fantasma | ナノ






ふあああ

大きな大きなあくびは、今日一日中出続けているのでたまったものでなかった。
本の持つ魔力というのは、実に恐ろしいのだ。



人生は夢



敦くんも友人たちもそんなことは決してあり得ないと言うが本を読み始めてしまうと時間を忘れて読みふけってしまうのだ。わたしの場合は質が悪く、例えその本が好みに合わないと感じても時間に限りさえなければつまらないと思いながらもつい読み終えてしまう。

これは癖だ。
そう言っているのに敦くんにこの話をした時は心底ドン引きというものをされたのを覚えている。許すまじ、何と言っても彼は本を読まなさすぎなのだ。

しかし昨日読んだ本はまさに数ヶ月に一度出会うか出会わないかの、素晴らしくわたし好みの内容であった。日付の変わる頃から読み始めて読み終えた頃には勿論朝方だ。睡眠はほとんど取れていない。しかし授業中に寝ることだけは良しと出来ない。

わたしはお店のレジカウンターの椅子で本日何度目かは到底分からないあくびをした。
外にはうっすら雪が降っていて、店内にお客さんはいない。彼もまだ来ていない。雪のせいか酷く寒いので、もしかしたら今日は来ないかもしれない。



***


ーー先輩方、みなさんとっても良い方たちですね。

記憶に新しい、あの日。初めて彼に説教なんて垂れてしまったあの日は後から来た先輩方が先に帰って行った。
アツシも帰るぞ、という福井さんの言葉に彼はまだここに居る、の一点張りで。岡村さんが仕方なしに寮の門限までには帰るようにな、と彼に言って皆を引き連れて帰って行ったのだった。
先輩方は皆、とても素敵な方々だった。再び二人きりになった店内でそのことを敦くんに伝えても、彼は表情を崩さずにあと一つだけ残っていたパンをかじっただけであった。そのパンを咀嚼しながらうううん、と考えるように唸って飲み込んだ頃に、そうだね。と呟く。


「・・・随分考えていましたね。」
「色々思い出してたの」
「色々?」
「中学の頃とか?赤ちんがいたから先輩とかに表立って嫌がらせ受けるとかなかったけど、裏で色々言われてたのだけは知ってるし。高校では赤ちんいねーのにそーゆーのねーなーと思ってさー」


彼の話に良く浮上する"赤ちん"という人物については赤司さんという本名と、中学の部活でのキャプテンだったということしか知らない、というか、敦くんが多くを語りたがらないので、知り得ない。
あまり語りたがらないくせに中学の話になれば真っ先に名前が出て来るのだから、赤司さんに対するイメージは迷走を続ける一方である。赤司さんとは、先輩方をも黙らせてしまう力を持っている。わたしの中の赤司さんメモにまた新しく恐ろしい情報が増えた。


「先輩方みなさん敦くんを可愛がっていましたもんね。」
「そう?普段めっちゃ厳しーよ」
「あら、尚更良いじゃないですか。」
「ええ〜。やだよ〜。」


そうは言いながらも本当に嫌だと思っていたら敦くんはこんな顔をしない。仲の良い部活仲間だなんて、本当に羨ましい。
家のことがあるからなぁ、と学校活動を避け続けて来たわたしからすれば羨ましい限りであった。


「まぁ先輩たちのこと嫌いとかじゃねーけどさ。」
「けど?」
「・・・この店のことだけは、誰にも知られたくなかったかな。」
「・・・・・・?」
「コンビニの目の前にある時点で無理かもしんないけど、俺はここで過ごす時間に他の奴が入って来て欲しくなかった。普通のお客とかの話じゃなくて、知ってる奴の話。」
「え、ええと・・・」
「ごめん、こんなん言われても困るよね。なまえから見ればみんな大切なお客さんだしさー、」
「・・・・・・?」
「でも、ここでの時間は二人の内緒の、大事な時間だったから、本当は誰にも知られたくなかったよ。」


随分前に氷室さんにわたしたちが何処で出会ったかというのを話そうとしたら敦くんに必死に止められたことをふと思い出す。それに加えて先程先輩方がお店に入って来た時にしていた、嫌悪感を剥き出しにした表情。
全ての辻褄が合った。彼はそんなふうに、思っていたのか。

しかしわたしは正直なところ、敦くんの先輩方にお会いできたことを嬉しく感じていたのだ。敦くんの大事に思う彼らとお話できたことが単純に嬉しかった。
なんと言って良いか分からずに言葉に詰まるわたしを見て敦くんは気まずそうに、申し訳なさそうに笑う。違う、そんな顔をして欲しいのではないのだ。あなたには笑っていて欲しいのに。


「・・・じゃあ、俺、帰んね。」
「・・・あの、敦くん。」
「んー?」
「わたしは正直・・・岡村さんや福井さん、劉さんに勿論氷室さんにも。お会い出来て嬉しかったです。」
「・・・・・・。」
「ひ、氷室さんには変なことされてしまいましたけど、敦くんの頑張っていらっしゃる部活のお仲間さんだなんてお会い出来て光栄でしたよ。」
「・・・ふーん。」
「でも、今、敦くんがこのお店でのわたしとの時間を内緒の大事な時間なんて言ってくれたのも、とっても、すごく、ものすごく嬉しかったです。」
「・・・・・・うん」
「だから、今日はわたし二回も嬉しくなってしまって、幸せでした。」
「・・・・・・は?」
「ええと、わたし、幸せなんです。」
「な、何言ってんのなまえ・・・」
「ご、ごめんなさい、上手く言えない・・・けど、わたし、敦くんと居ると幸せ、です。って、言いたいんだと、思います、」


自分でも何を言っているんだと思った。小っ恥ずかしい話であることは承知の上だが、心の底からの本心である。
敦くんの顔を見ることが出来ない。どうせまた顔が赤い赤いと馬鹿にされて、わたしが頬を膨らませる光景が目に浮かぶ。そしてその膨らませた頬を敦くんが指先で突つくことまで目に浮かんでしまったので、どんなことがあっても頬は膨らませぬよう気を付けなければと思ったところで気付いた。

ー敦くんが何も言って来ない。
そろそろ何か言って馬鹿にしてきそうなものだが、と思って目線だけを彼に移した。

しかし彼の顔もまた真っ赤に染まっているのだ。これは朱が刺す、とかそういった程度の話ではない。耳から顔まで、全てが全て赤い。


「あ、敦く・・・」
「・・・な、なに・・・」
「顔が、赤いです」
「なまえもだからね」
「や、やっぱり、?」
「なまえが恥っずかしーこと言うからいけねーんだよ」
「え、ええ?そんなことを言ったら敦くんが先に・・・」
「うるせーし」
「・・・わ、わたしたち、何してるんでしょう、ふふ、」
「ほんと、だよ。へへ、」


そこからはなんだか笑いが止まらなくなってしまって、先程の陰鬱な空気を吹き飛ばすように二人で笑い続けた。
いつまでも続いた笑い声を不審に思ったらしい母が変な顔をして店を覗きに来て、その顔を見てわたしたちは更に笑いが止まらない。お腹が痛くて涙が出てきて、箸が転がっただけで面白いなんて言葉を体現したようだった。

やはり彼と居ると、次々と幸せが降って来るようだ。




ふと、頭に誰かの手が触れている感覚がした。
その手は、わたしの髪を梳いたり、持ち上げたり、くるくると指に巻き付けてみたり。幼い頃に良くされたように頭を幾度か撫でられて、眠りの浅瀬にいたわたしはようやく覚醒する。
顔をあげると、見慣れた色のセーターが目に映った。


「・・・・・・ん、んん?」
「相変わらず、寝起き悪りーね。」
「・・・ん、?・・・あ、敦くん?」
「何店のカウンターで寝てんだよ」
「・・・!!わたし、やだ・・・寝ちゃったんだ・・・」
「いつから寝てたかは知んねーけど、雪結構すげーし。多分誰も来てないんじゃない?」
「だ、だといいんですけど・・・」
「珍しいね、居眠り?」
「・・・本が、面白かったもので。昨日の夜あまり寝ていないんです。」
「出た。普通そんな読み耽んねーからね。」
「昨日の本は、本当に素晴らしかったんです。本当に。良ければお貸ししましょうか?」
「いや、いい。どーせ読まないし。」
「もう・・・」


わたしは寝ぼけ眼を擦りながら彼を見上げる。店のカウンターの椅子に座って、カウンターに伏せて寝ていた体はバキバキと音を立てた気がした。慣れないことはするものでない。
彼は未だにわたしの頭に手を乗せたまま柔らかな手付きで頭を撫で続けている。これはこれは、また眠りに引き戻されてしまうではないか。


「ね、なまえ」
「・・・はい・・・?」
「夢の中の俺、何してた?」
「・・・・・・?」
「何してたの?」
「・・・えっ?」
「敦くん、って寝言言ってたから。」
「・・・・・・!!」


へらりと笑った敦くんにぼんやりとしていた頭が完全に覚醒した。
確かにこの間先輩たちがいらした後、二人で店で話をしていた時の夢を見ていた気が、する。


「っ、あ、あ、の・・・別に、そんな、ええと、」
「なーに?」
「この間、の、夢を、見ていただけで、」
「こないだ?」
「な、な、なんだっていいでしょう!!」
「へー、教えてくんねーんだ。」
「もう、絶対に教えません!」


わたしの言葉にむくれながらパンを選びに行った敦くんの背中は非常に楽しそうだ。子どもっぽい、悪戯っぽい彼には一生敵わない気がする。
そうしていつもの席に腰を落ち着けた彼を横目で見やれば飽きないものでいつまでもにやにやとしていた。それでもいつもの光景だ。わたしがカウンターに居て、それを眺めるように彼がカウンターに一番近い席に腰掛けて居る。わたしが振り向いて彼と話をする。こうも安心する光景が他にあるのだろうか。

そんな中ふと敦くんが手招きをしたので近くへ寄ると、彼が自分の座る席の隣をぽんぽんと、叩いた。座れと言うことだろうか。
わたしがそこへ控え目に腰掛けると彼は満足そうに微笑む。


「なんですか?」
「もうちょい寝てたら?客来たら起こしてあげる。」
「敦くんもお客さんでしょう。お客さんの目の前で眠りこける店員なんてどこにいますか」
「目の前にいるけど」
「さ、先程の話は置いておいて下さい!」
「だいじょーぶ。寝てなよ。」
「・・・・・・」


何が大丈夫なものか、彼はまたわたしの頭を撫で始める。
わたしはこれに弱い。本当にこうされると瞼が重くなっていく思いがするのだ。そうしてゆっくりゆっくり瞬きをするわたしを見て彼は小さな声でおやすみ、と言う。

魔法のようだった。

わたしは再び眠りの世界に入ったのだった。


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