※2人が2年生の8月くらいのお話です。
「なまえ、行けるわよね?」 「今度こそ一緒に家族旅行だな!」 「うん!……あれ?」 「なぁに?」 「……模試だ、その日」 「「えっ」」
あつしくんVS理性〜夏〜
「そんなわけで、またわたし旅行へ行けなくなっちゃったんです」 「災難だね〜」 「本当ですよ」 「まぁ俺的にはそっちのほーがいーけどさ」
それは暑い夏の日だった。 高校2度目のIHを終えたあとの短い夏休みに俺は彼女であるなまえとそこらの近所を歩いて回るだけのデートをしていた。 パン屋に二人でいることも勿論多いが、俺たちのデートはいつもそうだ。歩いて、話して、歩いて、話して、それで終わり。最近じゃ靴のすり減るのが早いこと早いこと。
でもそれが俺たちの身の丈にあっていると感じているし、何より気に入っていた。見慣れた景色でも、他愛ない話でも、彼女というフィルターを通した世界はいつも俺の一番のお気に入りだったからである。
そんな中で聞いたのは彼女の両親がまた二人で旅行へ出掛けてしまうということ。決まった日程は彼女の模試の日と被っていたのだそうだ。なんだかこの頃以前より増して勉強に力を入れているなまえがこの機会を逃すはずがなかった。両親は肩を落としたけれど、どうにか説得して二人きりで行ってもらうことにしたのだとか。 俺的にはなまえの居ない生活はこの上なくつまらないので旅行なんぞ行ってしまわなくて幸いであったのだが、彼女が旅行の機会を逃すのはこれで二回目になる。行きたかっただろうに。
「そう、それで、せっかくですから二人の旅行中のどこかで敦くんうちへ泊まりに来きませんか?」 「ぶっ!!!!」 「どうしました!?」 「どーしたもこーしたもねーよ!!泊まりってなんだし!!」 「だから、旅行へ行っている間は両親が居ないから、敦くんも気兼ねなく過ごせるかなぁと思ったんですけど………」 「だから…それイミ分かってんの?」 「?」 「……………………」 「その、家に1人って、結構さみしいんです。でもい、嫌でしたよね……、」 「…………………いや、行くけど………」 「ほんとですか!?」 「………………」 「嬉しい、ありがとうございます。」 「いや、何されてもマジ文句言えないからね。」 「?、美味しいご飯、作りますね!」
無邪気にそう言い放った彼女の笑顔に俺はもうぐうの音も出なくなってしまっていた。これは恐らく何も分かっていない。高校二年生にもなって付き合っている男女のお泊まりと聞いてそういうことを連想せずにいられる人物がいるとは、恐ろしいものだ。
「(なまえ、けっこー胸デカいんだよな……)」
夏場に入って薄着になった彼女の胸がそれなりに大きいことに気付いた俺はお世辞にも頑丈とは言えない自分の理性を鍛え直すべきかとか、そんな的外れなことまで考えていた。
***
そうは言っても、だ。
来たる8月19日。彼女の家へ招かれたその当日、俺は昼過ぎまで行われた部活を終えて彼女の家のドアの前に立ち尽くしていた。 何か手土産でもと練習帰りいつものコンビニへ立ち寄り、何種類かのお菓子を買うついでに俺の目についたのは、アレである。アレというのも、男女の安全かつ健全な交わりに欠かせぬ例の薄いゴム製のアレだ。散々考えた挙句に震える指でそれをどうにか手に取り、既にお菓子で溢れている買い物カゴへと放った。売られている中では一番大きなサイズであるが、いざその時になってサイズが合いませんでしたなんてことになったらシャレになんねーなと顔を引きつらせてレジへ向かう。
コンビニ常連客である上に一度見ればそうそう忘れないであろう長身を有する俺はとっくにこの店のどの店員にも顔を覚えられていたので、いつも購入する大量のお菓子に混じるその小さな箱を見たとき、レジ担当の男性店員の手が一瞬止まった。
「……遂にですか、頑張ってくださいね」
不敵な笑みと共に放たれた店員の言葉にバツが悪くなって思わずハハ、と乾いた笑いを返す。 やめろ、やめるんだ森本店員、その優しく弟の成長でも見つめるかのような温かい眼差しをやめるんだ。
そうは言っても、だ。
俺は未だ玄関前に立ち尽くしたまま、重要なことを思い出していた。
ーーそういえば、俺たちキスもまだじゃん。
「あれ、敦くん。来てたならインターホン鳴らして下さいよぉ」 「!?!?」
深く思考に耽っていた俺は、目の前の扉が音を立てて開いたことにも気がつかなった。俺が必要以上に驚いたのを見て彼女も飛び上がって驚いて目を丸くしている。あーもうかわいいなー。
「あ、あー、ごめんごめん、今鳴らすとこだったの」 「そうでしたか。遅いなぁと思ってなんとなく見てみたらいたのでびっくりしちゃいました。」 「ごめんねー」 「いえいえ、とんでもないです。わたしが早く会いたくて、先走っちゃったんですから。」
…うわぁ、我慢出来る気がしない。
「あっ、えーっとこれ、お菓子!お土産!」 「わぁ、お菓子たくさん。ありがとうございます。ご飯の後で食べましょうね。」 「ん」 「あれ?この箱は?これ、お菓子じゃないみたいですけど…」 「ああああああああ!!!!!」 「!?」 「な、なんでもない!!!なんでもないから!!!忘れて!!ね?」 「は、はぁ…」 「ほんとになんでもないから!!!」
目にも留まらぬスピードでコンドームの入ったその箱をなまえの手から取り上げ、自身のパーカーのポケットに仕舞い込む。ゴムの入ったままの袋をうっかり彼女にそのまま渡してしまうだなんてどれだけ自分は緊張しているんだ。 尚もぽかんとした様子でこちらを見上げるなまえはゴムの箱を見てもそれが何かまでは理解しなかったようである。安心したような、若干残念でもあるような。
「と、とりあえず上がって下さい!暑かったでしょう?」 「う、うん、おじゃましまーす」
未だバクバクと鳴り止まぬ心臓を抑え込みみょうじ家の敷居を跨ぐと、いつものなまえの香りに包まれてほんの少し心が落ち着いたのが分かった。 ふぅ、と一息ついて靴を脱ごうとしたとき、ふいに腰の辺りに温かさを感じる。何かと思い、ふと目線を下げると何となまえがぴとりと自身に抱きついているではないか。 なんだというのだ、今日は我慢大会か何かなのか。 薄手の半袖を身に纏う彼女の胸の柔らかさと大きさをありありと感じながら、今年の年間「この我慢がすごい!」大賞に選出確定であろうと思われるほど落ち着き払った、余裕タップリの平生の声色を作り出すことに自分は成功した。
「どしたの?珍しーじゃん」
そう言うと、自身の胸に頭を押し付けていたなまえがほんの少しその真っ赤な顔を上げてこちらを上目遣いに見つめた。しかしやはり羞恥が勝ったのかその視線はすぐに逸らされる。
「…最近、外でしか会ってなかったから、こういうことしてないなって」 「そっかぁ、じゃあ俺もお返し〜」
しがみついているなまえをひょいと自分の目線辺りまで持ち上げてそのままぎゅうっと抱き込む。完全に抱えられている形のなまえは最初こそわたし重いから、恥ずかしいから、と抵抗していたがそのうち観念したのか肩口に顔を埋めて抱きしめ返して来た。 なまえは例え人っ子一人見当たらない場所であろうとも野外でのスキンシップを極端に嫌がる。許されるのはせいぜい手をつなぐことくらいであるが、他のことはあまりに拒否されるのでもしかして嫌われているのではないかと疑うほどの始末であった。しかしこうして二人きりになると最近は人一倍甘えてくるので可愛くて仕方がない。
「今日はずーっと一緒にいれるねー」 「…はい、今日はいっぱいこうしてください」
…やっぱりなまえは、襲われても文句が言えないと思うんだ。
***
「あ、もぉー。わたしがいない間にまたたくさんお菓子食べてー。ダメですよ、敦くん」
無事に夕飯を終え(ちなみに今日は超美味いオムライス)、先に風呂に入らされて、その後なまえが風呂へ向かった。 再び一人きりになると謎の緊張がじわじわと迫りくるのが分かった。自分で持ってきた菓子を自分で次々に消化していたのは全くの無自覚のことで、なまえに指摘されて初めて自分が菓子を食べていたことに気付いた程である。だってなまえの家へ泊まるのは確かに二度目にはなるが、前回のはほとんど事故だし寝落ちしたし、そん時には付き合ってもなかったし。 そして風呂から上がったなまえはまた、直視できないくらいにはアレである。
「それとも、ご飯少なかったですか?ごめんなさい。」 「んーん?そんなことないよー。でもお菓子は別腹じゃん?」 「なんか、女の子みたいなこと言うんですね。」 「そこらの女の子よりはお菓子のこと愛してるもん」 「それもそうですね、あ、それ美味しそう。一口下さい」 「いーよー。はい、あーん」
くすくす笑いながら俺の横に腰掛けたなまえは少し照れながらも素直に口を開けた。寝間着なのか、襟ぐりが広めに開いたタンクトップからは俺の目線から見下ろすとまざまざと谷間が見せ付けられていて思わず喉を鳴らす。 無意識に自身の寝間着であるジャージのポケットにゴムが入っているかを確認していた。 そろりと細い腰に手を回すとなまえは嬉しそうに胸へすり寄ってくる。あぁ、いい匂いするし、あれ?これってなまえも満更じゃないかんじなんじゃねーの?
「じゃあ、そろそろ寝ましょうか!」 「………………」 「敦くん?」 「…え?あぁ、そーだね…、寝よっか…」
ぱちくりと目を瞬かせるなまえはやっぱり何にもわかってない。まぁそこが可愛いんだけどね、苦笑しながらそう思い直して先に立ち上がっていたなまえをお姫様抱っこするとまた小さく抵抗を見せたが次第に控え目に首に腕を回して来た。
「なまえの部屋どこー?」 「二階の、一番奥の部屋ですよ」
お姫様抱っこしたまま上のフロアへと続く階段を登り、 彼女の部屋を開ける時にはまた別の意味で緊張した。だって、なまえの部屋ってそういえば入るの初めてだ。 ドキドキを隠しつつ扉を開いて目に入るのはなんとも女の子らしい愛らしい部屋。クマだったりウサギだったりいくつものぬいぐるみが立ち並び、パステルピンクのカーテンにレモンイエローのカーペットというもう予想を裏切らないどころか大幅に超越してくるという仕打ちには目頭を押さえて男泣きしたくなってくるほどである。羨ましいだろう、俺の彼女がこんなにも可愛い。
「キレーな部屋だね〜」 「昨日、頑張って掃除しちゃいました。敦くんが来てくれるから。」 「今度俺の部屋掃除しに来てよ」 「また汚くしてるんですか?もう。」 「へへ〜」
部屋の隅に位置する、薄紫のシーツのかけられたベッドへようやく彼女を降ろすと、忘れかけていた現実的な問題が舞い込んでくる。
「で、えーと。」 「はい?」 「俺はどこで寝れば…」 「えっ、一緒じゃだめですか?」 「……………」 「やっぱりちょっと…狭いですかね…」
今すぐにでも押し倒してやりたい衝動は何とか抑え、尚も困ったようにこちらを見つめるなまえの横へ腰掛けた。実際問題、ここで一緒に寝たら本当にいよいよヤバい気がする。今までどうにか脳内我慢大会で己の欲望を相手にギリギリ勝ち越して来た苦労なんかも全てが水の泡となってしまうわけだ。 が、しかし。
「…ちょっと狭いけど、どーにかなるよねー」 「はい!わたしが、詰めます!」 「はは、いーよ詰めなくてー」
紫原敦、据え膳食わぬは男の恥、古き良き格言に従わせていただきます。
二人してベッドに横たわるとなまえがいたずらっ子のようにふふふと笑った。愛しいなぁ、寝転がると身長差がなくなるんだなぁ、そんなことを考えながらなまえのサラサラとした黒髪を撫でつけているとどういうわけか、先ほどまでの悶々としていた欲が小さくなっていくのを感じる。 撫でているのとは逆の手をなまえの手と繋ぐと、なまえは嬉しそうにまた笑った。あぁやっぱり、大事なんだもん。大事にしたいなぁ。
「敦くん」 「んー?」 「わたしね」 「うん」 「最近、勉強頑張ってるんです」 「そうだね」 「行きたい大学が、決まって」 「……そっか」 「栄養士になりたいんです」 「栄養士?」 「はい。敦くんのこと、ちゃんと支えてあげられるようになりたくって。」 「え…」 「東京の、管理栄養士の資格が取れる大学です。」
胸の中に言い表しようのない温かな気持ちが流れ込んでくるのが分かった。クーラーの効いているこの部屋で、自分の手足の先からじわりじわりと暖かくなってくる、胸がいっぱいになる、この気持ちは何と言えば良いのだろう。 やっぱりこの子が好きなんだ。大好きなんだ。
「まじで」 「まじです」 「大学、東京?」 「はい」 「まじで」 「まじです」 「離れ離れになんない?」 「なりませんよ」 「…一緒に住もうね」 「はい」 「嬉しい、ほんとに」
心臓をぎゅっと鷲掴みにされた気分だ。 自分は大学を東京に決めているので正直言って彼女のことも東京の大学へ進学するよう誘い込みたかったが、彼女には実家のこともあるし何より無理を言って困らせてしまうことと進路を阻んでしまうのが嫌で、高校卒業後は遠距離恋愛を覚悟していたのである。 それが彼女は東京へ来ると、そしてそれも自分のことをサポートできるようになるためであると。 こんなに嬉しいことはなかった。
「はー、もう。よかった」 「そんなにですか?」 「うん」 「よかったです」 「なまえ、好きだよ」 「は、はい、わたしも。好きです。」 「あのさ」 「はい?」 「キスしていい?」 「えっ!」
瞬間、なまえの顔が火でもついたように赤くなった。否定も肯定もせずにぱちぱちと瞬きだけを繰り返す様子にくすりと笑みを零して、覆い被さる。観念したように目を閉じたなまえに、一瞬触れるだけのキスをした。 柔らかい感触と甘い匂い。くすぐったくて満たされた気持ちでいっぱいになって、唇を離してからも目をキツく閉じたままのなまえの頬にもう一度唇を落とした。
「……レモンの味、しませんでした」 「何の味した?」 「もう、……わかんないです、緊張しちゃって、覚えてない」 「じゃあ、もっかいしよっか」 「………はい。したいです」
意外にもそう言ってまた目を閉じたなまえに呆気に取られながらももう一度だけ唇を合わせた。 そのあとはもう、お互いに照れ臭くてちょっと顔を赤くしたまま笑い合って、瞼の重くなってきたなまえのことをぎゅっと抱き締めながら眠りに就いた。
俺と理性との戦いの第一回戦はこのようにして、俺の余裕の一人勝ちにて幕を閉じることになったのである。
(で、それで結局アツシはなまえちゃんに手を出してない…?) (だからなんだよ!) (信じられないな…同じ男として大問題だ) (それでも男アルか) (あー!!もううっせーよ!!これでよかったの!!)
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