A


風が頬を擽り、目が覚める。
ぼんやりと目蓋を開ければ眼下には読み掛けの本が広がっていた。
どうやら自室で読書に励んでいたところ居眠りをしたらしい。こんなこと、随分と久し振りだ。暖かい陽気のせいか。
「・・・」
懐かしい夢を見た。一年生の頃の些細な思い出。そういえばあの日もこんな風に暖かかった。
ふと背後から寝息が聞こえてきたので振り向く。すぐ後ろに小平太が寝転んでいた。こいつが天気の良い日に部屋で昼寝をしているなどなかなか珍しい光景だ。幸せそうに口を開けて寝ているその姿につい顔が綻んでしまう。
あの頃の小平太は長次長次と私のあとを追い駆けてくるのが当然だった。それがいつの間にか私から離れ、塹壕掘りやらマラソンやらの一人遊びを覚え、最後にはあまり干渉してこない対等な関係になってしまった。小平太は気付かぬ間に大人になっていた。口には出さないが少し寂しくもある。今となっては私の方が執心しているかもしれない。いまだに周囲はそう感じてはいないだろうが。
不意に小平太の口がむにゃむにゃと動いた。寝言を喋っているらしい。何の夢を見ているのか。もう六年生だというのに無防備な奴だ。
…私、だからか。
そんなことを考えて僅かに自惚れる。
ああ、そういえば夢の中でもこいつは寝ていたな。私のちっぽけな矜持のせいで傷付いて、泣き疲れて眠っていた。忘れようはずもない。あの時のことは今でも悪かったと思っている。
「小平太…」
仰向けの彼に被さり、口付けを落とそうと静かに頭を垂れる。何度でも言うと、あの時そう宣言して誓った。だから今なおこうして態度で示そう。好きだ小平太。
「!?」
途端、私が頭を垂れるより早く首に腕が巻き付いて来た。起きていたのかと認識した頃には私の唇は先程まで開かれっぱなしだった唇に吸い寄せられていた。慌てて顔を離せば、小平太は私の首に腕を回したまま飄々と言葉を並べる。
「ズルイなあ長次」
にやりと不敵に一笑。
「そういうことは私が起きてる時にしてくれよ」
気付かぬ、間に、
「今も昔も照れ屋だなお前は」
小平太は、
「…あの時だって、」
大人に
なってしまった。
「あの時だって、寝てる間だった」
気付いてたのか。
「…お前は、」
「あ、今どの刻だ!?」
唐突に何事か。
小平太は急に声を荒げると首を回して日を確認する。
「悪い! 私、文次郎と鍛錬の約束してんだった! 忘れてた!」
私の返答を聞く前に私の下からするりと身体を抜けさせて立ち上がる。まるで犬猫のように器用なすり抜け方だ。
「ちょっと行ってくる!」
こちらを見ずにあっという間に部屋を去ろうとするので反射的にその手首を掴んでしまった。
「ん?」
「あ、」
「何? どした長次」
どうした、と訊かれれば特に理由は無い。強いて言うなら、この感情はたぶん、
「・・・」
「んー…だめだな長次」
小平太は、分かっている。
「そんな時はどうすればいいか知ってるじゃん。六年前から」
弾けんばかりの笑顔で心無い一言を。
「文次郎の前で『小平太の一番は私だ』って言わなきゃなー!」
あっさりと。
私の嫉妬や独占欲を振り払い、小平太は部屋の外へと意気揚々走り去って行った。

「長次、本を返しに来たんだが」
どれだけ間が悪いのか。小平太と入れ違いに仙蔵が部屋へ踏み入って来る。
「ああ…」
気の無い私の返事に、仙蔵は去ったばかりの小平太の背と私を交互に見比べた。それから全てを察したようにクスリと笑い、
「モテる男は罪だなあ」
今度は悪意有るひやかしをしてきた。
モテる男が誰を指すのか。いつの時代も耳に障る言葉を前に私はまた頭を抱えるのだった。



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