あの日から彼は決まって部活帰りにイートインをするようになった。午後6時半を過ぎたあたりからレジに一番近いあの席には【RESERVED SEAT】の札が置かれる。そんな時間にもなると大してお客さんも来ない上に、来たとしてもわざわざ店員に一番近い席に腰掛けるような人など居ないことも重々承知であるが、それでも毎日あの席は予約席である。
今日はどんな話を聞けるのだろう。機嫌はいいだろうか、悪いだろうか、今日もお疲れなのだろう。お腹を酷く空かせていたら少し気前良くサービスをしてあげよう。 平々凡々な日々に些細な会話が加わっただけだというのに毎日が色付いていくようだった。
「あ・・・!いらっしゃいませっ!」
夢の中なのかもしれない
「あの、君、少しいいかな」 「・・・?、わたし?」 「あぁ。」
放課後、わたしの所属している図書委員会の活動のあった日のことである。 その日は月に一度の全ての委員会活動のある日なので、部活や同好会も何もかも全てがお休みをするのだ。しかし様々な部活動が活動をしていないにも関わらず学校内には非常に活気がある。皆で一斉に何かをするので文化祭の準備日のような活気が漂うのである。
図書委員であるわたしも図書室で蔵書の整理や、生徒への図書返却催促の便りを書いたり、新着図書の勧めのポスターなんかを書いたりして過ごしていた。読書の秋と言うほどであるし、皆に沢山の本を読んでもらうにはまさにうってつけの季節であろう。わたしが図書室に是非とも置いて欲しいと頼んだ、ある小説家のエッセイもその日に届いたものでわたしは嬉々としてポスターを書き上げた。
活動を終えればあとは帰宅をするだけだ。今日は部活動がない日なので恐らく紫原くんがお店に来るようなことはないと思うが、万が一があっては困る。きちんと予約席を作っておこう。
そう思いながら階段を降りていた時のことだ。
透き通った風のような声が、音の良く響く階段を伝った。 ふと振り返ると階段の踊り場に一人の男子生徒が立っている。涼しげな佇まいと、左目を覆ってしまう程長い前髪が印象的な美しい男性だった。
「えぇと、何かご用でしょうか」 「あぁ、もし時間があれば教会がどこにあるか教えて欲しいんだ。」 「教会・・・、この学校内のものでいいんですよね?」 「あぁ。」 「構いませんよ。ここからそう遠くもありません。」 「申し訳ないね、これから帰る所だったんだろう?」 「いいんです。」
この学校はミッション系の学校で、校内に教会がある。日曜日には一般にも解放をしてミサをやっているとも聞いたことはあるが、何しろわたしは無宗教なもので参加自体したことがないのだが。 それにしても学校内にあるものにしては大きく、輝くパイプオルガンや細部にまで拘られたステンドグラスなど、立派すぎるものなのである。こちらでも全校生徒が月に一度お祈りをする時間が授業として設けられているが、彼は何故教会の場所を知らないのだろうか。
「助かるよ。夏休みにこちらに越してきたばかりで校内の構造がいまいちでね。」
わたしの心の中での問いに答えるかのように彼が言葉を重ねてきた。しかし彼の言葉に得心がいく。なるほど、それならこの迷路のような校舎のことも良くわからないだろうに。
この学校の他の施設、体育館であるとか図書室であるとか、理科室や保健室も勿論終了時間になれば施錠がされ、立ちいることは出来なくなるが、教会にだけはいつ何時とて鍵が掛けられない。無宗教ながら、そういった来る者を決して拒まないという姿勢を美しく感じていた。
「この学校の教会はとても素敵なんですよ。こだわりがあって、来る者を絶対に拒まないんです。」 「へぇ。君もクリスチャンなんだね。」 「あ、いえ、わたしは・・・特に。でも、それでも素敵だなって思うんです。」 「そうか。僕は実はここへ来る前にはアメリカに住んでいてね。」 「アメリカ!」 「ふふ、そう。国柄、クリスチャンなものだから教会のあるこの学校に酷く惹かれたんだ。」 「そうなんですか。それにしてもアメリカなんて・・・。だってアメリカって英語を喋るでしょう。」 「はは、君は面白いね。」
声を殺してくつくつと笑う彼に、わたしは何かまたおかしなことを言ってしまったのだろうかと思案するが、思ったことを言っただけだ。最近はわたしのことを馬鹿にする人が増えてしまって困る。 彼は見た目に反して案外とお喋りなタイプで、様々な話を聞かせてくれた。アメリカでの生活の話は特にわたしの興味を引いた。こんな片田舎に居ては、遠い異国の香りとは頭に思い浮かべるだけでため息の出る程素敵な話なのである。
更に彼はわたしの一つ歳上であり、正直アメリカが長いものでこちらの生活には何かと不自由がつきまとっているらしい。 もし困りごとがあったら出来る範囲でお助けしますからとわたしが言うと、彼は本当に嬉しそうに笑ってありがとうと言った。
「ここです」 「そうだ、今は教会に向かっていたんだったね。」 「本当に、わたしも途中で少し忘れそうになってました」 「話に夢中になりすぎたよ。」 「全くです。」
彼は苦笑しながら教会の扉を開いた。 夕日の差し込むステンドグラスが美しく輝いていた。同じく夕日を受けるパイプオルガンや天使たちの彫刻や、火の灯っていない燭台を背にした彼は、何か本当に神聖な物のようで、宗教画を思わせる程美しい。
彼は自らを氷室辰也と名乗った。
それでは、また、と自然と口をついて出たわたしの言葉に彼も、また、と返してくれた。
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