暖房の効いた教室は暖かく保たれてはいたが、それでも温かいコーンポタージュやココアを飲みたくなるから、今は冬なのである。
悪魔たちに仄めかされたこと
そうしてわたしは休み時間、学校に設置されている自販機を目指すことにした。幸いなことに陽泉高校は廊下にまで暖房が完備されており、教室よりは少し劣るが廊下だって十分に暖かい。ーーまぁ、その一日中の怠惰のツケが回って来るのは放課後に学校を出るときなのだが。
温かい廊下を進み、自販機で買い物を終えるとそこには、見慣れた頭が二つ。
「氷室さんに劉さん。こんにちは。」 「あ、こんにちはみょうじさん。」 「なまえアル!!元気だったアルか?」 「はい!元気です、とても!」 「相変わらず可愛いネ。嫁に来ると良いアル。」 「あ、え、あの・・・!」 「リュウは女子生徒にはいつもこんな感じだから。気にしないでね。」 「氷室!悪いイメージ植え付けるのやめろアル!!」
バスケ部のみなさんはいつも賑やかで楽しい。皆が皆を好いているのが伝わってくるとでも言えば良いだろうか。とにかく誰一人として欠けてはならぬような、そんな雰囲気があるのだ。
わたしは今しがた買ったホットココアの口を開ける。温かな匂いが鼻をくすぐった。
「まぁ、氷室も大概女子にはフェミニストぶってるネ。」 「・・・心外だな。」 「劉さん、ぶってる、ではなくて氷室さんはフェミニストですよ。女性には親切して当たり前っていうのがもう体に染み付いてるというか・・・」 「なまえ、買い被りすぎアル。氷室は結構ゲス野郎「リュウ?」・・・・・・。」 「勿論劉さんだってそうですけど。女性に親切にしてくれるっていう点では敦くんだって、そうだし。」 「アツシに限ってそれはないアル」 「うん、アツシはどう贔屓目にみてもあり得ないね。」 「え、ええ?敦くんは少し意地悪ですけど親切じゃなかったことなんて今まで一度だってありませんよ。」
二人はわたしの言葉に顔を見合わせて目を丸くする。わたしはわけがわからないままで。
なんだか最近はわたし一人が置いてけぼりで他の人たちで話の進むようなことが増えたもので、わたしはもう特にこのことを気にするのをやめていた。わたしは少し世間からズレているのかもしれない。そう開き直ってしまったら、特に二人の反応に何を感じるでもなくココアを啜ることが出来る。
「アツシが優しいのなんてみょうじさんか、せいぜい赤司くんくらいだろうね。」 「で、でた、赤司さん・・・。」 「アツシはお菓子かそうじゃないかで世界が出来ているから。」 「試合中のアツシなんて特に酷いアルよ。質の悪いガキ大将にしか見えないアル。」 「まぁ、そうだな、試合中のアツシにはちょっと心を入れ替えて貰わないとな。」 「氷室はアツシに甘いアル。」 「ひ、酷いってどういった・・・」 「結構、心ないことを言ったりやったりするんだよ。」 「・・・・・・・・・」 「女性にだって普段は適当な扱いをしているし。」 「え、ええ・・・と・・・」 「そりゃあ、なまえからすればそんな扱いされたことなんてないから分からなくて当然アルよ。」 「・・・そうなんですか。」 「・・・ふふ。アツシのこと、嫌いになった?」 「そんな・・・!わたし好きです!敦くんのこと。」
そこまで言ってわたしははっとする。咄嗟だったとはいえ彼を好きだということを口走ってしまった。 顔を赤くして口元を抑えるわたしに二人は完全に気が付いたという顔をしている。早い話が悪人顔である。面白そうなおもちゃを見つけてしまった、という二人の表情はわたしには悪魔のようにしか思えない。 氷室さんなんて特に普段から鋭い人なんだから、今のわたしを見て気が付かないわけがなかった。
「へぇ〜、そうアルか〜。好きになっちゃったアルね、アツシのこと。」 「あ、あ、あ、の、えっ・・・」 「その様子だと、自覚したばかりってかんじかな?」 「ひ、ひ、氷室さ、なん、で、分かるん、ですか・・・!」 「実は俺、人の心が読めるんだ。」 「ええっ!?や、だ、だめで、す、読まないで下さい・・・!」 「冗談アルよ、なまえ。」 「・・・冗談に、聞こえないです。」 「そりゃあ冗談じゃないからね。」 「や、めて下さいってば・・・」
比喩なんかではなくなるほど茹でダコのように顔を真っ赤にしたわたしとそれを悪人面で面白がる高身長の男性二人。どちらが悪であるかなど明瞭であるのに、正義のヒーローなんか助けに来てはくれないのだろう。 それならばせめて温かいココアなど、買うのではなかった。暑くて仕方がない。
わたしはなんだか情けなくて小さなため息を吐く。彼を好きな気持ちがこんなにも早く誰かに暴露てしまうだなんてやはりわたしに隠し事などは向いていないのだ。
「い、言わないで下さいね。敦くんに。」 「ん?どうしようかな?」 「・・・・・・っ、」 「氷室、いい加減にしないとなまえが泣いちゃうアル。」 「ごめんごめん、可愛いからつい意地悪したくなるんだ。」 「・・・氷室さんの馬鹿」 「ごめんね、本人に言ったりなんてしないさ。」 「や、約束ですよ?」 「ああ。」 「俺は言うかもしれないアル」 「え、ええ・・・っ!」 「こらリュウ。」 「嘘アル。」 「・・・もう、嫌いです。お二人とも・・・。」 「悪かったよ。なんだからお詫びにいいことを教えてあげる。」 「いいこと・・・?」
***
彼が久しぶりにお店に来てくれた土曜日の昼下がり。わたしが彼への気持ちを自覚した日。ついおとといのことである。
わたしたちは手を繋いで、まだ誰にも踏み荒らされていない綺麗な雪の降り積もる公園まで歩いた。 既に誰かが通った後だったり、除雪がされていたり、そういう景色なら見たことがあるけど、こんなのは初めて見たかもしれない、と彼は笑う。そこからの彼はまるで犬のようであった。
たったの二人で雪合戦が始まって、不格好な雪だるまを作って、結果の見えすぎている鬼ごっこを始めてからはしゃぎすぎた彼は足を取られて雪の絨毯へと顔からダイブをする。 たまらなくなったわたしもその隣に勢いよく寝そべった。 寒くはない。汗をかいているほどだ。
息を荒げて二人で仰向けになると、灰色の空から次々に白が降ってくる。幼い頃からこの雪国に住むわたしはこの白に悩まされることは少なくなかったが、この日ほどこの白を美しく思ったこともない。
「あー、なんか。練習より疲れたかもしんない」 「そんな、まさか。わたしはとっても疲れましたけど。」 「へへ、なまえ、」 「はい?」 「楽しーね。」 「はい・・・。とっても。」
少し離れたところへ寝そべる彼とふと目が合った。鼻を赤くしている彼はゆっくり目を細めてわたしの指に自分の指を絡める。 普段のわたしにならここで顔を真っ赤にすることだろうが、何故かこの時ばかりは違っていた。絡められた指を握り返してわたしたちはまた笑った。
そうして出来ることならばずっと雪を眺めていたかったのだが、そうはいかないのが現実である。 だんだんと雪の触れている部分から冷え始めてしまってわたしたちは渋々立ち上がった。敦くんは薄着のわたしを見直して自分の着ていたコートを脱いで、わたしに着せた。
わたしは正直、寒さにはとても強い方だと思う。それは雪国生まれだからとかそういうわけではなくて、とにかく昔から暑がりなタイプで、寒さにだけは強いのだ。 それを東京人の彼からコートを剥ぎ取って着ているなんてあり得ない話だと彼は気付いていないのだろう。
「敦くん、わたし本当に寒さには強いですから。遠慮とかじゃなくてこれはお返しします。」 「ヤダよ。着ててほしーから着せただけだし。見てるこっちが寒いっつーの。」 「・・・敦くんも、大概頑固ですからね。」 「お互い様でしょ」
そうして彼の顔を立ててそのまま借りることにしたコートはとても暖かかった。彼の温もりも残っていた。
その後はさすがに外に居るのは寒いだろうということになり、少し歩いた先のショッピングモールへ暖を取りに行き、ちょっとだけ早い夕食を取ったのだ。わたしは当然お財布など持っていなかったから、彼にご馳走して貰ってしまったのだが。 普段からいっぱいサービスして貰ってっから、気にしないでー。と彼は言ったが、そんな言葉でわたしが納得するはずはないというのは彼もよく知っていることだろう。
帰り道でもわたしは彼のコートを着せられたままだった。 大分歩いてきてしまったもので、帰り道にかなり時間が掛かったのは記憶に新しい。相変わらず手を繋いで歩いていたので、わたしは終始爆発しそうなほど緊張していた。
「なんか今日、デートみたいだったねー。」 「デ・・・っ!そ、そ、そ、うです、ね・・・!」 「楽しかったなー。なんだかんだ、外で遊んだりするのは初めてじゃない?」 「確かに・・・。わたしも今日はとっても、楽しかったです。夢みたいでした。」
夢じゃないしー。と口を尖らせた彼ともっと、ずっと一緒に居たかったけれどそうこう言っているうちにお店の灯りが目に入って来てしまった。 ーーそういえば、仕事をほっぽらかしにしてきてしまったのだっけか。 怒られるかもしれないが、それでも構わないと思ったのだ。
お店の前で、彼と繋いだ手を離すことを酷く淋しく感じたのを良く覚えている。
***
「そ、そ、それって、本当ですか・・・?氷室、さん・・・」 「?、そうだけど・・・」 「本当なら、ちっともいいことなんかじゃありません・・・」
氷室さんは先程わたしにいいことを教えてあげる、と言った。
ーアツシは今、風邪を引いて寝込んでるんだよ。
いつものような甘い笑顔でそう言った彼の思考回路が理解出来ない。大きな大会前に風邪を引いていることは全く良いこととは思えないし、そもそもその風邪は恐らくわたしのせいで引いているものだろう。
「か、風邪って・・・いつから・・・。」 「昨日は一日中練習に出ていたアルよ。今日からアルか?」 「ああ。今日の朝部屋に迎えに行ったら酷い咳をしてて、熱を計って驚いたよ。」 「あぁ・・・、それは、その、わたしのせいなんです。多分。」 「みょうじさんの?」 「・・・おととい、荒木先生のご都合で部活が早く終わったでしょう。その後・・・。」
わたしはおとといの一部始終を二人に掻い摘んで説明した。 二人はわたしの話にまた酷く驚いた様子だったが、同時に得心のいったような顔をする。
「もうわたし、敦くんに合わせる顔がありません・・・。こんな大事な時に体調を崩させてしまうだなんて・・・。」 「だからアツシの奴土曜日あんなに急いでたアルね。そんな気にしなくていいと思うアルよ。」 「そんなことありません!これは切腹ものです・・・本当に・・・。」 「だったら、尚更じゃないか。」 「・・・尚更?何がですか?」 「アツシの部屋は男子寮の一階にあるんだ。」 「は、はぁ・・・男子寮に女子は立ち入り禁止でしょう・・・?」 「だから、部屋は一階にあるんだって。この意味、わかるかな?」
わたしはゆっくりと首を横に振った。 そんなわたしに二人は再び酷い悪人面でにやりと笑う。
ーーそうしてわたしは二人の悪巧みに加わることになってしまったのだった。
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