「すぐ行くから、関係者入口の近くでまってて」


試合が終わった途端、紫原さんからそんな連絡がきた。

本日の試合はホームアリーナ。
今日も今日とてうちのチームは試合に勝ってしまった。

試合に勝ってしまったと言うことは。

この間紫原さんの言っていた「お願い」が有効になるということ。
そもそもなぜわたしはあの時あんな約束にOKを出してしまったのだろうか。
優しい紫原さんのことなので無理難題をぶつけてくるようなことはないのだろうが、果たしてそれはわたしにしか叶えられないお願いなのだろうか。


・・・この間一緒にいたあの可愛らしい、桃井さん、ではだめなのだろうか。


ほんの少しだけ胸がちくりと痛んだことに気付かないふりをして、わたしは一つため息をこぼし、関係者入口へ向かったのだった。



浮かれポンチ





試合が終わって、急いで控え室に戻ってスマホを手にしてなまえちゃんにラインを送った。そうでもしないとあの子、すぐに帰ってしまったっておかしくない。そもそも、本当に観にきてくれているのかすら怪しいのだけど。

意外にも既読はすぐについて、「わかりました」とだけ返信がきた。試合は終わったというのにアドレナリンが漲ってくるのが分かる。

なんだかアツシ、張り切ってるな。試合はもう終わったぞ。と室ちんがいつもの調子でにこやかに話しかけて来たが、それに対する反応もろくにせず光の速さで着替え、一目散に選手控え室を後にした。


***


「ごめん、寒かったでしょ」


いつものようにマフラーをぐるぐる巻きにして、俯きがちに俺を待っていたなまえちゃんの赤くなった耳が長い髪からちらりとのぞく。
声をかけられ、ゆっくりと俺を振り返った彼女の鼻もまた同じように真っ赤になっていた。なまえちゃんってもしかして寒がりなのかな、試合が終わってから最速でやって来たつもりではあったが、かわいそうなことしちゃったな。


「待たせてごめんね」
「いえ」


彼女はいつもの何でもないような調子でそう言ったが、いくらか声が上ずっていたように感じる。
俺は申し訳なさを紛らわせるように、関係者入口のすぐ横に設置された自販機で暖かいココアを買ってなまえちゃんに手渡す。寒かったのに待たせてごめん、ともう一度謝って。

わたしに何がいいかとか、聞かないんですね。

と、ココアを受け取ったなまえちゃんがぽつりとこぼした。そこで俺ははっとして、たしかに、本人が目の前にいながら何故俺は自己判断で選んだものを買って渡したのだろうか。自身の中では寒い日に飲むあったかい飲み物といえばココア以外あり得なかったのだ。
焦りが生んだうっかりミスを俺がどうにか繕えないものだろうかと慌てふためいていると、なまえちゃんは目を細めて、歯を見せてわらった。


「あはは、ごめんなさい、からかっただけ。」
「えっ?」
「ココア好きです。ありがとうございます。」
「・・・ごめんって」
「ついとっさに買っちゃうほど好きなんですね、ココア。」


カシュ、という音を立ててココアが入った缶が開けられた。なまえちゃんはそれを一口飲んで、また目を細める。
まるでホットココアのCMの撮影でも眺めているような気分だった。こんなCMテレビで流れたらバカ売れするんじゃねーかな、なんて馬鹿なことを考えていると、ふと現実に引き戻されてしまった。


「それで、なんのご用でしょうか」


忘れてた。完全に。
俺の背中に再び冷や汗が伝う。そうだ、今日の試合に勝ったら一つお願いを聞いてもらうという約束。そして、さっちんとの関係の誤解を解くということ。本日の議題はその二つ。
どちらから話すにせよ、こちらとしては気が重い内容なのだ。


「えーっと、まず」
「はい」
「・・・こないだ会った時一緒にいた子」
「えと、桃井さん?」
「俺の彼女じゃないです」
「?、はい」
「中学んときの同級生で、あの日たまたま会っただけでなんでもないから」
「・・・はい」
「・・・で、あの、今、俺、フリーです」


へぇ、そうなんですね、意外です。
とだけ言った彼女の真意は言葉からはやっぱり読み取れなかったけれど、一瞬だけふと俺から目線を外したのだ。
誰かと話すときにはその大きなくりくりの目で相手の目をじっと見つめて話すなまえちゃんがちょっと隙を見せたように感じた。さっちんの言った通りだ、さっちんとの関係を否定すればちょっと何かが変わるかもとの言葉を信じてよかった。
てゆーか、男がわざわざ女の子にフリーですって伝えることがどういう意味なのか、俺の気持ちとか、もう薄々分かってくれてるよね。
そんで拒否されてるような空気感でもないんだし、恐らくなまえちゃんも俺のことは多少なりとも憎からず思っているはず。
そんな追い風を受けて、俺は少しだけ調子に乗った。


「でさ、」
「はい」
「今日の試合、勝ったよ」
「・・・おめでとう、ございます、」
「あのさ、お願い一個、聞いてくれるって約束したよね」
「・・・は、い」
「・・・えーっと、」
「はい・・・」
「・・・一緒にどっか、あそびいこ」
「・・・・・・」
「二人で」


心臓が口から飛び出しそうなほど早鐘を打っていた。恐らく平常心を装って伝えることができたはずだが、なまえちゃんの顔が見られない。
どんな顔をしているんだろうか、もしかしていつものように困り顔で笑いながら断る理由でも考えているんだろうか。耳に心臓があるんじゃないかってくらい、自分の心音が大きく聞こえた。自信がなかったわけじゃないのに。こんなに緊張するのっていつぶりだろう。

恐る恐る、彼女の顔に視線を向けると、まぁるい目を更にまぁるく見開いてぽかんと驚いていた。

えぇ、なに、その顔、可愛いけど。どっちにとればいいの。


「・・・いいですけど」
「え!?うそ!?まじで!?」
「すごく改まって言うから。なにを言われるのかと・・・」
「・・・これでもめちゃくちゃ勇気出したんだけど。前に夜飯誘った時とかも断られたし」
「あの時は・・・ごめんなさい。あ、でも・・・」
「なに!?上げて落とすのやめてよね!」
「うーん・・・」
「・・・・・・」
「どこに行きたいですか?」
「ごめん、まだなんも決めてない。OKしてもらえると思わないじゃん」
「うーん・・・紫原さん家とかだめですよね?」
「・・・は?」
「・・・あっ」
「・・・え?」
「んっ?あっ、ご、ごめんなさい・・・!そういう意味じゃ・・・忘れてください」


みるみるうちに顔を真っ赤にさせるなまえちゃん。
こんな表情初めて見た。いつも良くも悪くもポーカーフェイスで、笑っていてもなにを考えているのか分からないのが常だった。そういう顔も綺麗で好きだったけど、やっぱりこんな自然な表情は格別可愛く見えてしまう。

ただ、なまえちゃんのことなのでどうせそういう男女の関係的な意味を含ませて家に行きたいと言ったわけではないことは分かりきっているのだが、思わぬまさかの提案に今度は俺が驚いてしまう。


「いや!!俺はいいけど!!!」
「いや、待って・・・、その・・・」
「いーじゃん、一緒に俺んちでゆっくりしよ?」
「ちょ、っとまって、その、二人きりでどこかいるとこ見られるのよくないかなって・・・とっさに出てきちゃっただけだから・・・忘れてください・・・」
「俺んちにしよ」
「話聞いてました?」
「何もしないから。あ、お酒買っとくね。」
「何かする気じゃないですか!わたしがお酒弱いの知ってるくせに!」
「いやまじで」
「わたしが悪かったです、許してください」
「いやほんとに」
「嫌です、行きません。」
「土下座するから」
「しないで」
「てか人目気にすんなら、俺とじゃどこも行けなくない?」
「・・・まぁ、そう、ですけど・・・」
「ね?」
「・・・・・・」
「なまえちゃんが言ったんじゃん」
「・・・・・・う」
「俺ん家来たいって」
「そ、そうは言ってないです!」
「言ったしー」
「・・・」
「二言ある感じ?」
「・・・も、もう、わかりました!いきますけど、変なことはしないですからね!」
「んふふ、変なことってなーに?」
「・・・!」
「うそうそ、たのしみにしてんね〜」


いつにしよっかー、オフの日次いつ被ってるかなー、と浮き足立ちつつ問いかけても、依然なまえちゃんの顔は真っ赤っかのままだ。
これはこれは棚からぼたもちにも程がある。とにかくまずは部屋を片付けて、シーツ洗って、そうだ、いい加減カーテン買わないと、ついでに物置と化してるソファも古くなってきたし新調しちゃおっかなー。

そんな俺をよそになまえちゃんはまだ少し残っていたらしいホットココアをぐいっと一口で飲みきって、空になった缶をゴミ箱に放り入れ、どうにか俺ん家に行かないで済む方法はないかと思案している様子だった。

が、しかし多分心の底から嫌がっているわけじゃない。俺だって嫌がってる女の子を無理矢理家に連れ込むようなことはしない。そんなん気分悪いだけだし。
彼女は今までの出来事から何かしら俺に恩義を感じてはいるのだろうが、こういった類のことが本気で嫌なら、毅然と断ることだって容易なことのはずだ。
それを歯切れ悪く、顔を赤らめながら複雑そうな顔をしているのだから、まず俺のことが気になりだしてしまっているのは間違いないのだろう。


「ねーえ、もいっこお願い!」
「なんですか!?」
「ごはん作って?」
「なんなんですかあなた!」
「やったー!」
「もう!作るなんて、言ってないです!」


あぁ、やばい、さっちんありがと。ほんとありがと。

こんな夢のような状況、さっちんがいなかったらあり得なかったかもしんない。家帰ったらすぐにさっちんにラインしようと心に決めて、俺と目を合わせてくれなくなってしまったなまえちゃんのことを見て、にやける顔が戻らなかった。
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