fantasma | ナノ








「俺明日からここ来れなくなるかも」
「え・・・?」


いつものように放課後にお店に来てからこちら、じっと神妙な面持ちを貫き通していた彼を不思議に思っていたところだった。疲れに疲れて、口すら動かないのだと勝手にわたしは判断していたのだが。
ようやく重い口を開いたと思ったら、そう言い放ったのである。



あたたかい教室と子ども



「悲しい、です。」


わたしがそう言うと、彼は再び押し黙った。気まずそう、というよりは申し訳なさそうにするもので、わたしは母親に置いていかれる子どものような気持ちになる。

しかし頑固で知られるわたしなので到底このまま引き下がれはしないが、彼の様子からすると本当にこれからここへ来ることは難しいのかもしれない。


「・・・わけを聞いても構わないですか?」
「・・・俺が馬鹿だから・・・」
「それじゃあわかりません。」
「本当にそうなんだって。」
「でもわからないです。」


もごもごと口ごもる紫原くんを前にして、わたしは内心段々と焦り始める。そんなようなことをした覚えはないがいつの間にか誰かに嫌われていたということは、人間関係において稀なことではない。

人の何気無い一言によって傷付く者がいるのだという事実は、耳にタコができる程色々な人に言って聞かされてきたことである。


「笑わないで聞いて欲しいんだけどさ」
「笑いませんよ」
「テストじゃん。来週から。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「俺馬鹿だからさー、でも赤点取ると雅子ちんとか主将とかまじこえーし、室ちんとかもまじこえーから勉強しなきゃなんなくってさー」
「・・・・・・・・・」
「ってか室ちんだってぜってー古典とかやばいと思うよ、俺。・・・って、みょうじさん?どしたの?」
「・・・わたし、紫原くんに嫌われてしまったのかと思いました・・・」
「は!?ねーし!絶対ありえねーからそれ!!」
「よ、よかった・・・」


これほど嬉しい全否定ってこれまであっただろうか。しかし紫原くんの言い方も、あれはおかしい。もう二度と来られなくなってしまうような、そんな言い方だったではないか。
しかし自分でもそのような言い回しをしてしまったと気づいたのか、素直に謝りを入れられたので良しとすることにした。

そして目の前の問題はそんなことではないのである。

紫原くんの学力というものを目の当たりにしたことはないものの、勉強が苦手というのは何と無く分かってしまうのだ。以前借りた教科書、落書きで満ちてはいたものの問題の欄は真っ白だったし、何より授業は毎授業寝ているという事実にも裏は取れている。
陽泉高校に入ることが出来たのはスポーツ推薦なのだということも風の噂で聞いた。


「みょうじさんは、勉強できそうだもんね。」
「勉強は好きですよ。・・・す、数学以外なら。」
「あ、俺数学は得意だよー。テストの10分前くらいに教科書パラパラーって見るだけでほぼ満点!すごくね?」
「えっ!すっごく頭良いじゃないですか!」
「いや、他がやべーの。」
「でも、それなら話が早いです!」
「は?」
「わたしが他の教科はお教えしますよ。」
「えっ、は?」
「日本史だとか単純暗記系の教科は紫原くんのやる気次第ですけど、国語とか英語とか、わたし何だって教えます。」
「・・・え、みょうじさんが教えてくれんの?」
「はい!って、ご、強引にごめんなさい。もしも紫原くんが良ければ、の話で・・・」
「いい!全然!!!教えて!!」
「わたしで良ければ、喜んで。」


何をそんなに大仰に喜ぶことがあるのだろうか、彼はるんるんと軽く鼻歌なんかを歌いながらパンを食べる手を早めた。

みょうじさんが教えてくれんなら、全教科満点かもしんない。
遂にはそんな風なことすら言ってのけたので、これは最早、喜んでいるのではなく重いプレッシャーをかけられているのかもしれないと勘違いをしてしまいそうになるほどであった。



***



さすがにテスト期間前となれば、バスケ部をはじめとする鬼のような部活動もお休みをするし、わたしも家のことを無理に手伝う必要はなくなるので、紫原くんとはテスト勉強を放課後の教室で行うことにした。
お店で勉強をするのもわたしや、わたしたち家族的にも構いやしないのだが、何せお客様の出入りがあったり、話し声ががやがやとしてとても集中出来た環境でないだろう。
彼に勉強には教室を使おうと持ちかけた時には少しごねられはしたが、理解をしてくれた。

暖房を点けてもらった教室の中で紫原くんは案外もくもくと勉強をしている。バスケをしているときとはまた違うが、真剣に一生懸命取り組もうとしてくれているのでわたしも負けていられないな、と思う。

わたしがやるように指示をした英語の問題集のページを次々にこなしていく姿には感心した。わたしがいちいち教えたりしなくたって真面目にできるんじゃないか。


「みょうじさん、できた!」
「え、もう?」
「うん。俺すげー?」
「はい!すげーです!」
「あっ、ちょっと待って。」
「はい?」
「答え合わせの前に一個お願いしてもいい?」
「お願い?」
「もしそれ、全部正解してたら、ご褒美ちょーだい?」
「・・・ご褒美・・・別に構いませんけど。そんな大層なものはわたし持っていませんよ?お菓子だって今は持っていないんです。」
「うん、いーの。みょうじさんにとって、減るもんじゃないからさ。」
「じゃあ、分かりました。」
「・・・・・・ちょ、っと待って。やっぱ3ミスまではセーフにしてくんない?」
「男らしくないですよ、紫原くん。」


やっぱり最初から3ミスって言っておけばよかった、と肩を落とす紫原くんに苦笑しながら問題にマルバツをつけていく。決して綺麗だとは言えないが、彼らしい文字で書かれた答えは意外にも正解ばかりであった。意外、だなんて彼に失礼かもしれないが。

しかし、たったの一問を所謂ケアレスミスで間違えており、心苦しくもわたしがバツをつけた時には彼が落胆する姿がありありと見て取れた。
めちゃくちゃ頑張ったのに、と顔に書いてある。


「・・・いや、いい。次頑張るし。」
「偉いです。次、頑張りましょうね。」
「っ、ちょ・・・!」
「え?」


わたしが彼の頑張りを認め、次も頑張るように、との意味で彼の頭を軽く撫でると、非常に焦り出した。
もしかして不快だっただろうか。


「ごめんなさい、嫌でしたよね。」
「や、違、俺ご褒美に頭撫でてって言うつもりだったから、全問正解じゃないのに頭撫でちゃダメじゃんって思って・・・」
「・・・そういうの、もっと早くに言ってくれませんか」
「・・・へへ、みょうじさん、お願い、もっかいだけ」
「何を言っているんですか。次も頑張らなければダメです。ご褒美なんでしょう?」
「みょうじさんって、実はほんとに頑固だよね・・・」
「何か?」


わたしが彼の希望をつんと跳ね除けると彼は文句を言いつつも苦笑していた。
まぁ、いっか。次も頑張るからね。

そう言った彼に、偉いです、と言ってうっかり頭を撫でそうになった手をわたしは急いで引っ込めた。


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