fantasma | ナノ





確か、1番最初に彼と話したときにはわたしは何だか怖くて彼を見上げることも、顔を見ることも出来なかった覚えがある。

1番最初に見かけた時など、彼のことをお化けだと思ってしまったのだっけか。



fantasma



それからわたしたちには実にいろいろなことがあった。
彼はかなりの甘いもの好きだったり、手の掛かる子どものような面を見せたと思ったら、頼り甲斐のある人であったり、なによりその実バスケットボールの神様で。それなのに勉強は赤点を制覇してしまうほどにからっきしだったり。

わたしのことをからかう顔、わたしが彼をからかった時の顔、褒めてあげた時の顔、わたしの作ったご飯を嬉しそうに食べる顔、わたしが氷室さんにキスをされて怒っていた顔。
ーーそしてなにより、うちのパンを美味しそうに頬張る顔。


彼と過ごした時間がどれもこれも輝いて、どれもこれもが昨日のことのように思い出される。
我儘だけれどなんだかんだと努力家で、甘えん坊で、ぶっきらぼうな優しさが温かいから。

わたしは彼に恋をしたのだ。



わたしは腹を決めて、今しがた閉めたばかりの家のドアを騒がしく開け、今度こそは雪に足を取られぬように走り出した。

道路を挟んだ向こう側の歩道に、コンビニから出てきたばかりの敦くんが見える。
空を見上げており、わたしには気付いていない様子の彼の後姿を見て、わたしはもう迷うことはなかった。


「敦くん!!!」
「なまえ!?」


驚いて歩を止めた敦くんのもとへわたしは再び駆けて行く。
車道を渡り切って不思議そうな顔をしたままの彼を見上げた。



「なまえ、どしたの?」
「はぁ、はぁ・・・、ええと」
「忘れ物、とか?」
「・・・そう、忘れ物です。」
「なーに?」
「言い忘れていたことがあって。」
「うん。」
「今じゃなきゃ、いけないような気がしたんです。」


わたしは走ってきて乱れた息を漸く整えて敦くんの瞳としっかり目を合わせる。

これほどまでにこの身長差をもどかしく感じることは後にも先にもない気がした。


「敦くん、好きです。」
「・・・えっ?」
「わたし、敦くんのことが好きなんです。」
「えっ、待って、」
「それだけ、なんですけど。」
「な、なまえ、」
「じゃ、じゃあ、ひ、引き止めてしまってごめんなさい。今度こそ、おやすみなさい。」
「まっ、待って!!ちょ、まっ、て・・・」


再び走って逃げようと踵を返したわたしの腕は案の定敦くんによって簡単に掴まれてしまった。

勢いというのは本当に怖い。
先程までは緊張なんて欠片もしていなかったくせに勢いに任せて想いを告げてしまった今の方が、怖くて震えて、彼の顔を見ることすらできないのだ。


「・・・ごめん、びっくりして、」
「・・・・・・」
「・・・こーゆーのってさ、女の子に言わせるモンじゃないよね。本当なら。」
「・・・?」
「まさか、なまえも俺のこと好きだとは思ってなかったから。先越されるわけねーと思ってて・・・」
「さっきから、な、なに、を・・・」
「好きです。俺も、なまえのこと。」
「・・・!」


わたしは思わずばっと、彼の方を振り向く。彼はわたしの腕を握ったまま、唇をきつく結んで、眉を寄せて、今まで見たことのない真剣な表情をわたしへ向けていた。

彼の告白を聞くのは実を言わなくても二回目で。
それでもあのうわ言のような時とは比にならないものだと深く感じる。彼の手は小さく震えていて、そこからその想いがわたしの全身に伝わるようだ。

わたしは早く何か言わなくてはならないというのに、何の言葉も思いつかずにぱくぱくと口を開閉させることしか出来なかった。


「・・・・・・、なまえ、」
「は、はい・・・」
「好きです、」
「わ、わたしも、」
「ほんと、に?」
「当たり前、です。」


わたしがそう言い切ったところで、敦くんはわたしをゆっくり、力強く抱きしめた。
わたしも緊張で体をかちこちに固めながら、ぎこちなくも彼の背中へ腕を回す。

彼の心音は驚くほど速くて、彼の香りを真近に感じて、わたしは何故だか泣きそうになった。


「今俺、泣きそう、」
「わたしだって」
「なんかやっと、実感沸いたっていうか」
「わたしも嬉しくて、息が止まりそう、です」
「止まっちゃダーメ。」
「わかってます、」


お互いくすくす笑い合って抱き締める力を強めた。もしかしたら彼の力は強すぎてわたしは今息苦しいのかもしれないが、それも良くわからない。幸せ以外を感じることができないのだ。
この喜びが夢でないようにと、それだけを祈っていた。


「ごめんね、好きって、先に言わせちゃって。」
「ふふ、実は、そんなこともないんですよ?」
「え?」
「わたしが、この間敦くんの看病に行ったときです。眠る前に敦くん、わたしに言ったんですよ。」
「・・・えっ?」
「好きですって。」
「嘘・・・」
「敦くんは覚えてないみたいですけど」
「・・・・・ほんとに?」
「はい。でも、それが嘘なのか本当なのか、恋としてなのか友情としてなのか、までは、分かりようがなくて。」
「・・・・・・」
「きっと深い意味はなかったんだって思い込むようにしていたんですけど、どうしても伝えたくなってしまって。」


敦くんはわたしを抱きしめていた力を緩めて、正面から向き直る。

真っ直ぐに見つめて来る視線がわたしは今までにないほど恥ずかしくて仕方がなかったが、逸らすことだけはしなかった。


「うわー・・・、俺、超かっこわりーね・・・」
「そんなこと。」
「ほんと重ね重ねごめん。」
「今日は随分素直ですね?」
「はは、今日くらいはねー。さすがに。」
「さすがに。」
「はー、でもこれで、なまえは俺の彼女なんだね?」
「か」
「か?」
「彼女、なんて、大人です・・・」
「そーお?俺たちコイビト同士なんだから普通でしょ。」
「こ、恋人・・・」


わたしはまた恥ずかしくなってしまって俯いていたのだが、ふと彼を見ると彼もまた顔を真っ赤にしている。

出会った頃は真反対の、わたしとは対極にいるような人だと感じていたが、最近は結構似たもの同士かもしれないと思うことが増えた。


「・・・さて、敦くん」
「ん?」
「もう帰りましょう。」
「は!?この雰囲気で良く言えたね!それ!」
「わたしの性格、ある程度は知っているでしょう?」
「そーだけど、ヤダ!無理!もっと一緒にいたい!!」
「ダメです。」
「俺のこと好きなんじゃないの?」
「す、・・・好きです、けど」
「ならあと5分だけ、お願い。」
「ダ、ダメです。」
「えぇ〜?」
「わたし敦くんがお帰りになるの、待ってますから。」
「・・・・・・」
「帰って来たら、その・・・デート、しませんか?初詣とか、したいです。」
「行く!!」
「だから今日はもう、お開きですよ。」


彼はかなり渋々ながらも納得してくれた様子だった。

最後にもう一度ぎゅっとわたしを抱きしめて、のろのろ足を動かし始める。それなりに長い、曲がり角への道を彼は意外にも一度もわたしの方を振り返らずに歩き続けて居たが、最後、角を曲がる瞬間に立ち止まって大きな声でわたしに大好き!と叫んだ。

不意打ちとやらの破壊力は底知れぬものでわたしは何を返すこともできずに、直立不動のまま曲がり角を曲がった彼を見送ることになってしまった。


ーー待っています、敦くん。

彼の姿がとうに見えぬようになった頃、彼には到底聞こえやしない、小さな小さな声でわたしはつぶやいた。


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