今日は空が果てしなく青い。
ここのところ毎日のように雪の降る日々だったのでこの束の間の晴天に心踊らぬわけではないが、どうにも心の中まで快晴とはいかなかった。
雲間と晴れ間
「あれ、みょうじさん。」
昨日、あれから数時間が経った頃だった。 彼の放ったおぼろげな、嘘とも真ともとれぬ言葉にわたしは呆然とするしかなかったのである。
敦くんは静かに寝息を立て続けるだけで、わたしも彼の手を握りしめたまま。ただひたすらにぼう、としていたら数時間が経過していたというわけだ。 しかし突然ドアをノックする音が聞こえて我に返り、そういえばわたしはここにいてはまずいのだったと思った時には既にドアは開いて、驚いた様子の氷室さんがそこには立っていたのだった。
「ひ、氷室さんでしたか・・・よかった・・・。」 「ふふ、まだいたんだね。こんな時間だからてっきりもう帰ってるだろうと思ってたよ。」 「その、敦くんとても辛そうにしていたので。今はもう大丈夫そうですけど。」
眠る前は夜になったせいか熱が上がって辛そうにしていたものの、今はその面影もない。時計は間も無く9時半を跨ぐところで、わたしは彼を起こさぬよう、繋いでいた手をゆっくりと優しく解いた。その時に少し身じろぎをしたのには驚かされたが、短く唸った彼は起きる気配もなく眠りの世界にいるままである。よかった。
単純に気持ち良さそうに眠る彼を起こしたくないという心情と、今起きられてしまってもどんな顔をして彼と話せば良いのかわからないから、どうしても起きて欲しくない。二つの想いがあったのは確かだ。
「・・・・・・何かあった?」 「え?」 「アツシに、何かされたのか?」 「えっ?そんな、あり得ない、です。何でそんなことを・・・。」 「気を悪くしたなら謝るよ。何だか元気がないように見えたから。」 「そ、そうですか?わたし今とっても眠いんです。そのせいだと、思いますよ。」 「なら、いいんだけどさ。」 「・・・・・・・・・」 「ところで、みょうじさんはそろそろ帰った方がいいんじゃないか?ご両親も心配するだろうし何より、病人とこんな長い時間同じ部屋に居るのは良くない。」 「それもそう、ですね。」 「でも、目が覚めた時にアツシに怒られそうだ。」 「?」
ーーアツシは起きた時にはきっとみょうじさんに側にいて欲しかっただろうからね。
もしも、敦くんのあんな言葉を聞く前だったなら、こんな氷室さんの言葉にもからかわないで下さい、と真っ赤になって腹を立てていたのだろうが今となっては苦笑いしか返すことの出来ない話であった。 そんなわたしにやはり不思議そうな顔をした氷室さんであったが、それ以上は追求をせずに帰りにベランダのバルコニーを越えるのを当然のように手伝って下さった。勿論、気を付けて帰ってね、という言葉を彼が忘れるはずもなく。
氷室さんといえば飄々としていて計算高いのも事実だが、やはり優しく紳士的な兄のような存在を思わせる。
わたしは敦くんをお願いします、と小声で返し、深々とお辞儀をしてから帰路へ着いた。
***
そうして、今日に至る。 あんなに長い間体調の優れない風邪っ引きの近くにいたというのにわたしには体調不良の兆候は何一つ現れやしなかった。やはりわたしという奴は体だけは非常に丈夫な奴である。
授業と授業の合間の短かな10分休み、わたしは友人たちと話す気も起きずにひたすらに外の景色を眺めるばかりであった。相も変わらず外は晴天を貫き通しており、その陽射しはぽかぽかとわたしの身体だけを温める。
昨日あのような熱を出していては今日も勿論学校を休んでいるであろう彼に思いを馳せた。 少しは体調も良くなっていると良いのだが。
次はいつ、会えるのだろう。
お店へやって来るだろうか。
それとも廊下なんかで偶然会うかもしれない。
しかし会いたいようで、会いたくない気もする。 わたしはあの言葉の真意を確かめるだけの勇気なんて持っているはずがないから。
「あ、みょうじさん、」 「・・・ん?」 「紫原くんが呼んでるよ。」 「えっ?」 「外の廊下に居るってさ」 「え、ええ!?」
そんな、そんなのって、早すぎやしないだろうか。 わたしは言伝をしてくれた男子生徒にお礼を告げ、椅子からガタリと騒がしく立ち上がって廊下へ急いだ。廊下に出るすんでのところで髪や制服を軽く整えて深呼吸をする。
一歩廊下へ踏み出せば、壁へ寄り掛かっていた敦くんがわたしを見てへらりと笑った。わたしもつられて、笑顔になる。 しかし、それと同時に思い出すのは昨日の出来事であるのだった。
「なまえ、昨日はありがとね。」 「いえ、そんな・・・。それより昨日の今日で学校へ来て大丈夫なんですか?わたしはてっきり今日も学校を休んでいると思っていたんですけど」 「うん、全然へーき。朝練だけ休んだけど午後練からは普通に出るし。」 「無理、しないで下さいね。」 「・・・・・・なまえ?」 「は、はい?」 「・・・なんで、全然目ェ合わせてくんないの?」
そう、わたしは最初に目が合ったきり、敦くんと目を合わせることができていなかった。氷室さんほどではないが鋭い敦くんはそんなわたしを不自然に思ったようで、わたしは恐る恐る彼の顔を見上げる。 彼は非常に怪訝そうな顔をしていてわたしは思わず身体を震わせた。
「ご、ごめん。怖がらせるつもりなんかなかったんだけど。」 「そんな、こ、怖がってなんか・・・」 「・・・・・・俺さ、昨日なんかした?」 「・・・え、えと・・・」 「途中から、全然記憶なくて。いつ寝たのかも覚えてねーんだ。」 「そう・・・でしたか」 「なんか、したんなら謝るから・・・ごめん。ごめんね。」 「なっ、なんにもしてませんよ!敦くんが、なにかするわけないじゃないですか!」 「・・・本当?」 「勿論です!」 「・・・・・・・・・」
敦くんは未だ不満そうではあったが、目を合わせて笑ってみせたわたしに少しは安心したらしかった。 やっぱり、彼はあんな虚ろな状態で放った言葉など覚えていなかったようである。だからといってあの言葉が嘘とも限らぬが、わたしのことが好き、というのはもしかしたら友人としての意味合いかもしれないのだからきっと自意識過剰に思い詰めすぎていたのだ。 そう考えれば先ほどまで突き刺さるようであった彼の視線も優しい眼差しに感じる。
それにしても彼はこんなにも早く元気になって学校へやってきたのだ。これを喜ばずして、何を喜ぼうか。
「それにしても、大切な大会前に風邪が良くなって本当によかった。」 「俺はもーちょい寝てた方が練習サボれて良かったんだけどね〜」 「こら。」 「へへ。」 「・・・ウインターカップは東京で行われるんですよね?・・・いつ、向こうへ行かれるんですか?」 「あと一週間くらい。クリスマスの昼の新幹線でだって。」 「そうですか。」 「大会の真っ最中なんて悲しいクリスマスだよね〜。俺たちカワイソ〜。」 「何を言っているんですか。頑張らないと、叱られますからね。」 「誰に?」 「勿論、わたしにです。」 「ははっ、怖くねー!」 「っな!わたし、怒るととても怖いんですよ!」 「嘘つき、怒ったってぜってー可愛いだけだよ。」 「・・・っ、か・・・!」
こんなことは前々から言われていたからかいの言葉だが、今となっては過剰に反応してしまう自分がいた。 それでも、以前のように彼と話せている。 それだけで、十分だった。
わたしの心の中は今日のお天気に見合うほどの快晴となっていた。 やっぱり、敦くんはすごい。
「あ、チャイム・・・」 「げー・・・」 「戻らなくちゃ。」 「んー・・・東京行く前に、もっかいくらいお店いければいいんだけど。」 「・・・!ぜ、ぜひ。いらして下さい!」 「うん。」 「学校でもお会いできます。」 「そーだね。」 「だから、またね。敦くん。」 「・・・またね」
教科担任が自分の教室へ入って行くのが見えて、わたしは急いで教室へ入った。最後に彼に軽く手を降るのも忘れずに。
窓から覗くこの雲一つ無い青空。今となっては美しいと感じるようになっていた。
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