゃない?ほんと、寝てたほうがいいって」

『えー……やだ』

露樹は捕まえられていた手を引っ込めようとするが、藤原は掴んだまま離さない。
手を掴まれたまま尚も漫画に手を伸ばそうとする露樹に、藤原が言った。

「……ずいぶん元気そうだなあ。もしかして、仮病?クロノス先生に何て説明しようかな」

『ぐ……』

露樹の動きがぴたりと止まる。
優等生として教師陣の評価が高い露樹としては、藤原の告発は避けたいはずだ。
それを知った上で、藤原が圧力を掛ける。

『……ひ、卑怯だぞ藤原』

「何とでも言えよ」

露樹の目に諦めの色が浮かぶのを見て、藤原が自分が座る椅子の下に漫画を置いた。

「とにかく、寝てろ」

『……わかった。寝る』

「よし」

露樹が藤原に背を向け、頭からシーツを被る。
シーツが擦れる音に、なんとなく気まずさを感じて藤原が顔を背けた。

『………………』

「………………」

静寂が保健室を包む。いつの間にか鮎川はいなくなってしまったらしく、2人以外の気配はない。

『……ねえ』

静寂を露樹が破る。藤原が顔を上げた。

「なんだ?」

『……藤原、授業でなくていいの?』

「え……」

藤原に背を向けたまま、露樹が言った。藤原は言葉を詰まらせ、しばし考える仕草を見せる。

「えっと……。吹雪に、心配だから様子を見に行ってやれって言われてて……。」

『……ふーん』

露樹の背中を見つめて、藤原が微かに身じろいだ。
藤原が立てた小さな音に、露樹が首を動かす。体の向きを変え、藤原と向かい合うように横になった。そのままじっと藤原を見つめる。

「……なんだよ。俺の顔に何かついてる?」

『……いや、なんていうか……私あんまり藤原の顔をちゃんと見たことなくてさ。どんな顔してるのかなーって』

シーツに散らばった自分の髪を指先で弄りながら、露樹が言う。
藤原は何だか複雑な気持ちになった。

(……丸藤や吹雪みたいに俺はカッコよくないだろうから。そりゃあ俺の顔なんて見ないよな)

心の中で独りごち、口を閉ざす藤原の顔を露樹が眺める。
その視線に居心地が悪そうに藤原が目を逸らしたとき、露樹が笑った。

『あは、近くで見たら藤原も結構きれいな顔してるんだね。思ったよりかっこいいじゃん』

その言葉に、藤原が逸らしていた視線を露樹に戻す。
目が合うと、露樹が微笑んだ。

「…………思ったよりって何だよ、思ったよりって」

『ごめんごめん、褒めてるって』

露樹が小さく笑うと、自然と藤原の顔にも笑がこぼれた。

「ほら、今度こそ寝ろよ」

『ねえ、藤原』

「……なに」

藤原が短く返事をする。露樹は猫のようににんまりと目を細め、シーツを口元に手繰り寄せた。

『次、私が起きるまで……そこに居てもいいよ』

そう言って、露樹は目を閉じた。
藤原は少しだけ目を丸くすると、がしがしと頭を掻く。

「なんで、上から目線なんだよ。ばか」

露樹からの返事は無い。視線を落とせば、露樹の目は閉じられたままだった。
肩は小さく上下しているものの、それ以外はぴくりとも動かない。

「……寝るの早いよ」

呟き、そっと露樹の前髪に触れた。
額に掛かる髪を払うと指先を離し、椅子の下に置いてあった漫画に手を伸ばす。
漫画を取り、膝の上に広げてみるも、内容はまったく藤原の頭に入らなかった。

「……はあ」

藤原は溜め息を付き、漫画を閉じる。
静かな保健室に、漫画を閉じるその音はよく響いた。


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