fantasma | ナノ









「みょうじさんがよかったらの話なんだけどさー」
「はい?」


いつものように、いつもの時間にいつもの席で紫原くんと会話をする。
そんな瞬間はわたしの生活サイクルの中にすっかり組み込まれてしまっていた。なければ何処か落ち着かない。彼と出会う前まではこんな穏やかな時間はないのが当然だったというのに。

しかしながら彼にしては歯切れの悪いというか、断定を避ける物言いだなと感じた。いつもならば、あれをしよう、とかこれをして、だとか決して悪い意味ではないがわたしに決定権はなかったから。


「明日のお昼さ、一緒に、食べ、よう・・・よ。」
「えっ、」
「いや!嫌ならいーの!忘れて!」
「えっ、嫌だなんて、とんでもないです」
「じゃあ・・・」
「はい。ご一緒させて下さい。」
「・・・まじで」
「まじです」


じゃあ、明日の昼休みに西棟4階の階段前ね。
そう言った彼に特に何も考えずに頷いてしまったけれど、西棟4階だなんて、人通りもなければ本当に何もないところだ。西棟4階ですか?と聞き直すと、別に間違えてねーから、と笑った。



閑話、りんご



「そんな、だめです、紫原くん・・・!」
「えー?なんでー?」
「だ、だめったらだめです!」
「いいじゃんよ〜」
「だって、これっていけないことです・・・。」
「真面目だねー」


わたしは今、窮地に陥っていた。

西棟4階の階段、それは西棟5階に存在する屋上へ続く道であることを忘れていた。この学校の屋上というものは老朽化により立ち入りが禁じられている。

そしてわたしはといえばかれこれ5分は立ち入り禁止の札の前で紫原くん相手にごねていた。これでは普段と立場が逆転しているようだが、実のところ何も変わってはいない。そう、ごねているのは紫原くんだ。


「屋上きもちいーんだよー」
「えぇ・・・でも・・・・・・」
「みょうじさん連れて来てぇなぁって思ったんだよ」
「紫原くん・・・」
「だから、おいでって」
「きゃっ・・・」


紫原くんはわたしの手を掴み強引に引っ張って歩き出した。わたしが立ち入り禁止の札に足を引っ掛けて体勢を崩したのをいい事に今度はわたしの体ごと抱えて階段を駆け上がる。
緊張と恥ずかしさで声が出なくなってしまって反論することももう叶わない。彼が遂に屋上のドアを開いた途端、風が吹き抜けた。わたしたちの髪を揺らす。

そこから見る街の風景は幼い頃から見慣れたものとはまた違っている。展望台なんて施設のないこの街の、展望室のように感じた。

紫原くんは抱えていたわたしを床に下ろすと、顔を覗き込んでくる。きっと素晴らしいと思ってしまったことはバレてしまったのだろう。


「どお?」
「・・・素敵、です」
「よかった」
「でも鍵がかかってたでしょう?どうやって開けたんですか?」
「あー。何となく開けてみたら開いたよ。多分俺の前に誰かが壊したか、古くなって壊れてたんだと思う」
「・・・・・・・本当に?」
「俺壊してねーって!!」
「ふふ、冗談です。」


不意にハイ、どーぞ。と言った彼を見ると、コンクリートの打ちっ放しの床に一枚のタオルが敷かれていた。その長めのフェイスタオルは恐らく彼が部活で使っているものなのだろう。
しかし、何がどうぞなのだ。


「え、と?」
「ここ、座ってっつってんの」
「ええ!!」
「汚ねーじゃん、床。そんなとこ座らせらんねーよ。」
「そんな、これは、部活で使うタオルじゃないんですか?」
「そうだけどどっちみちもう敷いちゃったし」
「ま、まだ間に合います」
「いーから、善意くらい受け取ってよね。」


またも無理矢理タオルの上に腰を下ろさせられたわたしは若干の申し訳なさを感じつつも、彼の意外なる紳士的な面に感動を覚えてもいた。
不思議と笑みが零れてくる。
その笑みは、どんなに噛み殺そうとしたって次々に沸いてしまうからタチが悪い。


「なになに、どしたの?」
「ふ、ふふ、こんなことしてくれるなんて、申し訳なくってっ」
「だーかーらー、それはもう・・・」
「わたしおかしい、申し訳ないとか言って本当は嬉しくってたまらないんです」
「・・・っ、そう・・・」


急に控え目になった彼は、気を紛らすように手にしていたビニール袋から購買で売られている弁当を取り出して食べ始めた。それを見て、わたしも自分の弁当箱を開く。紫原くんのものを見てからだとやけに小さく感じてしまうけれど、これで十分にお腹は膨れるので問題はない。
そういえばこの学校には食堂も購買もあるけれど入学してこの方行ったことがなかった。友達を誘って利用してみようと思っていた最中、紫原くんの視線を感じて我に返る。


「弁当ちっさいね。うまそーだけど。」
「これが普通ですよ。紫原くんが特別なんです。」
「それだれが作ったの?」
「わたしです」
「すげーな。」
「あ、ありがとうございます」
「でも意外かなー。みょうじさんの母さんとかも料理好きそうじゃん?」
「あ・・・お母さんは朝は死ぬ程忙しいからお弁当作ってる暇なんてないんですよ。」
「そっか。パン作ってんだもんね。」
「はい。」


紫原くんは再び弁当を食べ始めた。

秋の陽射しが暖かい。
ここは本当に気持ちが良いし過ごしやすいけれど、それも今の季節までだろう。これからこの地は厳しい寒さに見舞われるのだ。心踊るのは大抵初雪までで、それ以降にはもう皆面倒しか感じない。
でも、ここから雪の積もる街を見られたらそれはそれは綺麗なのかもしれない。

と、そこまで考えてわたしは思考を止めた。ここは元々立ち入り禁止で、今回は紫原くんに強引に連れて来られてしまったけれど、もう次はない。ここへ来るのはこれっきり。ルールを守ることは、非常に大切なことだ。


「みょうじさん」
「はい?」
「シャンプー変えちゃった?」
「シャンプー?いえ・・・あ、でも昨日わたしのが切れてしまって、お母さんのを使いました。」
「あー、そう。そっか、そんならいいんだけど。」
「どうかしました?」
「あれだよ、新しく買う時に変えてみようかななんて思ったらダメだからね」
「ええ?どうしてです?」
「香水かコロンだと思ってたけどシャンプーだったんだね。りんごの匂いがいつもしてたからさ。いい匂いなんだー。」


少し前、出会った頃、彼にりんごっぽいと言われたことを思い出した。その頃は、というか今の今までその彼の言葉はわたしの赤面症からくるものだと思っていたのだけれど、どうもそれだけではなかったらしい。

わたしは数年前から好んでりんごの香りのするシャンプーを使っていた。しかしそれを人に指摘されたことは今がまさに初めてであり、嬉しくもあるが、高校生にもなってりんごだなんて少し幼稚かもしれないと思い始めていた矢先だからか恥ずかしくもある。
彼は風が吹いた拍子にでも、香水などではなくシャンプーであることに気が付いたのだろう。


「次は薔薇の香りのシャンプーにしようかと、考えていたんですけど。」
「薔薇ぁ?だーめ。みょうじさんは、りんご。」
「これ、子どもっぽくありません?」
「ヤダよ俺、薔薇っぽいみょうじさんとか。」
「確かに、子どもっぽいとか以前にわたしはまだ子どもですもんね。」
「そうそう」
「もう。本当、調子いいですよね。」


結局わたしは次に買うシャンプーも決定してしまった。それでも悪い気はしないのだから、紫原くんの影響力というものは本当にすごいのだと感じてしまう。

他愛ないことを話す間、のんびり穏やかな時間が流れていて、午後の授業の時間が着々と近付いてきていることを、忘れたくてしょうがなかった。
サボろうサボろうとしきりに誘ってくる紫原くんをどうにか宥めて、わたしが立ち上がれたのは始業のほんの5分前だったが、彼は未だむくれている。行きましょう、と腕を引っ張ると案外簡単について来てくれるのだが、不機嫌が空気を伝ってくるのだ。
仕方なしに振り向いて目を合わせると、目を逸らされてしまう。

本当に子どもを相手にしているような気分だ。


「紫原くん」
「・・・なに」
「今日もお店で待っていますから。」
「・・・ん」
「午後も頑張りましょう?」
「・・・んー・・・、うん・・・」
「偉いです。」


わたしは彼の手を引いて、階段を一段、また一段、降りて行った。


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