fantasma | ナノ






彼女を初めて見たのは、天まで透けるようなほど天気の良い、入学式から5日と経たない春の日だ。



ショート・ディスタンス



確かあれは土曜日だったか。人づてに聞いて入学したばかりの高校付近にたった一つしかないというコンビニの場所を探し当て、そこで目当ての物をごっそりと買い終えたすぐ後。青々とした景色と、昼下がりの陽の暖かさに気分を良くしていた時。

コンビニから車のそうそう通らない車線を挟んだ斜向かいの何かの店の軒先に、杖をついた足の不自由そうな老人と、俺と年の変わらないであろう女の子が居たのだ。
女の子は軒先に存在する数段の段差を降りる老人に手を貸していたようだった。
その後老人にありがとうございました、と告げていたところを見ると恐らくは店の店員かなにかなのだろう。同い年くらいなのに偉いなぁ、とその時は確かたったそれだけの感想だった。


お菓子が切れては買いに行き、お菓子が切れては買いに行き、ほぼ毎日放課後に通うようになっていたコンビニの、斜向かいの店の女の子はいつだってそこにいた。彼女はあの店の社畜と化しているのではと俺が的外れな不安を抱くようになった頃、学校で彼女を見つけたのである。
それは夏休みも明けた9月の話だったが、自分の在籍するクラスの隣の教室で友人たちと話をする彼女には非常に驚かされた。どうして今の今まで気付かなかったのか、とか同い年だったのか、とか、あんな風に笑うんだ、とか。

そう思ったその日、思い立ったが吉日だ。俺は彼女の店に足を踏み入れた。
初めて近くで見たその女の子は肌が真っ白で髪が真っ黒でどこか田舎っぽい。その田舎っぽさがやけに愛らしいので悪い意味ではないつもりだが、とにかく、東京には居ない感じの子だなぁと感じたのを覚えている。そして、彼女は社畜ではなかった。よかった。

彼女はいつだって一生懸命だった。
俺がパン屋に毎日通うようになってからもいつだって何かしていた。店を掃除していたり、皿を磨いていたり、何かをしてせわしなく動いていたのだが、俺を見るとくしゃりと笑って挨拶をする。


そこからは非常に速く、ありがちな展開だ。可憐で、愛らしくて、真面目で、いじらしい、ほんの少し臆病だけれど、たまにテコでも動かないほどに頑固。
彼女に恋をした俺は日ごと日ごとに彼女に惹かれていたし、鈍感な彼女に振り向いて欲しくてたまらなかった。

そしてあの日。ご飯をご馳走してくれたこと、膝枕をしてくれたこと、俺のジャージを洗濯して綺麗に畳んで渡してくれたこと、俺が風邪を引かないようにと白いマフラーを差し出してくれた、マフラーに負けないくらいの白い両手。

全てが愛おしくて、抱き締めてしまった。

やってしまったと思った。
大事に大事にしてきた彼女に痛いことをしてしまった。

みょうじさんにはそれ以来、会えていない。





今日も紫原くんはお店に来ない。

あの日から4日が経ったけれど彼はわたしを避けているのか、お店に来ないどころか学校内を意識して探してみても、あの巨体が見当たらない。八方塞がりだ。

彼があの日、どういう意図を持ってしてわたしのことを抱き締めたりしたのかは分からない。あの直後には胸が締め付けられるような思いでいっぱいだったわたしも時間を置いて冷静に考えてみれば、実に簡単な答えを見落としていた。そもそも彼がわたしに恋愛感情なるものを抱いていることはあり得ないのだから何も取り乱す必要はなかったということである。

というのも、それなりに記憶に新しい、氷室さんと立ち聞きしてしまった体育館裏での紫原くんへの告白劇。


「俺180センチ以下の女の子と付き合う気ねーからさー。」


そうだった。言わずもがなわたしはそんな恵まれた身長を持って生まれたわけではない。そんな長身に生まれていたら、それこそバスケットボールの世界で名を馳せているか、モデルか何かとしてパリ・コレクションで活躍していることと思う。

そんなわけで、わたしはそもそものポテンシャルからして彼の恋愛対象には入り得ない人物だったのだ。その話を思い出してからのわたしは何故か非常にあっさりとしていた。胸を締め付けられるようなあの感情から解放され、再び彼に会いたいと思えるようになるまでに、回復した。


しかし、肝心の彼が来ないのだ。

もう、一生お店には来ない気すらする。

大袈裟な奴だとは昔から良く言われる。物事の最悪のケースを考えることが得意なのだ。

それでも今回ばかりは諦めがつかなかった。それもまた、何故なのかが分からないのだけれど。
彼に100%会える場所は、一つしかない。



***



「みょうじさ、ん・・・?」
「む、紫原、くん・・・」



何でここに、という顔をしている紫原くん。

やっと会えた。その場所は放課後、いや、部活終わりの体育館の出口である。
10月下旬とはいえ、息が白く、指や足先は悴んで感覚がない、鼻の先はきっと真っ赤だろう。ずず、と鼻を吸って彼に駆け寄った。部活動のお仲間さんたちが興味深そうにこちらを伺っているのが見えたが、そちらを気にしている場合でもない。
突然こんなところで待ちぼうけされていては誰だって驚くだろう、分かっているけれど、彼らを気に留めている暇はなかった。


「あの、この後・・・少しだけで良いんです、1分で構いませんから、お話があって、」
「ちょ、落ち着いて。話あんなら普通に聞くから。っていうか寒かったっしょ?」
「い、いえ、勝手に待っていただけですから」
「うっわ、手の色やば、って冷たっ!!!どんだけ待ってたの・・・」
「何時に終わるかを存じ上げていなかったので・・・こんなことに・・・」
「・・・とりあえず、これ着て。中で話そ。」
「は、はい・・・わ、長・・・わたしが着るとワンピースみたいですね、」


彼が右手に持っていたジャージを肩に掛けてくれた。わたしの膝の少し上くらいまでを隠したそれの長さにはただただ驚くことしかできない。
しかし、これは非常に温かい。

そして部員達の目を掻い潜るようにして彼に手を引かれてやってきたのは体育用具室だ。外は勿論、体育館ロビーや体育館内と比べるとそこは幾分か暖かいように感じた。マットの敷かれている上に座るように指示されて、その通りにすれば彼はエナメルバッグの中から更に制服のセーターを取り出してわたしの足にかけてくれる。


「あ、あ、ありがとう、ございます」
「少しは寒くなくなった?」
「はい、もう十分です。」
「ん、よかった」
「ここ、暖かいんですね。意外です。」
「なんかねー、色々立地とかが関係しててここだけあったかいんだってさ。」
「へぇ・・・」
「・・・そんで?・・・急にどしたの」


紫原くんもわたしの座っているマットに少々の間を置いて腰を下ろした。
やはり、聞かれてしまうか。当たり前だけれど、紫原くんの様子も至って普通であったしこのまま何も話さずに穏便に事が運ぶのではないかなぁとほんの少し期待していただけにわたしは口ごもる。
そんなわたしを見て彼は観念したような口調で言った。


「・・・ごめん、この間の・・・でしょ?」
「え・・・」
「その、気に・・・しないでくれると・・・」


彼が珍しくも口ごもる。
気にしないで欲しい、というそれは恐らく彼がわたしのことを抱き締めたりしたことだろう。わたしの脳味噌の中ではその部分は早々に解決していたので彼がこれ以上気まずそうにするような理由はない。一つだってない。

わたしが聞きたいのは彼がどうしてお店に来ないようになってしまったかということなのだが、この分だと理由もそのことなのだろうか。


「あの、そんなこと気になんかしていないです。」
「・・・・・・」
「わたし、紫原くんがお店に来なくなってしまったから・・・さみしいなって、どうしてかな・・・って・・・」
「は?」


彼が素っ頓狂な声を上げた、

正直言って今のわたしたちの雰囲気には全くそぐわないものである。わたしが驚いて彼と目を合わせると、彼の顔はまた中々面白いものになっているではないか。
こちらは真剣だというのに、なんだその間抜けな顔は。


「え、俺が店に行かない理由・・・?」
「・・・そうですけど」
「だって、お店5日間くらい休業してるんでしょ?」
「・・・・・・」
「今みょうじさんの母さんと父さん、旅行中なんだよね?」
「・・・・・・・・・あっ」
「・・・休業してんなら行くだけメーワクかなーって思ってただけだけど・・・」


急激にわたしの顔に熱という熱が集まる。先ほどまで寒くて寒くてたまらなかったというのに今は熱過ぎて冷たい水で顔でも洗いたい気分だ。
そういえばそうだった。
彼に店が休業すると伝えたのは紛れもなくこのわたしで、今も両親は北海道を満喫中であるのだから彼は店に来たくても来れない、なんていうのは当たり前の話すぎてため息が出る程である。それを何故毎日カウンターに座ってどこかの忠犬の如く彼の事を待ち続けていたのだ、わたしは。


「あっ、や、わ、忘れて下さい・・・今の話、全部・・・!」
「やだしー」
「も、もう・・・!」
「へへー。俺が来ないと寂しかったんだ?」
「・・・・・・は、い。」
「みょうじさん、真っ赤〜」
「じ、自覚は、あります」
「可愛い」
「からかわないでください、紫原くん・・・」
「・・・・・・ねぇ、あのさ」
「は、はい・・・?」
「・・・紫原って長くね?」
「・・・何が・・・ですか・・・?」
「いや、普通に文字数的に」
「・・・そう、言われてみれば・・・」


そう言われてみれば、そうかもしれないが本当に別段気にした事はなかった。彼の名前は今まで幾度となく呼んでいるが、紫原という6文字に加えて、君という2文字。わたしは毎回合計8文字という長さで彼の名前を呼んでいたのか。確かにそれは長いと感じる。

だからと言って困ったことも、不便に感じたこともない。

それに何だって彼はこんな話を急に切り出すのだろうか。


「・・・敦、って呼んでくんない?」
「下のお名前で、ってことですか?」
「・・・ん」
「それはいいですね!敦くん。確かにとっても呼びやすいかもしれないです。」
「・・・・・・」
「それなら、わたしのことだって下の名前で構いませんから。下の名前で呼び合うだなんてなんだか仲良くなれた気になって、とても嬉しいです。」
「そ、そう?なまえ、さん・・・?」
「ふふ、さん、なんて要りませんよ。」
「じゃあみょうじさんも、くん、なんてつけなくて・・・ってやべ、苗字で呼んじゃうね。癖で。」
「分かります。しばらくはお互い慣れなさそうですね。あ、あとくんをつけないのはちょっと、恥ずかしくて・・・無理、です。」
「理不尽だなー」
「うふふ」


わたしは笑って立ち上がった。
あんなに暗くてどんよりとした気分だったというのに、今となってはすっかり気分も明るい。彼の笑っている顔を見るのが、楽しそうにしている姿がわたしは好きだ。大好きだ。

突然立ち上がったわたしを彼は不思議そうに見ているが、わたしはそんなのお構い無しに膝にかけてもらっていたセーターを綺麗に畳んで彼にお返しする。


「さ、いつまでもここにいるのはなんですから、行きましょう。」
「・・・・・・帰りたくない」
「何言ってるんですか、紫・・・敦、くん。」
「・・・・・・だって。」
「ええと、良ければ今日もうちでご飯を食べていきませんか?」
「行く!!!」
「あ、でも、帰りにスーパーに寄ることになってしまうんですけど、それでもよかったら・・・」
「荷物持つ!!!」
「ありがとうございます、敦くん。」
「どういたしまして、・・・・・・なまえ。」


急に呼び名を変えるというのは想像以上に気恥ずかしいことのようだった。

それでもスーパーまでの道のり、いつも以上にお互いの名前を呼び合っていたわたしたちは、お互いに浮かれていたに違いないだろう。


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