この片田舎でもクリスマスにはイルミネーションの灯りが所々に輝く。
民家などに施された申し訳程度のイルミネーションを見るのがわたしの楽しみの一つでもあったのでこの季節は大抵心が踊るのだが、ここまで心の踊らなかったクリスマスイブというのはかつてあっただろうか。
キリスト教を信仰しているわけでもないのに、折角のクリスマスイブには特別に想っている人と過ごしたいなどと不躾な、半端な信仰心を持ったのがいけなかったのかもしれない。
夜更けの三段雪だるま
25日の昼の新幹線で大会のために東京へ向かうと言った彼は、向こうへ行く前にもう一度でもお店へ行けたら、とも話していた。 そのためにこの12月24日という特別な日を、わたしは朝から晩まで、お店の手伝いをして過ごしたのだ。彼は来ないかといちいち外を伺いつつ、クリスマスケーキの注文をしてくれたお客さんたちの幸せそうな笑顔を羨ましく感じながら、わたしは待っていたのである。
そして結果から言えば、彼はやっぱり来なかった。 学校は22日に二学期の終業式を終えてしまっていて、もう、学校へ行ったって会うことなど出来ない。
しかし店仕舞いをとっくに過ぎた時間になっても、わたしは店の灯りは消さないでおいた。暖かいコートと、長いマフラーと、何枚かの毛布と、お気に入りの本。それらを持ってわたしは微かに暖房のついた店内のカウンターに座って彼が戸を叩きはしないだろうかと首を長くして待っていたのだが、気付けば日付の変わる頃合いになっていたのである。
さすがに、今日はもう来やしないだろうと悟ったわたしはまたもや読破してしまったその大好きな本をぱたりと閉じた。
短く吐いたため息が白い息に変わって急に寒さを感じる。それでもどうしても縛られたかのようにここから動けなかった。 ふと振り返ると彼のいつも座っていた、あの席。 いつもと言っても、最近はめっきり来ていないのだ。最後にここへ彼が座っていたのはいつだっただろうかと思い返さなければならないほどなのだから、相当に昔の話のようにも感じる。
窓の外には雪が降り続けていた。 ホワイトクリスマスでなかった年が、わたしが生まれてから今までに一度でもあっただろうか。
わたしは何も考えずに外へと繰り出した。この降り積もる白に吸い込まれたようだった。
「寒い・・・」
独り言は冷たい空気に吸い込まれる。 正面のコンビニがこのホワイトクリスマスの中不憫にも元気に稼働しているのにくすりと笑いを零してわたしはゆっくり歩き始めた。 日付の変わるような時間、危なくないとは言い切れないというのに、行きたい場所があったのだ。
それというのは世界で1番美しい雪を見た場所。
それはちっとも特別な場所なんかではない、しかし一緒に居た人が特別だった。それもせいぜい二週間前ほどの話なのだが、どうにも昔に思えて仕方がない。 手を繋いで、一度だけ彼と二人で訪れた小さな公園。
夜目にその公園が見えてくると、子どもたちが昼間に作ったであろう大きな雪だるまも目に入った。 それも雪玉が二つではなく、下半身、胴体、頭と雪玉が三つ存在する外国流とでも言うべき雪だるま。 この辺りに住む子どもは珍しいものを作るのだなぁと公園の入り口まで来て、感心をした時だった。
ーーなまえ?
突然敦くんの声が聞こえたような気がして、わたしはバッと勢いよく振り向いたが、当然誰もいやしなかった。足跡だって、わたしのものしかない。 幻聴が聞こえるほどになるとは、どれだけ彼に会いたいのだろう。
ーーなまえ、こっち。
再び聞こえた声にわたしは驚いてキョロキョロと辺りを見回す。 何度確認したって目の前には遊具と、時計台と、雪だるましかないはずである。
しかしその瞬間、大きな雪だるまの影からそれよりももっと大きなものがぬっと現れたのだ。
「あ、っ敦くん・・・!」
わたしは悪戯っぽく笑った敦くんのもとへ駆け出した。 しかし、途中で予想よりも深く降り積もっていた雪に足を取られてわたしは盛大にこける。確か前に二人でここに来た時には彼が転んでいたのだが、立場が逆転してしまった。
「ちょ、だ、大丈夫?なまえ・・・」 「・・・・・・はい・・・。」
わたしが恥ずかしさからゆっくりと顔を上げると、くつくつと笑いを堪えながらこちらへ駆け寄って来る敦くんが見える。 目の前まで来て、彼がわたしを立ち上がらせたときに彼の手がわたしに触れて、目の前の彼が幻聴でも幻覚でもなかったことを漸く理解できた。
「あ、つし、くん。何でこんな時間に、こんな場所に・・・」 「なまえこそなにしてんだよ。こんな時間に危ねーじゃん。」 「敦くんだって、明日から東京でしょう?出歩いて良いような時間じゃないと思いますけど。」 「俺は男だからいーの。」 「そんなこと言ってまた風邪引いても知りませんからね。」 「引いたら東京まで看病来てよ。」 「絶対行きません。」 「えー、ケチ!」
いつも通りの彼だ。 ケラケラと笑って、冗談を言ったり、わたしをからかったりする、わたしが会いたかったいつもの敦くん。 幻覚なんかじゃないと分かりながらも、今度は夢でも見ている気分になってきた。もしも夢であったら、何て都合の良い夢なのだろうか。
「いや、何あったのか知らねーけど冗談抜きでこんな時間に1人で出歩くのは危ねーって。」 「・・・ごめん、なさい。」 「ん。許す。」 「ふふ。出てきたのは、なんとなくだったんです。なんとなく、この公園に来たくなって。」 「・・・俺も。」 「・・・敦くんに、会いたかったんです。」 「・・・・・・」 「本当に会えるなんて思っていたわけじゃないですけど、せめて、前に一緒に来たここへまた行きたくなって。」 「・・・・・・そ、っか。」 「・・・はい。」 「ごめんね。行くって言ったのにお店、行けなくて。」 「いえ、お忙しかったんでしょう?」 「・・・うん。」 「すべては、明日からのウインターカップのため、ですもんね。」
わたしはなんとはなしに目の前の三段雪だるまに手を触れた。取っ手が黄色で、赤の可愛いバケツの帽子を被せてもらっているそれを撫でる。 昼間に元気な子どもたちが走り回りながら作り上げた様子が目に浮かぶようだ。
「可愛いでしょ、それ。」 「はい、きっと子どもたちの自信作なのでしょうね。」 「へへ、そうだよ。」 「・・・?」 「それ、俺の自信作。」 「・・・・・・これ敦くんが作ったんですか・・・」 「何その落胆ぶり・・・」 「いえ、落胆だなんて・・・ちょっとしていますけど・・・」 「なんでよー!」 「うそです。上手ですね。」 「こないだバスケ部で雪だるま作ってたらさー、室ちんに怒られちゃったよ。なんで日本人が作る雪だるまには頭がないんだ!ってさ。室ちんだって日本人だっつーの!」 「ふふ、それで、三段雪だるまなんですね。アメリカのには胴体がありますからねぇ。」 「みたいだね。でもなんか不自然だよなー。」
そう言って首を傾げた敦くんの鼻の頭は真っ赤だった。どのくらい前からいるのかは知らないが、ここでまた風邪を引いてしまっては今回こそ本当にシャレにならない。 会えたばかりで帰りたくなどないが、たった数分だけでもわたしは嬉しかった。
「・・・敦くん、帰りましょう」 「え?」 「本当に、今は大事なときでしょう?帰って、早く寝て下さい。」 「・・・・・・うん。」 「たったの少しでもお会いできて、とても嬉しかったです。明日から、頑張って下さい。」
これ以上ここへいてはきっと更に帰りたくなくなるだけだろうと経験から学んでいるわたしはさっさと出口へと足を向けた。 ここの公園から右へ曲がる道はわたしの家へ通じ、陽泉高校の男子寮はその真逆。ここでお別れだ。
しかし、その時わたしの手をもこもこの手袋に包まれた敦くんの手が、掴んだ。
「送るから、」 「・・・でも・・・」 「さすがにこっから1人で帰すのは出来ねーって。その、男として。」 「・・・それなら途中の暗い道までで、結構です。本当に。」 「あっ、俺そーいえばコンビニに用あったんだったー。」 「敦くん・・・。」 「ほーら、行こ行こ。」
わたしは見え見えの嘘をつかれて頬を膨らませたが、敦くんはそのままわたしの手を引いて歩き出してしまう。
ーーああ、やっぱりわたし、敦くんのことが好きだ。
観念せざるを得なくなったわたしは彼の手をきゅっと握り返した。
「コンビニで何を買うんですか?」 「あー、・・・えーっと、んー、と・・・、」 「なんですか?」 「・・・おでん・・・」 「もう・・・。嘘をつくならもうちょっと考えてからついて下さいよ。」 「へへー。でもホントにおでん食べたくなってきたなー。」 「でも、ありがとうございます。」 「・・・ん。」 「・・・嬉しいです。」 「うん・・・。」
ーーこの帰り道が、ずっと続けば良いのに。 だなんて、ありふれたラブソングで使い古されていそうな表現だけれどまさに、そうなのだ。使い古されているということはきっと、沢山の人が同じようなことを思ったのだろう。 今日お別れしてしまえば、次に会うのは恐らく早くて三学期の始業式の日か。 自分から帰ろうなどと言い出しておいて実に勝手であるが、少しでもこの道が長くなれば良いのにと思っていたところで、無常にもわたしの家は見えて来てしまうのだ。
そういえばわたしはまた両親に何も告げずに家をでて来てしまったが、さすがの二人も深夜にわたしが居ないとなれば心配しているだろう。
家の前に着いて、わたしはぱっと、手を離した。 これはすぐに離さないと、兎に角名残惜しくなるのだ。
「ええと、敦くん。ありがとう。」 「・・・ん。」 「本当におでんを買って帰るなら、あまり買いすぎないようにして下さいね。」 「はーい。」 「・・・・・・じゃあ。」 「・・・なまえ、」 「なんですか?」 「お、おやすみ。」 「おやすみなさい、敦くん。」 「・・・うん。」 「頑張って来て下さい。」 「・・・うん。」 「じゃあ、本当に、行きますから。」 「うん。またね。」
最後にもう一度だけ、二人でおやすみなさい、と言ってわたしは家へ入った。パタン、といつものドアの閉まる音がして、わたしは閉まった扉にずるずるともたれ掛かって、座り込む。 たった数週間の別れが、こんなにも苦しい。
おやすみ、と言って笑った敦くんの顔がどうしても離れてくれない。
わたしは無意識にも再びのろのろと立ち上がっていた。
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