愛他主義者の盲点
食堂へ足を向ける私の数歩先には、るんるんと鼻歌を歌う小平太の姿。
「今日の夕食、なーにっかなー♪」
「・・・」
「長次、長次! 当てたらおごって!」
全開の笑顔で振り向く小平太に「分かった」と返答した。
「えーと、この匂いは…あ! 分かったぞ! 肉じゃがだ!」
「…ハズレだ」
食堂の入り口でいつも行われる、些細なやり取り。
「えー! じゃあこの匂いは何なんだよー。みりんの匂いが強いぞ。肉じゃがだと思ったのになあ」
「大根の煮物」
「あ、その可能性があったか!」
小平太は、目が見えない。
元からではない。二人で以前忍務に出た際、私が油断して敵に背を見せたところ、私を庇って負傷した。
小平太の失明が確定した時、私はかつてないほどに自分を責めたが、小平太は私が思っているほど大したことじゃないと言ってただ笑った。細かいことは気にするな!と、いつも通りの豪快な笑顔で。
「おばちゃん! これ食券!」
「あら、小平太くん。今日は大根の煮物よ」
「知ってる! さっき長次から聞いた」
「はい、これ。溢さないようにね」
「ありがとう!」
おばちゃんの手から膳を受け取る小平太。
いざ日常生活に戻ってみたところ、確かに小平太自身は目が見えずとも大して気にしていないようだった。もともと五感が獣並みに鋭い彼は、他人の気配や空気の流れを敏感に捉えて動き回り、これといって他人に助けを求めてくることもなかった。実習も試験も相変わらずクラスメイトより動きがいい。時々、本当は見えているのではないかとこちらが錯覚するほどに。
「腹減った!早く食べよう!」
定食を机に置いて二人で席に着く。
「…えーと…」
生き物に対しては敏感だ。だが、
「箸…箸…あれ…?」
「…これだ」
「お、ありがと長次」
こういった身近な無機物には気配も空気の流れもないため、やはり手助けが必要だった。日常生活に支障がない、とは決して言い切れない。
「なあ長次」
「なんだ」
「お前、最近口数増えたなあ」
なんて頓珍漢なことを言い出すんだ、こいつは。目が見えない者を相手に口数が多くなるのは当然のことだろう。ただ頷くだけでは返答にならないのだから。
「まあいいや! そんなことよりさ」
私が返事をする前に話題を変える。今に始まったことではないが慌ただしいやつめ。夕食ぐらいゆっくり食べさせてほしい。
「そんなことより?」
「明日はついに進路相談の最終日だな! 長次は最終希望、やっぱり例の城にするのか?」
「ああ」
「そっか! やっぱな! 長次、昔からあの城に就きたがってたもんなー」
「…小平太は?」
「え? 私? 私はフリーかな。利吉さんみたいに売れっ子になりたいぞ!」
「そうか」
一瞬、動揺した。
確か小平太の就きたい城は私と同じだったはずだ。それも示し合わせたわけではなく、偶然に。
「・・・」
何故進路希望を変えたんだ、という言葉が出掛かったけれど慌てて飲み込む。私が言えた義理じゃない。盲目の忍たまなど、どこの城が雇ってくれるというのだ。確かにフリーになるしか残された道はない。小平太は小平太なりに考えたのだろう。
「? 長次??」
「…頑張れ」
「おう! 頑張るぞ! いけいけどんどん!!」
動揺を表に出してはいけない。小平太は人の感情に機微だからすぐに悟られてしまう。
「長次も頑張れよ! 大根美味いな! あ、これ何の漬物だ!?」
「…話題をひとつに絞れ」
小平太と居られるのもあと少しということか。
按摩の売れっ子フリー忍者…小平太なら不可能ではないのかもしれない。
翌日。最後の進路相談の時間がやってきた。先生と二人で進路室に籠もる。
「ええと長次の希望は…あ、なんだこの城か。最初から変わってないんだな」
「はい」
「そうか。まあ、お前なら大丈夫だろう。最終希望はこの城で本当にいいんだな?」
「・・・」
小平太と居られるのも、あと少し。
『私はフリーかな』
日常生活に支障がないとはいえない、盲目のフリー忍者。
…フリーになったところで仕事はもらえるのか…?
「これでいいならもう先方に試験の申し込みをしてしまうんだが…どうする?」
いいのか、これで。本当に。
本当に?
いいわけ、ない。
許されない。
あいつも本当は行きたかった城。本当は行きたくて仕方ない城。私だけなど許されない。
「…長次?」
あいつの進路を絶ったのは私。夢も希望も絶ってしまったのは私。自由を奪ったのは私。
未来を絶ってしまったのも、私。
「あ…」
「?」
「わ、たしは…」
声が震える。私はなんという勘違いをしていたのだろう。初めから私に選択肢などありはしないじゃないか。あの日あのとき両目を斬られたのは、小平太ではなく私でなければならないのだ。
「私は…」
「どうする?」
「私は、フリーになります…」
その日の晩、小平太は湯浴みしてから部屋に戻ると、忍服のまま苦無を手に取った。
「今夜は月が綺麗だな長次! こんな夜は塹壕掘りに限るぞ! そんなわけで私今日、久しぶりに塹壕で寝るよ!」
見えぬ目で夜空を見上げ、月が綺麗だと言う。湿度や空気の澄み方で分かるのだろうか。上を見ればなるほど、そこには綺麗な満月が浮かんでいた。
「長次も一緒にどうだ!? 楽しいぞ!」
「遠慮する」
にこにこしながら尋ねられて思わず溜め息を吐いた。こんな夜から好き好んで塹壕掘りに出かけるのはお前ぐらいだ。
「遠慮しなくていいのに…」
ぶうっと頬を膨らませて小平太は拗ねてみせた。
月の綺麗な晩、小平太はいつも決まって塹壕掘りに出掛ける。盲目になる前もなった後も、それは変わらない。
月明かりは忍者にとって大敵ではないのかとも思うが、まあ小平太の塹壕掘りは趣味の範囲だからと思い、これといって指摘したことはなかった。
「前は一緒に掘ってくれたのに。つれないなー」
いじけたまま記憶の蓋をあける小平太。前は、というが一緒に塹壕掘りに付き合ったのはたった一度だけのことだ。それも相当昔の、まだ下級生だった頃の話。
「あの時は塹壕掘りを習ったばっかりで、二人で夢中で掘ったなあ」
月を眺めながら小平太は語り出す。まるで本当に見えているかのような表情で。
「泥だらけんなって、中腰に慣れてなくて頭を何回もぶつけて、滑って転んで、最終的に頭を出したところが薬草園で大目玉くらってさ。でも楽しかった」
私も忘れちゃいない。誤って口の中に大量の土が入って、ざりざりして凄く気持ちが悪かった。でも、
「…私も、楽しかった」
小平太は部屋の入り口から私を振り返ると、柔らかく笑った。
「なあ長次」
「なんだ」
「私はさ、大丈夫だよ。お前がいなくても」
心臓が、跳ねた。
「一人でやっていける」
「な、にを…」
「私はかえってこれで良かったんじゃないかと思うんだ」
そのまま鷲掴みにされるような感覚。
「たとえこの先お前と共に同じ道を歩んだとしても、お前の姿は私には分からない。私の中ではずっと十五歳の中在家長次のままなんだ。だけど、今はそれで良かったと思う」
「・・・」
「もしも私が按摩にならずにお前と同じ道を歩んでいたら、私はお前に甘えてばかりでこの先ずっと依存していたと思うよ。見える目より見えない目の方が、見えることもある。お前から自立する決心がついたよ」
「…そうか」
「だから、さ」
眉尻を下げて小平太は笑った。
「もう、あんな泣きそうな顔して進路室から戻ってくるなよ」
どうしてこいつは
何も見えていないのに
全て見えているんだろう
「まあ、言いたいことはそんだけ! ほんじゃあ塹壕掘り行ってくるぞ! いけいけどんどーん!」
小平太は踵を返して部屋の外へと飛び出した。
全く、奴には敵わない。
「・・・」
一人でやっていける、か。部屋の中で一人、苦笑した。
「私は、そうはいかない…」
依存しているのは私の方だ。私には小平太が必要だ。あいつがいなければ私は…
・・・なんだ。選択肢どころか初めから答えは出ていたんじゃないか。私の進路はやっぱりこれが正解だ。
小平太と共に同じ道を歩みたい。それが、私の答え。自責の念でも驕りでもない、私の希望。
なんだか久しぶりにスッキリした。最後にもう一度綺麗な満月を見上げてから、私は自分の床に就いた。
今夜はよく眠れそうだ。
翌朝、目が覚めたら小平太は居なかった。
いつもは私が寝ている間に戻ってくるのに。
少し不安になって、焦りながら制服を手に取ったところへ
「長次!」
部屋へ飛び込んできたのは小平太ではなく、息を切らした文次郎だった。
小平太はどこにも居なかった。全員でくまなく探したが見つからなかった。
文次郎が早朝の鍛錬をしていたところ、小平太の苦無が校門の傍に落ちていたのを見つけたのだという。苦無の隣には、土に掘られた、たった一言。
<それでも私はお前の枷になってしまうだろうから>
血の気が引いた。
見えない目で懸命に掘ったんだろう、とても拙い文字だった。
私は阿呆だ。
どうして。どうして気付けなかった。
『お前、最近口数増えたなあ』
『私はさ、大丈夫だよ』
対等に扱われないことをきっと小平太は気に病んでいた。私が優しくするたびに傷付いていたんだ。
見える目で私はいったい今まで何を見てきたというのか。
謝るから。頼むから。戻ってきてくれ、小平太。
後悔したところで何もかもが遅かった。
悔やんでも悔やんでも報われることなどなく
小平太は最後まで、誰の前にも現れなかった。
私に罪状があるとしたら、それは友の未来を奪ったことではなく、
何も見ようとしなかったこと。
小平太がどうなったかは想像次第
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