お手は得意、待ては苦手
Side:善法寺
「近ごろ七松先輩の様子がおかしいんです…」
保健室で薬草の小分けをしていたら、四年い組の平滝夜叉丸が室内へ入って来るなりそんなことを言い出した。まるで天変地異の前触れのような顔をしていたから、てっきり気分でも悪いのかと思って「とりあえず横になりなよ」と声を掛けたのだけど、どうやらそういうわけでもないらしい。
「真面目に聞いてください善法寺先輩。私が診てほしいのは七松先輩なのです」
べつにふざけて聞いたつもりはないのだけれど、至極青ざめた表情で詰め寄ってきたから多少悪いことをした気分になる。
「ご、ごめん。小平太の様子がおかしいって、どうおかしいの?」
「とにかく元気が無いというか…委員会活動にも身が入っていらっしゃらないようで…。またスランプなのでしょうか?」
「…それだけ?」
「はい」
そんなに取り乱すことか。内心そう思ったけれど口にはしない。体育委員会の後輩にしてみれば取り乱すに充分値する事象なんだろう。いけいけどんどんで普段あれだけ鍛えられているんだ、無理もない。
…小平太の元気が無い理由には心当たりがある。たぶん、あれだ。
「大丈夫だよ」
「へ?」
「あと三日もすれば元通りになるから」
べつに大したことじゃない。だって、あんなのいつものことだもの。
Side:潮江
会計委員会の集まりがある為、10kg算盤を担いで委員会室へ向かっている途中だった。背中に誰かが体当たりしてきたような衝撃。此処でこの俺にこんなことをしてくるのはどう考えても一人しかいない。
「左門!!」
条件反射のように怒鳴りながら振り向けば、意外や意外、そこに居たのは毎度突っ込んでくる方向音痴の左門じゃなく、
「って、アレ?」
よく似た癖の三年生、次屋三之助が居た。
「次屋じゃないか。何してんだこんなトコで」
こんなトコ、って言葉にしてから、ああそういやコイツも方向音痴ぶりが神業だったんだと思い出した。どうせまた迷子だろ。
「あ!潮江先輩!」
俺の顔を見上げてあたふたしながら速射砲のように喋り出す。
「た、大変なんです! いま体育委員会の活動をしてたところなんですけど、七松先輩が…!」
あまりの慌てようにこっちも釣られて緊張が走る。
「どうした? あいつに限って怪我でもしたのか?」
「いえ!『今日はお前らだけで自主マラソンしろ』って言い出したんです!」
ズルッと足を滑らせてうっかり10kg算盤を落としそうになった。
「いけどんマラソンの為に両脚があるような、あの先輩が…!」
なんだそりゃ。そんなに焦るコトかよ。体育委員会で普段どんな活動してんだアイツは。
「まあ、今この時期はしゃあないな」
「へ!? なんでですか!?」
僅かも動じない俺が不思議で仕方ないらしい、食って掛かるに近い形で俺に詰め寄ってくる次屋。
なんでも何も…理由なんざ決まってらァ。
「明後日まで、長次が忍務に出てるからだよ」
Side:食満
小平太が大人しいと楽でいい。用具委員で処理しなければならない塹壕の数がグンと減る。まあ綾部の蛸壺には変わりないから、仕事がなくなるわけじゃないが。
ギンギン馬鹿が昨日鍛錬でやらかしてくれた塀を補修しに、荷物を背負って歩いていた時だった。
「あれ?」
誰かが膝を抱えて塀の前に座り込んでる。よく見りゃ二年生の制服だ。こんなトコで何してんだ?
「どした? 具合悪いのか?」
しゃがみ込んで訊いてみれば、そいつはゆっくり顔を上げた。お、コイツは確か小平太んトコの時友だな。
「けっ、」
「ん?」
「けませんぱいぃぃ」
俺の顔を見るなりブワッと涙目になる時友。あ!?なんでだ!? 俺いま何かしたか!!?
「なっ、なんだ!?」
「な、ななまつせんぱいが、おかしいんですううぅ」
縋るように相談される。取り敢えず俺が泣かせたわけじゃないと分かって内心ホッとした。くっそビビった。
「元気が無いんですぅぅ!」
そういや二〜三日前、伊作が保健室に居たら滝夜叉丸がこんな相談してきたって言ってたな。確かにこりゃ重症だ。体育委員会は揃いも揃って小平太を心配し過ぎだっつの。
「今は長次が長期忍務に出ててなあ、」
「それは…昨日、次屋先輩が潮江先輩から聞きました」
「ならいいだろ」
「でも、どうしても気味が悪くて…。いつもは委員会が終わってすぐ塹壕掘りへ出掛けるのに、今日は"塹壕掘る気分じゃないな"なんてぼやいて真っ直ぐ部屋へ戻られたんです…」
小平太が塹壕掘ってナンボみたいに言わないでくれ。埋める俺達が陰でどんだけ苦労してると思ってんだ。
「委員会の鍛錬メニューが減るから、お前らにとっちゃかえって好都合なんじゃないか?」
「そうなんですけど…でも、あんなの七松先輩じゃないっていうか…」
「…うーん」
はて困ったぞ。俺達六年にとっちゃ「暴犬の"待て"状態」は最早慣れっこだが、体育委員会のこいつらにはよっぽど重大で奇怪で不安の対象になってるらしい。しかし相談されたところでどうしようもない。不安を取り去ってやりたいのは山々だが、あいつにとって長次の代わりなんて誰もできねえよ。
「まあ、あんまり気にすんな。長次、明日には帰ってくるから」
安心させてやるつもりで頭をくしゃりと撫でてやったら、またもやブワッと泣かれてしまった。え、なんでだ…。
Side:立花
体育委員長のヒトの変わり様に委員会の後輩が引っ張られ、皆が動揺している。
他の奴らからそう聞かされていたので、そのうち私の処にも不安を投げに来るだろうと少なからず踏んでいた。そして見事に予想は的中した。
「七松先輩、バレーボールを前に気乗りしないと言って何処かへ行ってしまったんです!」
一年は組の皆本金吾だ。向かいから廊下を歩いてきた喜三太に見付からないよう柱へ貼り付いたのだが、その少し後ろを歩いていた彼と目が合った結果、話し相手に捕まってしまった。
「そうは言っても、相談されたところで私達にはどうすることも出来ん」
「それは…そうかもしれませんけど…」
金吾はしゅんとした様子で俯くと、床に向かってボソボソと喋った。
「委員長の元気がないと僕達も調子出ないっていうか…だんだん心配になってきます…」
つまるところ体育委員会の後輩が小平太を気に掛けるのは、あれが先輩として好かれている証拠である。
「あまり気負いするな。お前ら後輩が思ってるほど当人にとっては大したことじゃない。むしろ茶飯事さ」
「でも、」
「ちなみにお前ら、当人へ向かって"元気無いですね"と言ってみたか?」
「え? い、いえ…。面と向かって言ってしまったらいつも通り地獄の鍛錬に及びそうな気がしたので、七松先輩自身に心配の言葉は掛けてません」
「だろうな。あれは自分の中では普通のつもりだから」
「へっ?」
「自分自身に元気が無いなんて少しも考えてないだろう。奴の中ではあれが至って通常だ」
「そうなんですか!?」
「ああ。心配の言葉なんぞ掛けてみろ、かえって凹むぞ」
「自分の元気が無いことに自分で気付いてないんですね…」
「予定では今日の夕方に長次が帰ってくる。明日からまた地獄の委員会活動が始まるだろう、今のうちに暇を楽しんでおくといい」
廊下で長話をしたのが間違いだった。先ほど角へ消えたはずの姿が再び向かいから現れたからだ。
「もーっ、金吾ってば後ろ付いて来てると思ったら居ないんだか…あ!? 立花先輩!?」
世にも恐ろしい山村喜三太である。笑顔で駆け寄ってくる彼にこれ以上距離を詰められてはいけないと、私も踵を返して走り出した。
「ああ!? 先輩ってばなんで逃げるんですかあ!?」
そういうお前はなんで追い掛けてくるんだ! 金吾に用があったんじゃないのか!
「体育委員の後輩が心配していたと、あとで長次には伝えておくぞ!」
角を曲がる瞬間、振り向き様に金吾へそう叫んだが果たして聞こえただろうか。
Side:中在家
忍務から戻るなり、仙蔵達に「ようやく主役が帰ったな」と茶化された。聞けば小平太が例によって放心しているらしいのだが、見慣れていない体育委員会の後輩達が気味悪がって騒ぎ立てているそうだ。
全く小平太にも困ったものである。たまの忍務に私が姿を消した程度で自失していては委員長として如何なものか。だがその反面、愛おしくも思えてしまうのだから私も大概だけれど。
長屋へ戻り自室の戸を開けたその瞬間。
「長次!!!」
私がただいまを言うより先に、誰が下したわけでもない「待て」を忠実に守っていたらしい暴犬が、ほぼ体当たりで飛び付いてきた。私が戻ってきた気配などとっくに知れていたのだろう、戸の前で待ち伏せていたに違いない。
「ただいま」
引っ付いたままの身体に腕を回し、彼の背を軽くポンポンと叩く。けれど離れてくれる様子は微塵もない。むしろ更に力を籠めて抱き潰された。やめろ痛い。骨折する。
「おかえり!」
全開の笑顔で迎えられて次の言葉に困ってしまう。ここは甘やかすべきか、それとも注意すべきか。いやしかし後輩に心配を掛けたことはどうにもよろしくない。やはりしつけておくべきか。
「小平太、」
「長かったああ!!」
悪意無き大声で言葉を遮られてしまった。これが常になってしまっている時点で私は日頃こいつを甘やかし過ぎている。自分でそう感じる。
「長かった?」
「うん!長かった!」
…何がだ。小平太はいつだって言葉が足りない。
「長次がいないと私やっぱ調子出ない!」
「・・・」
けれどこいつは、いつだって。
「マラソンも塹壕掘りもバレーも楽しいんだけど、やったところでいまいちピンとこなくてさ。充実しないっていうか、」
包み隠さず言葉に吐き出してくれる。
「全部がそれなりって感じで、何をやってもスッキリしなくて」
「…そうか」
「ああ。でも今めっちゃ楽しい! 長次と話せて楽しい!」
「・・・」
「…結局、私はさ、」
ニカッと歯を見せて、それはもう心底幸せそうに。
「長次が居るだけで、何をするより楽しいんだな」
恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言い切ってくれる。
…ああ、全くこれだから。数秒前まで所持していたはずの注意する気力が何処かへ失せてしまった。こいつにはほとほと敵わない。
「…小平太」
「なんだ!?」
「一つ、頼みがある」
「おう!」
学園で名高い暴犬は、私にとって愛犬だから。うまくしつけられないまま最後にいつも絆されてしまうのだ。
「次からは…私が"居ないから楽しくない"ではなく、私を"待つことが楽しい"と思えるようになってくれ」
とどのつまり、こんな程度の言葉しか掛けられない。
「ええ? 何それ、難しいなあ」
でも長次がそう言うならそう思えるように頑張るぞ!、と声大きく宣言する小平太を微笑ましく思った。が、鍛錬メニューを増やされる体育委員会の後輩達としては果たして本当にこれで良かったのだろうか…。
「腹減ったな! 食堂行ってメシにしよう!」
小平太の笑い顔を眺めていたら何だかどうでもよく思えてきたので、深く考えることはやめにした。
まあ、いいか。
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