Dream | ナノ

違えた約束


剣道を始めたのは祖父の薦めだった。
警察官だった祖父の知り合いが近所で剣道を教えているからと紹介されたのが弦一郎の家で、私は最初嫌々連れていかれた記憶がある。
何でこんなことしてるんだろうと幼いながらに思っていた。もうやめたいと思っていた時、声をかけてきたのが弦一郎だった。


「水野、さん」
「……何」


先生にやる気がないなら出ていけと怒られて道場の隅で泣いていたところに彼はやってきた。
後輩だが年上の私に対してさん付けをするべきか否か悩んでいるらしい。名前の呼び方が変だった。


「も、戻りませんか?」
「……嫌よ。何でまた怒られに戻らなきゃいけないの?」
「怒っている……わけではありません」
「え?」
「祖父は貴女の筋がいいからああして厳しく言っているのです」
「……そんなの嘘」
「嘘じゃありません!」


怒号にも似た声に遮られて私はビクリと身体を震わせた。弦一郎は気まずそうに「すみません」と謝り、私の目を真っ直ぐに見てさらに話を続ける。


「貴女ならきっと、剣道で日本一になれます」
「に、ほん……いち?」
「はい。俺も日本一を目指します。だから一緒に頑張りませんか?」


真剣な眼差しと力強い言葉に気づけば私は首を縦に振っていた。
私の態度に安心した彼は今では考えられないくらいの無邪気な笑顔で私の手を引き、一緒に道場へと戻ってくれた。







その後私は剣道の強い私立中学に進学した。両親を始め、祖父や先生も喜んでくれて剣道をやっていてよかったと思う。
きっと弦一郎も私の後を追って入学してくるだろう。そう思っていたのに……彼が選んだのは違う道だった。


「……え、立海?」
「ええ。合格が決まったそうよ」


立海といえば確かテニスの強い学校だ。彼がテニスをしていることは知っていた。けど、全国を目指すとかそこまでのめり込んでいるなんて知らなかった。


「……歌?」
「ごめん、気分悪いから部屋に戻る」
「あら、大丈夫?」


曖昧に返事をして部屋に戻り、そのままベットに倒れこんだ。
弦一郎は剣道で日本一になりたくはなかったのか。彼には私以上に才能がある。筋がいいと言われるレベルの私とは違うくらいに大きなものが。
それに、あの約束をあっさりと反故にされた。裏切られた。沸々と沸いてくる負の感情は留まるところを知らない。


「……何で、一緒に日本一にって……」


ポツリと零れた言葉は誰も受け入れてはくれない。
次第に目から溢れてくる涙を拭うこともせずに弦一郎への嫌悪感を募らせながらぎゅっと目を閉じた。







それから私は剣道をやめた。推薦されていた内部進学は蹴って、高校は近所の県立に進学した。
周囲からはかなり色々と言われたけど、その内みんな諦めて何も言わなくなった。
進学後は剣道をやっていたことは隠して過ごし、高校2年生の冬を迎えた。


(後は……パスポート取りにいかないと)


12月からの冬休み期間にアメリカへ短期留学に行くことになり、今はその準備に追われている。これからの段取りを考えながら帰宅すると、ちょうど家から母と男の人が出てきた。
やたらとデカいその人に母は臆することなく笑いかけている。


「それじゃあ、先生によろしくね」
「はい、失礼します」


私に気づかなかった母はそのまま戸を閉めてしまった。
声をかけてくれれば入りやすかったのに……。仕方ない、もしこちらに来たら挨拶をしてやり過ごそう。


「……あ、歌、さん?」
「え? げ、んいちろう?」


挨拶をする前に名前を呼ばれてその人を見る。すぐにわかったのはわずかながらに残っていた面影のおかげだろう。
弦一郎は小さく頷くと口を開いた。


「お久しぶりです」
「……う、ん」
「最後に会ったのは……俺が立海に入る前でしたか」
「そうだね」


テニスを続けていることは風の噂に聞いていたけど、それ以上のことは聞かないようにしていたから知らない。
それにしても、会話が続かない。元々彼は口下手だし、私もあの1件以来勝手に嫌っていたから……。
多分彼はそんなことを微塵にも気づいていないと思うけど。


「あの……」
「ん、何?」
「今はもう剣道をしていないと聞きましたが本当ですか?」
「……ええ」
「何故ですか? あれほど熱心に鍛練を積んでいたのに」
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」


やはり彼は私の気持ちを理解してはいなかった。
わかっていたはずなのにいざ現実を突きつけられて、勢いでそう言うと彼は驚いたように目を見開き黙ってしまった。
追い討ちをかけるように話を続ける。


「一緒に日本一になろうって約束したこと、覚えてる?」
「……!」
「私はあの約束があったら剣道を続けていたのに、あなたは中学からテニスに……」


あの時のことを思い出してぐっと拳を握る。
何でという気持ち。裏切られたという気持ち。
それらが顔に出ていたらしく、弦一郎は困ったような顔をしている。


「あれは、違います……」
「もういいよ、何も言わないで」
「……」
「じゃあね、弦一郎。テニス、頑張って」


色々なものを飲み込んで最後に吐き出したのは思ってもいなかった言葉。
足早に家に入った私は家族へ挨拶することなく部屋に戻り、久々に泣いた。







「パスポート持った?」
「大丈夫。さっき確認したから」


そのまま何事もなく時は流れ、今日は出発の日。
2週間親元を離れての生活は少々不安だけど、同じくらい期待もある。
空港のロビーで搭乗手続き開始時間まで暇を潰していると、突然隣に座っていた母が声を出した。


「あ!」
「な、何?」
「忘れるところだった、これを渡してくれって頼まれていたのよ」


鞄を探り始めた母はしばらくして1通の封筒を渡してきた。
表には丁寧に『水野歌様』と書いてある。
一体誰からと裏返し、宛名の部分を見て息を呑んだ。


「……弦一郎……?」
「飛行機の中で読んでくれって。先週からテニスの世界大会でオーストラリアに行ってて、見送りにはいけないからって」


『真田弦一郎』と書いてある丁寧な字を見ていると母は苦笑いを浮かべてそう言った。
見送りに来るつもりだったのだろうか、あんなことを言われたのに……。
すると、私が乗る飛行機の搭乗手続き開始のアナウンスが聞こえてきた。手紙を機内持ち込み用の鞄に仕舞い、荷物をすべて持つ。


「じゃあ行ってきます」
「気を付けてね」


母に軽く手を降り、窓口へ向かう。
手続きは問題なく終わり、機内へ。指定された座席に座り、しばらくすると飛行機が離陸した。
結構すごい力が加わるんだなと思ったのはわずかの間。すぐにベルト装着を表すランプは消えた。


「……手紙、読もうかな」


鞄の中から封筒を取り出して、封を切る。
何が書いてあるのか少しドキドキしながら手紙を開いた。
手紙には傷つけてしまったことに対する謝罪の他に、あの時の約束には言葉が足らなかったと書いてあった。
あの約束をした時、私が剣道、弦一郎はテニスで日本一を目指そうといった意味で言っていたそうだ。
だからあの日母から私が剣道をやめたと聞いて驚き、直接私に会って理由を聞いて更に驚いたらしい。
手紙にはもう一度剣道を始めて欲しいと書いてあり、重ね重ねの謝罪の言葉で締められていた。


「……そういうことだったの……」


手紙を閉じながら何かがスッと引いていくように感じた。
弦一郎だけが悪いわけではない。私だって彼が立海に入ったと聞いた時泣いていただけで何もしなかった。あの時ちゃんと理由を聞いておけばこんなに拗れることもなかったんだ。


「……もう一度、か」


もう剣道を辞めて2年以上経つ。日本一を目指すことは難しいけど、彼の前で竹刀を振ることくらいならまだ出来る。
日本に戻ったら……彼がオーストラリアから帰ったと聞いたらすぐに会いに行こう。
きっとそれが今の私に出来る精一杯のことだから。

BACK
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -